今日も和賀心学 (2022-05-24)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
信心は有難くなる稽古と言われる。そして通常は有難いと感じる量を問題にする事が多い。1日に10回、100回とか。実は有難さには量と質が有る。本当は量より質を高めて行かなければならない。有難さの質を高める。好都合な事に有難さを感じる有難いから、神様の氏子を想う親心に触れての有難さへと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 214頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第7節
天地金乃神は昔からある神ぞ
途中からできた神でなし
天地ははやることなし
はやることなければ終わりもなし
天地日月の心になること肝要なり
信心はせんでもおかげはやってある
天地は流行ることも終わることもなし
然れども人間の住む地球上には どんな変化があるかわからない
今 地球は 寒天危地 にさらされている
その様な現状の中でも
特に地球上にさまざまな大きな変化が起こっていることも
由々しき事と思われます
神さまはいつも人間氏子を中心にお働き下さってあることを思う時
人間も又神様中心の生き方にならせて頂く生き方を悟らねばならぬ
重大な時期にあると思います
即ち 寒天危地 を 歓天喜地 に
その働きを受けるには
信心はせぬでもおかげはやってある おかげに気づき
神恩報謝の神さま中心の生き方を身につけねばなりません
和賀心時代を世界に開く運動がいよいよ急を要します
神様からおかげを頂いている私ども
そのおかげを頂いて 有難いと感じる
先ず信心の原動力と言うのでしょうか
そのやはり有難いものを頂くと言う事だと思いますね
信心して悲しい事ばかりであったり
信心して辛い事ばかりであるならば 信心しようとは思いませんね
やっぱり信心して有難い事
楽しい事 愉快な事
そう言うものが有るからこそ
信心をさせて頂こうとするのだと思いますね
信心して不幸になるなら
信心をしようと言う人は皆無だと思います
信心してやはり幸福になれると思うから
信心をしようと言うのだと思いますね
信心は有難くなる稽古 と
その信心と言うものがどう言うものかを教えて下さいますが
その有難くなる稽古 有難いと言う
私どもの心の中に有難いと言う心が湧いて来る 感謝の心が起きる
今朝はその有難いと言う事の
量と質と言う事を教えて頂いた様に思うのですが
有難いにもその質が有ると 内容と言うのでしょうかね
その質が高まって行かねばならない
質の良い有難いでなければならない
そう言う質の良い有難いが育って行かねばならない と言う事なのですね
その有難いの質が高くなって行かないと
本当に神様と通うと言う事が出来ないと
そうですね 有難いを一日千遍唱えると致しましょうか
それは千回有難いと言う事ですから これは量でしょうね
三千回唱えたら三千回有難いと
量ですね
例えば今何か道を歩いていて困っていると
例えば自動車なら自動車で
バッテリーが上がってしまってエンジンがかからないと
そしたら隣に駐車していた方が助けて下さって
ケーブルで繋いで下さってエンジンがかかったと
有難いですね 勿論隣の人にお礼を申します
そして助けて下さった人に対して有難いと思います
先ず第一に自分が困った事を助けて頂いた
またその自分の都合の良い様に行った事
エンジンがかからなかったのが かかった事
その事が先ず第一に有難いと思いますね
これは大抵の人はそう思います
おかげ信心と言われます
その困った事が有る
神様に 困った時の神頼みで お願いをする
そして首尾よく行く様になる
自分の願い通りに行く様になる 思い通りに行く
そこに感じる有難いと言うものが有ります
自分の思い通りに事が運んでの有難いですね
これはいわゆる有難さの質から言うと 程度の低い
質の悪い有難さと言う事だと思いますね
こう言う有難さは誰でも
それこそ親切を受ければ
自分の思い通りになれば 誰でもが有難いと思う そう言う有難さを
量的に幾らこなしても 神様に響くと言う事ではない
例えばそう言う自分の思い通りになる有難さ
色々な有難さが有りますね
それこそ命ある事の有難さと言う事も有りましょうけれども
命があって有難い これなども質的に言うと
自分がいわゆるおかげを受けて 自分の好都合になって有難い
と言う有難さですから 質的にはそう高い有難さではないと思いますね
手の動く事が有難い 目が見える事が有難い
おいしく頂ける事が有難い
色々数え上げる事が有りますね
そして色んな事にお礼を申す
そう言う有難いの量を幾らこなしたからと言って
例えそれが そう言う有難さを
百の有難さから千 万の有難いを探したとしても
それが天地に通う有難さではありませんね
幾らかは通うとは思いますけれども
質的にはそう高いものではない
質の高い有難さとは何か
それはいわゆる親切をしてくれた人の心に触れての有難さ
その自分の都合の良い様になったから
都合の良い様になっている事に対して有難いと感じる有難さではなく
その相手の心に触れての有難さと言う事ですね
神様の御心が有難い 神様の親切をして下さるその御心が有難い
と言う相手の心根が 心根に対して感謝の念が湧いて来る
そう言う有難さですね
例えば 手を動かす事が出来る 目で見る事が出来る
耳で聞く事が出来る事への有難さではなく
手を動かさせて下さる 目で見させて下さる
耳で聞かせて下さる その神様の恩と言うのでしょうかね
神様の御配慮 あるいは神様のその御心に対しての有難さ
言わば親の心が分かっての有難さと言う事になりますね
これは質が違うものですね
質が変わって来ます
その質が変わっての有難さ
神様の御心 神様が氏子をお守り下さるその御心に触れての有難さ
そう言う事になって来た時に初めて
天地に通う有難さ 天地に通う有難いと言う心だと言う事ですね
これなどはおそらく百も千も万もは要らない
たった一つ神様の心に通えば それで十分なのではないでしょうかね
それは質の低い有難さを千遍万遍感じるよりも
たった一つの天地の心に触れての その天地の親心に触れての有難さ
これはそれこそ量ではありませんね
やっぱり質です
量より質とか 質より量とか色々申しますけれども
やっぱりその有難さの質を追求して行く
神様の御心に触れての有難さを
感じさせて頂けれる信心を目指さねばならない
これはもういわゆるおかげ信心の域を超えた有難さ
と言う事になりますね
どうでも有難いと言うその内容を 質を高めて行く
そう言う信心に取り組ませて頂きたい
為にはやはり徹する事が要りますね
出来たり出来なかったり 困った時だけの神頼み的信心では
その御心に触れる事は中々難しい
やはり信心に徹し貫く 教えに徹し貫く
そこに初めて神様の御心に触れる事が出来る
その御心に触れての有難い
有難さを頂く事が出来るのではないでしょうかね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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