今日も和賀心学 (2022-11-14)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師の御教えの代表に、黙って治めると言うのが有る。治めると言う字は三水偏にム口と書く、三水偏は水の流れ即ち流れ来るものを無口で黙って治める所に治まる働きとなると。一言言いたいと思う所を神様を信じて黙って治めるのである。それは自らを治めることにも繋がるから信用にも繋がる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 373頁)
ビデオ: https://youtu.be/mQ9WeHXZpM8
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-14.mp3
合掌
中原博信
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御理解 第60節
おかげは受け徳、受け勝ち
おかげはわが心にあるもの
お徳は神さまが下さるもの
四神さまのみ教えにも
『おかげは神から出ると思うな、氏子の心の中から出るものじゃ』
とありますが、
お徳はそういうわけにはゆかぬもの
久留米教会の初代は
お徳は神さまのご信用と説かれてあります
神さまに信じられる信心をせねばなりません
本当のおかげは徳をうけたものには勝てません
神様の御信用、御徳だと、
その御徳を頂く為の信心と言う事にもなりますけれども、
そのではどうしたら御徳を頂けれるのか、
それはやはり神様を大切にする、
神様を大切にする所から、
神様の御信用も付いて来るのだと思いますね、
では神様を大切にすると言う事はどう言う事か、
勿論神棚にお祭りしてある神様を大切にさせて頂く、
と言う事も大切だと思いますね、ある先生などは、
それこそお社を冬にですね、お布団でくるまれたと、
あるいは夏はそのお社に扇風機の風を当てられたと、
それはお祭りして居る神様が寒かろうとお布団でくるまれた、
あるいは暑かろうと、それこそ扇風機の風を当てられた、
言わばそこに情感を持って神様を感じて居られたと言う事ですね、
そしてそこに神様を大切にされた、
その現れの一つがお布団でくるまれたり、
扇風機の風を、冷たい涼しい風を当てられたり、
と言う事になるのでしょうけれども、
そればかりではない、師匠が説かれる、神様を大切にする、
それは形の上で大切にすると同時に、神様の御働きである成行き、
自分の今目の前に、身の上に起こって来て居るその事柄を
神様の御働きとして、神様の御心の現れとして大切にさせて頂く、
それが取りもなおさず、神様を大切にする、
その神様の御心を大切にすると言う事になるのだと言う事ですね、
ですからその勿論、形の上にお祭りしている、
お祭りされている神様を大切に扱う、と言う事と同時に、
神様の御心を大切にせずして、
神様の御信用が頂けれるとは思えませんね、
ですから、成行きを大切にする、と言う事がやはり
神様の御信用を頂く上での条件の一つだと思いますね、
その成行きを大切にする、
さあどう言うふうに大切にするのか、
師匠の、大坪総一郎師の教えの代表的なものが、
やはり成行きを大切に尊ぶ、
それを土の心で大切に尊ぶ、
土の心ですね、
そしてその土の心の内容として、
黙って治めると言う事が有りますね、
今朝はその黙って治めると言う事を
実は頂くのですけれども、
治めると言う字は、
三水偏にム口と書いて有りますね、ム(無)口ですね、
ですから、三水偏とは流れ来たるもの、
それを無口になって黙って治める、
それが結局、その事柄が色々な起きて来る成行きが
治まる事になるのだと、
その黙って治める所に、
黙って治まる事になって来ると言う事ですね、
今朝はそれを、黙って治める事は、
自らを治める事にもなる、と頂きました、
つまり何かここは一つ、
それこそ苦情の一つも言いたい、文句の一つも言いたい、
いや、それは間違ってますよ、こちらの方が本当ですよと言いたい、
そこを、いや、ここは黙って治める所だと、
今日言いたい事は明日言え、
と言われる事が有りますね、
もうそう今言いたい事を明日に延すと、
もう言わずに済むと言う様な事にもなると言うわけですけれども、
それこそそこに神様の御働きを信じるからですね、
黙って治めるわけですね、そしてそれは自らを治める事にもなると、
黙って治めると言う事は、
結局、黙って治める事によって、
その事柄が円く治まると同時に、
またそれは自分をも治める事になるのだと、
結局黙って治めると言う事に取り組むと言う事は、
自分を治める事に取り組む事だと言う事になりますね、
ですから、自らの心も育つと言う事になります、
それこそ、土の心が愈々身に着いて来る、
そこに黙って治める事によって自らの心を治める、
そこに神様の御信用が付かないはずが有りませんね、
先ず、これは実践項目と言うのでしょうかね、
師匠の信心の実践項目の一つは、やはり黙って治める、
ここは一口言いたい、何か言い返したい、
弁解の一つもしたいと言う様な事がある時でも、
それこそ神様の御働きを信じ貫いて黙って治める、
と言う事ですね、
勿論、中には例外が有る事は有りますけれどもね、
基本はやはり黙って治める、
それこそ不平不足を言わずに黙って治める、
それは自らを治めると言う事でも有りますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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