2022年5月31日火曜日

難儀の正体見たり神愛 (2022-05-31)

  今日も和賀心学 (2022-05-31)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、幽霊の正体見たり枯れ尾花、と頂いた。なぜ枯れススキが幽霊に見えるのか。それは暗い中に遠目にしかも恐々見るからであろう。明かりの中に近くで見れば正体が分かる。難儀も教えという光を持ち神様に近づくとその正体が神愛である事が分かる。信心は神に近寄るようにせよである、難儀の正体見たり神愛。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 337頁)


ビデオ: https://youtu.be/EaKayjUv9Sc

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/05-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-05-31.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解 第48




わが子の病気でも

かわいいかわいいと思うてうろたえるといけぬぞ




言うことを聞かぬ時に ままよと思うてほっておくような気になって

信心してやれ おかげが受けられる




安心と慢心は紙一重




放っておくような気 と言うても

横着であってはならず 慢心では尚更いけぬ




医者でも 自分の子供の手術が出来るようになると一人前だと

言われるように メスをとる手に自信が出来るからである




信心も 子供の病気だけでなく 様々な難儀に直面した時

放っておくような気で信心することが出来たら おかげになる




一心の信心修行が出来ている時は不思議な度胸が出来て

同じようなおかげが受けられる




本当は わが子もなければひとの子もない境地が開ければ最高である

ここはもう お徳をうけた者の世界である




信心してやれ おかげが受けられると

教えて居られます




信心をしなければおかげが受けられない

そう言うおかげが有りますね




また信心はせぬでもおかげはやってある

と言うおかげも有ります




信心はせぬでもやってあるおかげ

誰でも受けておるおかげ と




信心をしなければ頂けないおかげ

と言うものが有ります




その信心をしなければ頂けないおかげ

それは私どもの心の助かり 真の助かり




これはやはり信心をしなければ頂けないおかげの

一つだと思いますね




今朝は 幽霊の正体見たり枯れ尾花 ですか

と言うのが有りますね それを頂きました




幽霊の正体見たり枯れ尾花

これを幽霊と言う所を難儀と言葉を替えてみれば良いかもしれませんね




難儀の正体見たり 何と言うのでしょうかね そこに何が入るのか

神愛と言う言葉が入るのが一番だと思いますけれどもね




でも私どもにはやはり難儀に見える

やはり幽霊に見える訳ですね




何故幽霊に見えるのか

それは遠目で見て居るからですね




しかもあるいは薄暗い中なのでしょう

夜なのでしょう 夜に遠目で見て居るから




枯れ尾花が幽霊に見える

難儀に見える




ではその難儀の正体 お化けの正体が枯れ尾花だと

見抜けるにはどうしたら良いか




これはやはり 2つ方法が有ると思いますね




一つはやはり教えを頂く事

それが幽霊ではないと言う事を教えて頂く事




本当の正体を教えて頂く事

為にはやはり教えを頂かねばなりませんね




私ども人間が真実の事が分からないから

右往左往して枯れ尾花を幽霊と思ってしまう




私どもの心が幽霊を創り出している事になりますね

本当は幽霊ではないのに幽霊だと見えてしまう 思ってしまう




私どもの心が幽霊を創り出している事になります

それは実際は枯れ尾花だと言う訳ですからね




その真実の正体を教えてもらうと言う事が有ります

もう一つは これは両方が相まると良いのでしょう




近くに行ってそれこそ懐中電灯でも照らして

近くに行って良く見ると言う事ですね




遠目で見るから幽霊に見える

遠目で見るから難儀に見える




またの御教えに 神に近寄る様にせよ

と言う御教えが有りますね




神様から離れて居るから それが難儀に見える

神様に近付けばその正体が難儀ではない事が見える訳です




それこそ神愛であると言う事が見える

それが難儀に見えるのは遠くの方から見て居るからです




神様から離れて居るからです

神様の懐に近付く 神様の御心に近付く




そして神様の御心が分かれば

それは難儀ではない 神愛だと言う事が分かりますね




難儀の正体が見える その難儀の正体が見えないから

それを難儀と見てしまっている 難儀と見えてしまっていると




言う事になりますね

やはりそこには神信心をする 言わば神様に近付く




その神様に近付く為の色々な手立て

これがやはり全てが必要だと思いますね




教えを頂く お参りをする

神様に向かい御祈念をする




その神様に近付く為の様々な手立てを

やはり講じなければいけませんね




その枯れ尾花が

簡単に歩いて近付く事が出来る事も有れば




そこの間に川があって 或いはその川を渡らなければ

近付く事が出来ない と言う事も有りましょう




いずれにしろ近くに行けば

その正体がハッキリする訳です




近くに行かないから 遠くの方から見て居るだけだから

幽霊に見えてしまう 難儀に見えてしまう




神に近寄る様にせよ

どう言う手を使ってでも良いから とにかく神様に近付こう




神様に近寄ろう

神様の御心が分かりたい 神様の御心に近付こうと




神様の心に 神様に近付くところに初めて

その難儀の正体と言うものが いやこれは難儀ではなかった




いやこれは幽霊ではなかった 枯れ尾花であった

これは神愛であったと言う事が分かる




分からないのは それは遠目に居るからだと

神様から遠い所に居るからだと




どうでも私どもは それこそ信心してやれと教えて下さる

これは神様に近付けと言う事だとやっぱり思いますね




神様に近付くその信心をさせて頂かなければ

難儀の正体が見えませんね




難儀の正体見たり神愛

と言える様になる為には




やはりどうでも神様に近付こう

近付こうと言う信心をさせて頂かねばならない と言う事ですね




一歩でも神様に近付く信心精進をさせて頂きたいものですね

そうでなければ難儀が 正体が分かりません




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿