今日も和賀心学 (2022-11-16)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
この御道にも色々な御教えが有る。しかし何の為の教えかが曖昧なものも有る。効能不明の薬をただ飲みなさいと出されても、何に効くのか分からない物を飲めるはずも無い。今朝は人が助かるお役に立たせて下さいと願っていたら、人を責めるな、と頂いた。責めないと言う御教えが人の助かりの為と合点した。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 487頁)
ビデオ: https://youtu.be/kHhGtBk3Rs8
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-16.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第98節
心は神信心の定規じゃによって、お伺いする時には、
とりわけ平気でなければならぬ、落ち着いて静かに願え
習字の稽古をするのに、
最初は楷書から一点一画をおろそかにせぬ事が大事であるように、
神さまに向かう心も、
正しく落ち着いて静かに願う稽古をしてゆくうちに、
流れるように行書草書が書けるように、
神さまとの交流が頂けるようになる
習字の稽古と有ります、
習字の稽古は何の為にするのか、
それは綺麗な字を書くため、
美しい字を書く為ですね、
下手くそな字を書く為に稽古をすると言う人は、
まだ聞いた事が有りませんね、
出来るだけ綺麗な字を書こうとする為に習字の稽古を致しますね、
信心には御教えが有ります、色々な様々な御教えが有ります、
この御道にもやはり御教えが有ります、
そして師匠が教えて下さる合楽理念と言う御教えも有ります、
今朝気付かせて頂きましたのは、
その御教えが、たくさんの御教えが有るけれども、
その私どもがただ御教えを頂いて居る、
それこそ土の心になりなさい、成行きを大切にしなさい、
と言われる御教えであったり、
教祖様の古い教典で言えば、180何箇条の御教えが
183箇条ですか、有るわけですけれども、それらの御教えがどう言う、
何の為の御教えか、と言う事を説かれずに、
ただああしなさい、こうしなさいと言われて居るのではなかろうかと、
そんな感じが致しましたね、
その御教えが一体なぜ有るのか、
と言う事ですね、
習字の稽古をする、それは習字が
いわゆる綺麗な字を書く為に稽古をするわけですね、
勿論、綺麗な字を書くと言う事は、
読んで下さる人、相手に意思を伝えるわけですから、
その相手の方が読み易い字と言う事にも繋がりますね、
自分の意思がより良く伝わる事の為に、綺麗な字を書く、
それこそ金釘流と言いますか、
何やら分からない様な、下手くそな字で書いたのでは、
何を書いているのか、
相手にも伝わりません、
草書なども崩し方によっては全く伝わらない、
何が何やら分からないのも有りますね、
楷書で書いて頂くのが一番伝わり易い、
それから後は色々その上手、下手があって、
崩し字の上手な崩し方などが有るのでしょうけれども、
とにかく先ずは楷書で綺麗に書く、
その綺麗に書く為に字の練習をする、習字をする、
ならば今教えが有る、その教えを何の為にその教えが有るのか、
その何の為に教えが有るのか、
その教えが有るのかと言う事を知らずに、分からずに、
ただ教えを行じよう、と言っても、
それはあまり意味が無い様な感じが致しますね、
習字の稽古をしております、と言って、子供が字を書かずに、
絵を描いたりとか言う事が有るのかもしれません、
字が上手になる為には、やはり字を書いて稽古をする、
それは、字が上手になる為と言う目的が有るからですね、
そのこの教えも、例えばそれこそおかげを頂く為の教えであったり、
御徳を頂く為の教えと言う事も有るわけですね、
師匠は、教祖様の教えの全てが和賀心になる事の為の教えだ、
とは仰って居られますけれども、
和賀心、まだ漠然としておりますね、
もっと細かにと言うのでしょうかね、もっとより具体的に、
和賀心と言っても抽象的ですから、よりもっと具体的に、
何かこの教えを行じると、それはこう言う事の為に行ずるのだ、
と言う様なものが明確になって居ると、
行じ易い様な気も致しますね、
成行きを大切にするのだ、
ただ成行きを大切にしなさい、ただ土の心になりなさい、
それこそ、ただ受けて行きなさい、と言われても、
何の為にと言うのが有りませんから、中々行じ難い、
それは例えばお薬でもそうですね、
このお薬を飲んだら熱が下がるとか、
このお薬は何の為に飲むのか、
咳を止める為にこのお薬を飲む、
あるいは鼻水が止まるように、風邪が治るようにこのお薬を飲む、
と、そのお薬の用途と言うのでしょうかね、効能が有るわけですね、
これこれこうする、この症状を和らげる為に、
それこそ熱冷ましの為に熱冷ましを飲む、
傷口が化膿しないようにこの薬を飲む、
と、何々の為にこの薬を飲む、と言うのが有るわけですから、
何々の為にこの御教えを行じると言うものが明確になると、
より一層行じ易くなるのではないでしょうかね、
何が何やら分からないで、薬を前に出されて、
さあこの薬を飲みなさい、この薬を飲めば体に良いから飲みなさい、
と言われても中々飲めませんね、
一体どうなのか分かりませんからね、
お腹が痛くなった、そのお腹が痛くなった時に、
さあこれが、飲むとお腹の痛みが止まるよと、良くなるよと、
今はどうか分かりませんが、私どもの小さい頃は、
よく、何かあると正露丸と言うのが有りましたね、
お腹が痛くなると正露丸を飲まされましたけれども、
そのお腹が痛くなったら正露丸だと、
そのお腹の痛みに効くわけでしょうね、
胃が痛くなったらこの薬を飲みなさいと、
この薬は胃が痛いのを治りますよ、この薬は熱が下がりますよと、
この御教えは何々に効きますよ、
もしこうあるならば、
この御教えを頂きなさいと、
その例えば目的別に御教えがハッキリして居るならば、
も少し御教えを行じ易いかもしれませんね、
そう言うふうな御教えの、
効能別に御教えを並べ替える、と言う作業が有ったら良いかな、
と今朝は思わせられて居る所です、
と言いますのは、
実は、人が助かるお役に立たせて下さい、と願います、
どうあったら人が助かるだろうか、
どうあったらこの人が助かる、助かられる事が出来るだろうか、
と願っておる時に、責めない事だと、実は頂いたのですね、
責めない事だと、人が助かる、人の助かりを願う、
ならば先ず人を責めない事だと、今朝は教えて頂いたのですね、
よく言われます、人を責めるなとか、腹を立てるなとか、
色々な教えが有ります、
しかしその、どうして責めてはいけないのか、なぜ責めないのか、
と言う所が教えられていないように思うのですね、
そこの所を今朝は、人の助かりを祈る、
人が助かる為のお役に立たせて頂きたい、と思うならば、
責めるなと、人を責めるなと、言わば今朝はその、
人を責めないと言う事が、人が助かる事の為に必要な教えだと、
言う事を教えて頂いたように思うのですね、
ですから先ずは、人が助かる事を祈る、願う、
それならば、責めるな、と言う事です、
では責めない為にはどうすれば良いか、
それはやはり色々有るでしょうけれども、
一つは、大きな心になる事ですね、
大きな心になれば、責めずに済む、
私どもの心が小さいから責めて居るわけですから、
人が助かる、人の助かりを祈るからには人を責めるなと、
そしてその人が助かる、その為には責めない、
責めない為には、より一層大きな心になる、なれと、
と言う事に繋がりますね、何の為にその教えを行じるのか、
自分の中で合点がいって行じる事になると、
行じる事がより一層楽しくもなり、
意義あるものになるのではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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