2022年11月5日土曜日

楽をしように楽は無く、楽はせんぞの心に楽が有る (2022-11-05)

 今日も和賀心学

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人は兎角楽を求める。楽をしてお金を儲け様とギャンブルに手を出し、人より楽に仕事をしよう所謂サボろうとする。師匠大坪総一郎師は、楽をしように楽は無く、楽はせんぞの心に楽が有ると教えて下さる。信心者は、人が人偏なら私は行人偏と腹を決めるところに真実の楽が与えられる。楽はせんぞの心意気。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 186頁)


ビデオ: https://youtu.be/S5gEDUJm6QY

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/11-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-11-05.mp3


合掌

中原博信

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御神訓




神の教えも真の道も知らぬ人の哀れさ




はじめて聞いた神の教

はじめて知った真の道




信心のなかった昔の事がくやまれ、

現在の道によって助かり、歓喜の中に私があり生活がある




此の喜びが、

まだ知らぬ人達の上にも願われるおかげをいただきてこそ、




はじめてこの御教えがわかったといえよう




真の道、

真の道とはどう言う道だろうかと思いますね、




その真の道を教えて下さるのが

師匠大坪総一郎師ですけれども、




その真の道それはやはり教祖様が

天地日月の心になること肝要なり、と教えて下さるその、




成行きを通して天の心、地の心、日月の心を体得して行く、

その事の為に言わば毎日の出来事が有る、




私どもの人生と言うものが、

その私どもの心を磨く事の為に有る、と言う事ですけれども、




ではどう言う心を持てば良いのか、

勿論天地日月の心に違いは有りませんけれども、




それだけでは言い尽くせない所も有りますね、

その一つに今朝は、その信心をさせて頂く者の心掛けの一つとして、




楽はせんぞ、と言う心持ちになれ、と言う事ですね、

楽はせんぞと、腹を決めなければならない、




とかく私どもは楽な方に、楽な方にと走ります、

楽をしてお金を儲けたい、




この仕事は楽にならないものだろうかと、

それがいわゆる真実の楽と言うのでしょうかね、




世の人々が楽になられる様に、

いわゆる助かられる様にと言った様な




その楽と言うその内容が、

真実の意味においての楽は、良いのだと思いますけれども、




とかくその楽に儲けようとか、

一寸きついから楽をしようとか、言う方の楽が有りますね、




お金を儲けたいと思う、しかし汗水垂らして働くのは嫌だと、

何とか楽にお金が儲かる方法はないものだろうか、




それこそ寝て居ってでもお金が儲かる様な、

左団扇でお金が儲かる道はないものだろうかと、そう思います、




そこで楽にお金が入る様に、

言わばギャンブルに手を出したり致しますね、




賭け事であったり、それこそ何ですか競馬、競輪、競艇ですか、

であったり、その宝くじもその一部になるのかもしれません、




楽な心から、楽をしてお金を儲けようと言う心からですからね、

それこそ株式とかに手を出したり、




最近はインターネット上でするギャンブルも有るらしいですね、

そう言う例えばお金の交換によるその利鞘を儲けると言った様な、




言わば楽をしてお金を儲けよう、

と言う心がその心の底に有るからですね、




そう言う意味においての楽をしようと言うその心を、

やはり外して行かねばならないと、




一攫千金を夢見るとか言いますけれども、これなどもやはり

楽をしてお金を得たいと言う心の現れなのでしょうね、




その一番良い例が、楽をしてお金を儲けたい、

楽にお金を儲けたい、と言う様なそう言う楽をしようとする心、




これを、信心させて頂く者は外して行かねばならないと、しかし

その本当の意味においての楽と言うのは有難い事ですけれどもね、




師匠は、楽とは心が大きくなる事です、

と教えて下さいます、




私どもの心が大きくなれば、

本当の意味においての楽が得られる訳ですね、




そしてまたもう一つ、その、楽をしようと思う心に楽は無く、

楽はせんぞの心に楽が有る、とも教えて下さいます、




確かにそうですね、

楽をしよう、楽をしようと思う心には決して楽は与えられません、




そのそれは楽にお金を儲けようと言う類の楽ですね、

今の苦労から逃れたい、もっと楽がしたいと言う楽ですね、




そこに、よしもう楽はせんぞ、

楽にお金を儲けようなどとはしないぞと、




それこそ汗水垂らして働いてお金を儲けよう、人よりそれこそ

人が人偏なら、私は行人偏の生き方だと、師匠は教えて下さいます、




人が 1 努力をするなら、私は 2 努力をしよう、

と言う様な生き方ですね、




その人が人偏なら、私は行人偏で行こう、

と言うそういう生き方が信心者のあり方だと、




そしてそこに腹が決まった時に、

本当の意味での心の上に楽が与えられると、言うのですね、




その神様が私どもの心の上に与えて下さる楽と言う事、

それは頂いて行かねばなりませんし、




そこは求めて行かねばなりませんけれども、

その楽をしてお金を儲けたいとか、




今この仕事が、その楽をしたいと言うのでしょうかね、

サボりたいと言う様な意味になりますね、




そのサボってでも人と同じ様な効果を得たいと言う、

そう言う意味においての楽ですね、




そう言う楽をしようとか、楽をしたいと、

サボりたいと言う様な意味であったり、




楽にお金を儲けたいと言う意味であったり、

そう言う意味においての、楽をしようと、




そう言うものは、信心させて頂く者として、

外して行かねばならないと、




正に師匠の、人が人偏なら、私は行人偏で行こう、

人が 1 苦労するなら、私は 2 苦労させて頂こう、




と言う様な心根が有って初めて、それこそ心の上に本当の楽が、

神様が与えて下さると言う事ですね、




そう言う意味においての真実の楽を

頂いて行かねばなりません、




その為には、心が大きくなること、

楽はせんぞ、と腹が決まる事が大切ですね、




楽をしてお金を儲けようとか、今の仕事を何とかサボって楽をして、

何と言いましょうかね、お金を稼ごうと言うのでしょうかね、




そう言う意味においての楽、をしようと言う心は

なくして行く、外して行かねばなりませんね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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