今日も和賀心学 (2022-11-10)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝頂きますのは取次者の心掛けと言うのか、私の心掛けと言うべきものを教えて頂いた様に思います。人に対しては馬鹿のように阿呆のように、神様に対しては天地金乃神様との信頼関係を愈々強く深く築くことと。取り次ぎを願う人にはハイと受け、其処から起きて来る成行きへの絶対信を貫くことと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 146頁)
ビデオ: https://youtu.be/rAYSZaAEYFg
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-10.mp3
合掌
中原博信
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御神訓
信心する人は常に守りを心にかけておれよ
大金を懐中しておるような気持ちでおれ、落としてはならぬ、
掏られたり盗られてはならぬと思うて大事にする
心に神さまを頂き守れ、
神さまが御守護下さる
神さまを頂き切っておる時、
真心、愛の心がおのずと身についてくる
真善美 輝く世界に 住まんには
真愛の こころ行い おしむべからず
心に神様を頂き守れと、
私どもが縋るもの、それは神様以外に無い、
また信じるもの、それもまた神様以外に無い、
と私どもと神様との信頼関係と言うのでしょうか、
これが盤石なものとならなければなりませんね、
今朝は取次者の心がけと言うのか、と言うより
私に対する私の心がけと言う様なものを教えて頂いた様に思います、
それは、馬鹿と阿呆で道を開け、
とある先生が頂かれて居られますが、正にその事を頂きました、
バカになれと言うのです、阿呆になれと言うのです、
それはどう言う事かと言うと、何と言いましょうかね、
例えば、取次ぎの先生に取次ぎをお願いする人々が居られます、
しかしその取次ぎを願われるその方達が、
それこそ自らの事を赤裸々に語られる方も居られれば、
語られない方も居られると、
人間とかく自分にとって都合の悪い事、
そう言う不都合な事は話したくないと言うのか、
隠すと言う訳ではない訳ですけれども、
取り立てて話そうとはしないと言う事が有りますね、
つまり、嫌な部分は蓋をしとこうと言うのか、話さない、
これは言わなくてよかろうと、
また、自分に都合の良い所だけを言って、
おかげを頂きたいと願う、
やっぱり自分が可愛いと言うのか、
自分が正しいと言う事が強いですね、
とかく相手の方が間違っている、
自分の方が正しい、と私ども人間は思いますね、
決して自分が間違ってる、相手の方が正しい、
と素直に受け入れる事が出来る人は中々少ないものですね
どこまでも自分が正しい、
自分の主張が正しいと主張するものですね、
ですから、やっぱりお取次ぎを願って来られる人々でも、
やっぱり自分が正しいと思って、
自分の願い通りにして頂く事が、
人々が幸せになると言うのでしょうかね、
自分も助かり、相手も助かると言った様な、
自分の思い、願い通りになる事が、全てが一番良くなる事だと、
言う主張をされる方が多いと思いますね、
しかし実際はそうかどうかは分からない、
右と願って、右となる方が本当に良い事なのかどうかは、
それは神のみぞ知る、と言う事でしょうね、
今は、右と願って右となる事が良いのかもしれないけれども、
将来の事を思うたら、
本当の助かりを願ったら、
神様の目からご覧になったら、
右と願った事が左となった事の方が、その人の為に、
将来の為に本当に良い事になると言う事も有る訳ですね、
何もかも、取次ぎを願う人が
本当の事を言っておるとは限らない、
だからと言って、私どもがそれを疑うてかかっては、
それではまたいけませんからね、
何でも、やはりそれこそ馬鹿の様に阿呆の様に、
ハイハイと聞くと言う事、
それをそうとして聞かせて頂くと言う事、
そしてその後は、
取次者と氏子と言うより、
取次者と神様、天地金乃神様との信頼関係によって、
神様がその氏子に、氏子にとって一番良い事を、
将来に渡って一番良い事を成行きの中で授けて下さる、
と言う事を、
先ず信じられる様にならなければなりませんね、
氏子が願う事を、氏子の願い通りに叶える、
そうすれば氏子からの信頼は得られるのかもしれません、
けれども神様と取次者との関係が
どうなるのかはまた分かりませんね、
氏子の願いが叶わない事が有る、
しかしそれは神様がより先を見越して、
そう言う今はそう言うおかげを下さってあると言う事、
その事を取次者が信じ切れるかどうか、
願い通りにならなかった、ああこれは困ったな、と言う様な事では、
神様との信頼関係が築かれているとは思いませんね、
願い事が叶わなかった、これはきっと神様の大いなる、
もっと大きな願いが、御計画が有るに違いない、
とどこまでも神様の、何と言いましょうかね、
神様との信頼関係を築いて行くと言うのですかね、
そしてそれこそ取次ぎを願って来る者に対しては、
もう馬鹿の様に阿呆の様になると言う事ですね、
人間に対しては、馬鹿の様な阿呆の様なものに成り切れと、
そして神様との信頼関係を築く、
その事に何と言いましょうかね、
一筋になると言うのでしょうかね、
そこに初めて本当の意味においての人が助かる、
と言う事にもなると言う事ですね、
為には、取次者がそこに起こって来る、
起きて来る、神様が働かれる成行きを、
その成行きへの絶対信を持たねばなりませんね、
人に対しては馬鹿と阿呆で、
神様に対しては絶対信を持つと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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