2022年11月8日火曜日

最も尊い祈り、それは人の助かりを祈る祈り (2022-11-08)

 今日も和賀心学 (2022-11-08)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、取次者が人の助かりを祈る事が疎かになったら、それは歌を忘れたカナリヤの様になってしまうと。取次者にとって最も尊いもの、それは祈りだと思う。朝早く起きるのも人の助かりを祈るため。取次者の焦点は人の助かりが焦点、その焦点が少しでもズレてはならない。祈りの力、力ある祈り。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 365頁)


ビデオ: https://youtu.be/GA7s6GfNrBQ

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-08.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第57節




金の杖をつけば曲がる、竹や木は折れる

神を杖につけば楽じゃ




歩いて行く人、自転車で行く人

車で行く人、お徳の車で行けば楽です




御徳の車で行けば楽ですと、




その御徳と言う車を頂くと言うのでしょうかね、

預からせて頂くと言うのでしょうかね、




そしてその御徳の発露と言うのでしょうか、

それがどう言う所に現れて来るのか、




これはやはり今朝頂きますのは念じると言う事ですね、

祈ると言う事です、念力とか申しますね、




私どものその念と言うもの、それが悪い意味で言えば、

怨念と言われたり致します、恨みつらみですね、




そう言う念と言うものが、

やはり人にも伝わってしまうと言う事ですね、




またそれが神様をも動かしてしまう、

と言う事にもなるのかもしれませんね、




特に徳を受けた人と言う、その人の念、祈りは、おそらく

天地をも動かしてしまう、と言う事にもなるのかもしれませんね、




ですから、やはり正しい心を持たねばならない、

と言う事でも有りますね、




そしてまた私どが最後に到達する所、

それはやっぱりその祈りの念と言う事になりますね




段々年を取ると体が不自由になる、

これは勿論若くても体が不自由な人も居られます、




しかし例えば病院のベッドの中に寝て居っても出来る事、

それはやはり祈ると言う事ですね、




人の助かりを祈ると言う事、

これがやっぱり一番尊い事ではないでしょうかね、




その朝参りと言う事を言われます、

そしてまた取次者が朝早く起きて御祈念をする




修行生の時は、それこそ師匠が起きられるからと、

その師匠に続いて起きる事を稽古させて頂く訳ですけれども、




何の為に朝早く起きるのか、

または何の為に朝参りをするのかと、




御信者さんの場合であれば、

おかげを頂きたい事が有る、




子供の病気であったり、親の病気であったり、

そこにおかげを頂きたい、




家族の者が病気をしている、

そのおかげを頂きたいから朝参りをして、




言わば一修行させて頂いて神様にお願いしよう、

と神様に心を向ける訳ですね、




その取次者の場合の朝参りは何かと、

それはやはり人の助かりを祈る、その為に早く起きる




と言うそこに尽きるのだと、

教祖様も仰って居られますね、




朝早く起きると起きないでは、

そのお参りの人の早い、遅いに関わると、




それこそ早く起きれば早く起きただけ、

朝お参りする人がお参りしやすくなり、また人が助かる事にもなる、




また今日頂きますのは、

それこそ取次者から人が助かる事の祈りを失くしたら、




それはあれは何ですかね、

歌を忘れたカナリアと、何か言われますね、それと同じだと、




ですから取次者にとって、やはり一番大切なのは祈りだと、

人の助かりを祈る祈りだと、




そしてその祈る事の為に朝早く起きる、

それこそ現代では夜中も仕事をして居られますから、




教祖様の時代の様には行かないでしょうけれども、

教祖様の時代で言えば、夜中は皆な寝ている訳ですから、




人様が起きる前に起きて、祈りを込めて、

その人様の一日の安泰と言うのでしょうかね、おかげを祈らせて頂く、




言わば人様が起きる前に起きて祈らせて頂くと言う事が、

やはり大変重要な意味を持ったのだと思いますね、




現代では 24時間営業と言うのが有りますから、

そうも行かないでしょうけれども、




その一つの名残りとしてでも、

やはり普通の人よりかは早く起きさせて頂き、そして祈らせて頂く、




それが現代流で言えば、24時間祈らせて頂く、

と言う様な事にもなって行かねばならないのでしょうね




取次者が人が助かる事を祈る祈りを忘れたら、

それは歌を忘れたカナリアと同じだと言う事なのですね、




何の為に朝早く起きるか、

それは人の助かりを祈る事の為に起きさせて頂くのだと、




取次者の第一は、

人の助かりを祈る事だと言う事ですね、




もしその取次者が別の所に焦点を置きますと、

一寸道から外れてしまう事になると言う事でも有りますね、




取次者の焦点、祈りの焦点、

それは徹頭徹尾、人が助かる、




人の助かりを祈る、そこに焦点が置かれ、

そこからズレてはならないと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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