2022年11月6日日曜日

成行きにすがる (2022-11-06)

 今日も和賀心学 (2022-11-06)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人は何かに頼って生きています。自立の精神と言われ、私は誰にも何にも頼っていないと思いますが、自分自身に頼っているのです。信心させて頂くと愈々になると自分すらが頼りにならない事が分かります。教祖様は取次者も頼りにならない、和賀心に頼れと教えて下さいます。今朝は成行きに頼れと頂きました。頼りになるもの、縋れるものは成行き以外に無いと言う事です。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 207頁)


ビデオ: https://youtu.be/95DVkBcsTnk

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-06.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第5節




これまで、神がものを言うて聞かせることはあるまい

どこへ参っても、片便で願い捨てであろうが




それでも、一心を立てればわが心に神がござるから、

おかげになるのじゃ




生きた神を信心せよ、天も地も昔から死んだことなし

此方が祈るところは、天地金乃神と一心なり




生きた天地を生きた心と生きた教えによって、

いわゆる生きた教学(天地の道理)によって、




天地金乃神と一心になれる道を

教祖生神金光大神は樹立された




昨日はじめて人間が月の世界に第一歩を印した

正に科学の勝利である、大変なる度胸といえよう




その度胸は科学を信じ、

人間のもつ力の限りの訓練によった賜物である




日日の修行により神さまの働きの間違いなさを体験する所から、

不動の信念ができる




と同時に神徳を科学する、

又は信心を教学でわかれば月の世界に行けるほどのことが出来る




信心の力も教学して得られる道を教祖は教えられた

教祖は教学の大家であると同時に、




それに対する弛まざる修行修練をつまれ、

天地の大徳を受けられた不世出の御方と言えよう




人はやはり何かに縋らなければ生きて居れないものです,

生きて行けない、と言うのでしょうかね、




その縋るものが色々有りますね、例えばお金であったり、

物であったり、人であったり、自らの知識であったり、




よく自立と言う事を言われます、

そして自立しなければ、と言う様な事を言われます




子供が、特に西洋では、自分の力で歩いて行くと言うのでしょうか、

自立と言う事、




こちらに来て、聞かされた話は、

18歳になったら子供を外へ出すと、




もう 18歳、大人になったら自分で自立して行きなさい、

と言う事なのだと思いますが、




その自立の精神を養う、誰かに縋るのではなく、

自分で独立して生きて行く、そう言う道を教える、




と言うその何と言いましょうかね、

自立の精神と言うのを重んじたり、重んじられたり致します、




しかし今朝頂きますのは、その自立と言う事でさえも、

それは自分自身に縋っていると言う事ですね、




何かに縋らなければ、やはり生きて行けない、

その縋る対象が自分自身であると言う事です、




それが自立の精神と言う事だと思いますけれども、

それがよくよくギリギリの所を見てみますと、




自分自身ですら縋れない、頼れない、

頼りないものである事が、本当の真実は分からされるのですね、




そして私どもはその表面的な所で人に頼り、

お金に頼り、物や、知識や、




そして愈々人が当てにならない、金や物が当てにならない、

知識ですらも当てにならないと言う事が分からされ、




もう頼るものは神様より他ないと、神様に頼ろうと致します、

その神様に頼る始めとして、取次者に頼ろうと致します、




いわゆる御道の先生ですね、

そして、その取次ぎの先生を頼りにする、




しかし教祖様が、

教祖様に当時の人々は頼ろうとされた訳ですね、




それが神前撤去となり、教祖様にですら、

取次者にですら頼る事が出来なくなった、




そうなった時に、教祖が示された、

おかは和賀心にあり、と言う天地書附ですね、




言わば、おかは和賀心にあり、

とその和賀心に縋れよと言う事だと思いますね、




教祖様も頼れなくなった、取次ぎの先生にも頼れなくなった、

そして愈々頼るものは和賀心、和らぎ賀ぶ和賀心だと、




勿論神様に祈る、その神様のおかげを頂くと言うそれが、

和らぎ賀ぶ和賀心に頼る事によって頂くものだと、




言う事かもしれませんね、

和賀心によって神様のおかげを頂く、




今までは取次ぎの先生に頼って、お願いしてもらって

おかげを頂いて来た、言わば取次者を頼りにしていた訳です、




教祖様が、これからは私を頼りにするなと、

取次者を頼りにするなと、




自らの和らぎ賀ぶ和賀心を頼りにせよと、

仰られたのではないでしょうかね、




そしてまた今朝、私がその成行きから頂きましたのは、

和賀心を頼りにする、そこからこれはまた別の角度から、




成行きを頼りにせよ、と頂きました、

頼るものは成行きしかない、と言う事なのですね、




それこそ自らの心も、あやふやなものですね、

色々有りましょうけれども、




とにかく師匠から教えて頂いた事、

そしてその成行きからまた教えて頂く事、




それは、頼りになるもの、縋るものは、成行きしかないと、

成行きを頼りにせよ、と頂きました




私どが何かに縋らねば居れない、

何かに頼らねば生きて行けない私どもです、




その頼るものが何に頼っておるか、

私は何にも頼っていない、自立している、




自分で生きていると言う方も居られましょうけれども、

それは自分に頼っていると言う事ですね、




自立と言いますが、自立と言う事でさえも

自分自身に頼っていると言う事ですよね、




その自分自身すらが頼りにならないものである事が、

ギリギリになると分からされます




そして頼るものは、神様以外に無い、

と言う事になるのですけれども、




その神様に頼ると言う事のその内容が、

それは成行きに頼ると言う事だと、今朝は頂きました、




頼りなきものを頼りにする故の、この頼りなき心なるかも、

と師匠は教えて下さいますが、




一番確かなもの、一番確実なもの、目の前に有るものに頼る、

それは成行きに頼る、と言う事だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします、




ありがとうございます



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