今日も和賀心学 (2022-05-09)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人が助かるとはどう言う事だろうか。思い通りに事が運ぶことが助かりの様にもあるけれども、ある人の思いが適う事は他の人の思いを害する事もある。万人の思い通りに事が運ぶことは少ない。一人一人が神様の御心に沿う生き様、即ち御神意を中心にした生き方になろうと心を定めた時に初めて助かりがある。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 309頁)
ビデオ: https://youtu.be/gO0e_SZeYJg
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/05-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-05-09.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御理解 第39節
此方の行は水や火の行ではない
家業の業ぞ
お道の信仰による行の目的は神に向かう神に近づくにあります
家業に精を出して居れば修行しているような思い方をしてはなりません
家業の行の中に真に有難し 又人が助かることさえ出来ればの精神が
育ってゆかねばなりませんが なかなか難しいことであります
そのような神心 奉仕の心が頂ける為にやはり火の行も水の行も
又心行も必要であります
すべての行はそこが体得出来て家業になり はじめて
家業即行 行即家業 ということが出来るのです
本来 修行の眼目は己を乱さないというにあります
火にも焼けない 水にも流されない自分を修めてゆくのです
神に向かうための形の行も心の行も
行という行がすべて大切であります
その精神を体得しての家業になりますと
教祖の神意 いわゆる家業の業の行の意味がわかります
心を乱さないと
人が助かる事さえ出来ればの精神が育って行かねばならないと
その私どもが助かる なる程 人が助かりさえすれば
助かる事さえ出来れば 人が助かる事さえ出来ればと
その 人が助かると言うのは
なる程人が助かる事さえ出来れば と言う心が育つ
ではその 人が助かると言うのは
どう言う事だろうかと思いますね
なる程私どもの意に適う事が起きて来る
私どもの思い通りに事が運ぶ そうすれば助かった様にあります
ですから人が助かり その人が助かる事さえ出来ればと言うそれは
ある人々がその人々の願い事が叶うと言うのでしょうかね
人々の願い通りになれば
それでその人達が助かる
助かる事さえ出来る それは人々がその人の思い通りになる事とは
また少し違う様に思いますね
世の中 私どもがその思い通りになる
私どもの意に沿う様に事が運んで行く
それが如何にも私どもが助かる事の様に思えますけれども
そうではない様ですね
何故ならば私どもの思い通りに事が運ぶと言う事は
中々そう上手くは行きませんね
どちらかと言うと 思い通りにならない事の方が多いですね
また私どもの思い通りに事が運んだからと言って
必ずしも全ての人が助かると言う事ではない
何と言いましょうかね あちらを立てれば こちらが立たず
こちらを立てれば あちらが立たず
と言う様なのが世間の常ですね
Aさんの利益になる事を
また Aさんが助かると思われる事をしていたら
それは Bさんが損をする事になった
Aさんを助ければ Bさんが不利益を被ると言うのでしょうかね
Aも Bも共に助かって行く
共に Aさんも Bさんも共に何と言いましょうかね
儲かると言えば
儲かって行くと言う事になれば良いのでしょうけれども
中々そうはなりませんね
あちらを立てれば こちらが立たずと言うのが
世の常と言うのか そう言う感じが致しますね
どちらも Aさんも立ち Bさんも立ち 全ての人達が立ち行く様な
そう言う生き方はないものだろうかと
その人々があの人もこの人も 皆の人が助かる 助かったと感じる
助かって行く為にはどうあったら良いのか
これはやはり先ず私どもの意識が
一人一人の意識が変わらねばならない と言う事だと思いますね
この神に向かう 神に近付くと有ります
神に向かう 神に近付くとは どう言う事だろうかと
私どもの意識が
やはり神様の御心に沿う生き方をさせて頂きたい
神様の御心に適う生き方をさせて頂きたい
と言うその 言わば御神意を中心にした生き方へと
私どもの意識改革と言うのでしょうかね
生き方改革と言うのでしょうかね
そう言うものがなされねばならない それがなされなければ
いつまで経ってもいわゆる真実に助かると言う事にはならない
助かった心を頂くと言う事は出来ない
と言う感じが致しますね
私どもの思い通りに事が運ぶ事は中々有りませんね
私どもの思い通りに事が運んだら
今度は Bさんの思いが遂げられない
と言う事になりますからね
私どもが それこそ神様の御心に適う生き方 いわゆる
御神意に沿った生き方をさせて頂こうと言う心に意識が変わった時に
それこそ勿論私が神様の御神意に沿う生き方をさせて頂こうと
また Bさんもやはり神様の御神意に沿う生き方をさせて頂こうと
世の人々がそれこそ全ての人々が神様の御心に適う
御神意に沿う生き方にならせて頂こうと言う意識になった時に
初めて神様の下に 何と言いましょうかね 全てが
人が一丸となって助かって行く世界が実現せられると思いますね
自分勝手の生き方を 自分の思い通りになる事が助かりだと
言う世界は殆どそう言う世界は来ませんね
私どもの心が神様の御心に沿う 御神意に沿う生き方をさせて頂こう
と意識が変わる所に
初めて助かりの世界が訪れる
と言う様に思いますね
先ずは私どもが
自分の思い通りになる世界の実現を目指すのではなく
神様の思い通りになる世界 神様の御心に沿うた
御神意に沿うた生き方にならせて頂こう
と言う意識に変わって来なければならない
そこに初めて人類の真の助かりも有る
個人個人の個々人の一人一人の助かりも
そこに有る 見い出されると言う事になると思いますね
どうでも一人一人の意識が
自分の思い通りになる事を願う信心から
神様の御神意に沿う生き方にならせて頂きたいと言う意識へと
変わって行かねばならない と言う事ですね
どうでも御神意に沿う生き方にならせて頂きたい
と言うそう言う心を頂きたいと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿