2022年11月19日土曜日

天地金乃神様の御信用を得た取次者の口添えが大事 (2022-11-19)

 今日も和賀心学 (2022-11-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心はせぬでもおかげはやってある、と教祖様は御教え下さるが、信心はせぬでも御神徳はやってあるとは仰って居られない。しかも神様の御信用の無い取次者の口添えが如何に有ったとしても、それは天地金乃神様への保証の効力は無い。神様の御信用を頂く第一歩は、信用を受けた取次者の口添えが有ること。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 210頁)


ビデオ: https://youtu.be/4qHs-XJHNH0

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-19.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第6節




目には見えぬが、

神の中を分けて通りおるようなものじゃ




畑で肥をかけておろうが、道を歩いておろうが、

天地金乃神の広前は世界中であるぞ




『神の中を分けて通り居るやうなものじゃ』と、

お道の信心もここまで実感として頂けたら、




日々が生き生きとして有難い信心生活が出来る

それだけでなく、お徳を受けることでありましょう




信心の確立とは、

このような実感が得られる時をいうのであります




御徳を受ける事でありましょう、と有ります、

御徳を受ける、神様の御信用を頂くと言う事ですね、




教祖様の御教えに、信心はせぬでもおかげはやってある、

と言う御教えが有りますね、




信心をしようがしまいが、おかげはそれこそ

総氏子の上に授けてあると言うわけですね、




しかしその、信心はせぬでもやってあるおかげと、

信心をしなければ頂けないおかげ、が有る事もまた事実ですね、




そしてそのなる程、

信心はせぬでもおかげはやってあるおかげが有ります、




しかし、信心はせぬでも御徳はやってある、

とは仰って居られませんね、




御徳と言うもの、言わば神様からの御信用と言うものは、

信心をしなければ頂けないものですね、




神様が誰でも彼でもを信じて下さる事ではないと、




なる程確かに、人に恵むと言うのでしょうか、

お恵みと言うのでしょうか、




天地の御陽光であったり、雨であったり、おしめり、お恵みですね、

そう言うものは、分け隔て無く誰にでも与えられておりますね、




なる程信心はせぬでも、氏子、総氏子、誰にでも頂いて居る、

この人は信心をしないから、そのお天道様が照るのをやめようとか、




この人は信心が薄いから、今日は一寸暗くしようとか、

そう言う事は有りませんね




誰でも等しく御陽光を頂き、お恵みを頂いておる、

しかしこれが、神様の御信用となると、




誰でも彼でもを同じように等しく信用して下さって居る、

と言うわけではない、と言う事が分かりますね、




やはり信心して、それこそ神様の目に止まらなければ、

神様の御信用を頂く事は出来ない、




そして更に、ここからは一寸異論が有る所かもしません、

受け入れ難い方も居られるかもしれません、




けれども、昨日、ここ数日の成行きから頂きます事は、

御信用を頂くと言っても、それこそ見ず知らずの初めて会った人、




神様に初めてまみえて、私を信じて下さいと言っても、

神様が信じて下さるかどうかは分からない、




これは神様の御心次第と言う事かもしれませんね、

信心をしない人を神様が信じて下さるとは思えませんね、




言わば神様の御信用は、

誰でも彼でも頂けれるものではなさそうだと言う事ですね、




しかも、これが昨日頂きます

その師匠の口添えが有れば信じてもらい易い、




と申しましたけれども、それと同じように、例えば取次者が居ます、

しかしこの方が神様の御信用を頂いていない取次者だと致します、




そうしましたら、その信用を頂いていない、

寧ろ神様から信用をされてない人が、




如何に、どうぞこの氏子は私の弟子ですから、

神様、私と同じように信用して下さい、




と言っても、

信用してもらえるとは思えませんね、




ある意味、師匠と言うのは

その弟子の保証人の様なものかもしれません、




師匠がその弟子の事を保証してくれる、

だから神様も師匠に免じて、その弟子を信用して下さる、




その師匠が神様からの御信用を受けていない師匠であるならば、

その人が如何に弟子の事を保証しますと言っても、




神様が信じて下さるとは思えませんね、

その人、取次者自体に保証能力が無いからです、




ですから、これはやはり神様の御信用を頂いた取次者、

の後ろ楯、保証があって初めて、




その弟子達も神様の御信用に与る事が出来る、

と言う事になりますね、




言わば神様の御信用を頂いていない取次者の許では、幾ら頑張っても

神様の信用が付くかどうかは分からない、と言うわけですね、




やはり一番の近道、早道は、




その神様から御信用を頂いた取次者の口添えを頂く、

保証してもらうのが一番だと言う事になりますね、




大変微妙な所で、その受け入れ切らない、

と言う様な方が居られるかもしれませんけれども、




そう言うものだと言う事ですね、これはどうも合点が行こうが、

行くまいが仕方の無い事ですから、仕方が有りませんが、




如何に神様の信用を頂いていない取次者の許では、

あまり効能が無いと言う事になりますね、




ですからどうでもなる程、神様の御信用を頂いておる取次者、

に御縁を頂くと言う事が如何に大切かと言う事でも有りますね、




そこにはなる程、

信心はせぬでもおかげをやってあるおかげではない、




神徳を受けなければ頂けないおかげ、

と言うものが頂けれるようになる、と言う事でも有りますね




どうぞよろしくお願いいたします、




ありがとうございます



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