2022年11月1日火曜日

願い以上、思い以上のおかげが受けられる道 (2022-11-01)

 今日も和賀心学 (2022-11-01)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


私どもは自分の願い通り、思い通りに事が運んだらそこに助かりが有る様に思う。が、そうとは言えない。師匠大坪総一郎師は、願い通りのおかげは本当のおかげではないと、真の信心をさせて頂くと願い以上、思い以上のおかげが受けられる、それが真実のおかげだと。それは成行きを大切に尊ぶ所から頂ける。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 225頁)


ビデオ: https://youtu.be/jbZljTiZQjI

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-01.mp3


合掌

中原博信

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御理解 第11節




神は天地の守りじゃから、

離れることはできぬぞ




天地を守ってござると同時に、

小天地である私共も一様に御守護下されてあるのですから、




お守りを受けていることを悟り、神恩に報ゆる生活が出来ねば、

人間の求めに求めている安心の生活には入れません




「神の守りをうけておる」

「神のふところにある」の実感が安心です




形の上で御守り頂いても究極、

心の中まで御守り頂く事は出来ません




ただ信心による和賀心をもって願うところに、

心も又、御守護の中にあることがわかります




神の守りを受けておる、と有ります、

神様の守りを受けて、神様のおかげを頂いている、




それは取りもなおさず、神様の御働きを頂いている、

と言う事でありましょうけれども、




その神様の御働きを頂くと言う事が、

私ども、私どもの思い通り、願い通りに事が運ぶ、




それが私どもが助かる事だと、

助かっていると言うのでしょうかね、




何でも思い通りに事が運んだらさぞかし良かろう様に有ります、

そしてまたそれが助かった者の世界である様にも思います、




そしてその何でも自分の願い通りに事が運ぶ、それが

神様が御働き下さっていると言う事だと言う風に思いがちですけれども、




師匠大坪総一郎師は、私どもが願って、願い通りのおかげを頂く、

と言う事は、それは大したおかげではない、本当のおかげではないと、




それは何と言いましょうかね、

神様に駄々をこねて頂く様なおかげと言うものかもしれませんね、




神様が本当に喜んで、下さるおかげか、どうかは未だ分かりませんね、

師匠は私どもがそれこそ頂く本当のおかげと言うもの、




それは私どもの願い以上、思い以上の事になった時に初めて、

それが本当のおかげと言える、と仰って居られますね、




実際師匠も、私の思い通りになった事、

願い通りになった事は一つもない、




と言った様な事を仰って居られますね、




しかしそれらが全てが願い通りにはならなかったけれども、

願い以上、思い以上の事になった、と仰って居られます、




私どもの頭の中で考える事は小さい事、狭い事ですね、

神様の算盤は、人間の私どもの算盤よりか遥かに大きい、




とも表現されますね、

ですから私どもが例えば 10万円儲けたい、と思っている時には、




神様の方はそれこそ 100万円、1000万円儲けさせてやりたい、

と願って居られるのかもしれませんね




その神様の御心に沿うて、

神様が授けたいと願って居られるおかげ、




その方が、私どもが授けてもらいたいと願うおかげよりか

遥かに大きいと言うのでしょうかね




金銭的に言えば

遥かに高額だと言う事ですね、




神様は私どもに、私どもの願い以上、思い以上のおかげを、

本当は授けたいのだと、




ところが受け物が悪ければおかげが漏るぞ、

と言われる様に、




その人間ども、私どもの受け物が悪いから、

神様のおかげを受け漏らしている、と言う事でもありましょうね




ではその私どもの願い以上、思い以上のおかげが頂けれる様な、

その道とはどう言う道か、




どうすればそう言う、神様が本当に授けたいと願って居られるおかげを

頂いて行く事が出来るのか、




私どもが頂きたい、欲しいと思う程度のおかげと言うのは、

ある意味たかが知れてると言う事ですね、




その神様の授けたいと思って居られるそのおかげを、

私どもが十全に頂いて行くには、どうすれば良いか、




それは勿論御教えを身に着けて行くと言う事も有りましょうし、

先ず第一に、それはやはり師匠が教えて下さる、




成行きを大切に尊んで行くと言う事、

先ずはその成行きを受けて行くと言う事になりますね




神様がより良い世界へ導き入れようとして居られるのに、

私どもがその神様のお導き、それをないがしろにしておったのでは、




神様が授けて下さろうとするおかげも頂けませんね、

神様が私どもに授けて下さる、授けようとして居られる、




いわゆる思いもかけない様な、

願い以上、思い以上のおかげを頂く為には、




どうでも私どもが、その私どもの身の上に起こって来る

その成行きを大切に尊んで行く、




これが先ず最低の必要不可欠な条件だと言う事ですね、

私どもが、自分の良い様に成行きを、何と言いますかね、




頂いたり、頂かなかったりしている様な事では、神様が導こう、

連れて行こうとして居られる所へ行き着く事が出来ませんね




その神様のガイダンスに従って行く、それは取りもなおさず、

成行きを大切に尊んで行く、と言う事になりますね、




そこに初めて真実の助かりの世界へ、神様が導き入れて下さる、

導いて下さる、思いもかけなかった様な、




願い以上、思い以上のおかげを頂けれる世界が、

そこにある、と言う事ですね、




どうでもこの成行きを大切に尊ぶ、

と言う生き方を身に着けさせて頂きたいと願いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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