今日も和賀心学 (2022-05-19)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、人間の難儀の元は我が心にあると頂いた。中でもその難儀の元の一つは自らの心の汚れに気付かないことだと。人間は自分の顔に付いた汚れが見えない様に自分の心の汚れもやはり自分自身では見えない。自らの心の汚れを映し出す鏡を前に立てなければ見えない、その鏡こそ起こり来る事柄だと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 110頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
我情我欲を放れて真の道を知れよ
我情我欲を放すとは 無心没我とは内容が違う
我情我欲を放れると いよいよ情が強く深くなる
欲は益々 膨れてくるものである
私心を放れての欲であり情である
私心を放れての欲であり情であると
その情は神心 神情と言う情だと思いますね
またその欲とは 人を助けたい
人が助かる為ならば と言う欲だと思いますね
私どもには欲が有ります
その欲も良い欲も有れば 悪い欲も有る訳ですけれども
中々その悪い方の欲に気が付かない
と言うのでしょうかね
今朝は人間の難儀の元は我が心にある
と頂きました
おかげは和らぎ賀ぶ和賀心にある
ですけれども
また難儀もまた その難儀の元を辿ってみれば
それはやはり我が心にありと
これは和らぎ賀ぶ和賀心ではありませんね
どちらかと言うと己が心と言う事でしょうかね
難儀の元は我が心にある 己が心にあると言う事でしょうね
そしてまたその中の一つに
自分自身の心の汚れが見えない 分からない
それがまた難儀の元だと言う事なのですね
その我情我欲 自分の我情我欲が見えない訳です
自分の我儘さ加減が見えない 分からない訳ですね
ある先生は 見ること 見ること 自分を見ること
と教えて下さいましたが
その自分を見る事が中々出来ない
人間の目は外を見る様に出来て居るからでしょうかね
その自分が見れない 自分の心の浅ましさ
自分の心の欲深さ 自分の心の汚さ
その自分の心が見えない事がその難儀の元の
難儀の元の一つになっていると言うのですね
なる程御教えを頂き 心を磨く事だ 清める事だ
この世には魂を磨きに来たのである と教えて下さいますから
なる程そうだなと思います そうだなとは思いますけれども
現実問題として 自らの心を磨こうと言う事を中々致しませんね
何故か それは自分の心の汚れが見えないからです
自分では綺麗なつもりで居るからですね
自らの顔の汚れが見えないのと同じかもしれませんね
自分の手や足の汚れは見えますけれども
肝心要の顔の汚れと言うのは自分では見えませんね
分かりません
誰かに 顔に墨が付いてるよとか
顔が汚れてるよと指摘されるか
或いは鏡を見て 鏡に映った自分の顔を見て
ああ汚れていると気付くしか有りませんね
何か有りましたね
誰かが水面に映った自分の顔を見て それが自分とは分からずに
別の人だと 誰かがそこに居ると そう思ったと言う
何かそう言うお話が有りますね
自らの心も それこそ自分の心が汚れているにも関わらず
それは自分の心が汚れているのではない 誰かの心が汚れているのだ
汚れている心の人がもう一人そこに居る
と言う風に思ってしまうのではないでしょうかね
自らの心の汚れを映す鏡
それは自らの周りに起こって来る事柄
それこそ起こり来る事柄を通して
自らの心の汚れを神様が見させて下さる と言うのでしょうかね
あなたの心のここが汚れているよ ここを洗わないといけないよ
とその起こり来る事柄をもって教えて下さる
ところがそれが自分の心の汚れとは中々思えないと言うのか
気付かないのですね
あの人の顔が汚れているのだ
あの人の心が汚れているのだ
これはあの人の我情我欲だとしか見えない
それが自分の心の映し鏡であると言う事に中々気付かない
人間の難儀の元の一つは
その自らの心の汚れに気付かない事だと言う事なのですね
それは丁度自分の顔に付いた汚れが
自分では見えないのと同じだと
何か鏡になるものを前に立て そしてそれが鏡である事
自らの顔を映している鏡である事をしっかりと分からねばなりませんね
そしてその起きて来る事柄が 私どもの心の鏡である
私どもの心を映している 私どもの心の汚れを映している鏡である
と言う事をしっかり認識していないと
それが誰か別の人の顔の汚れであったり
別の人の心の汚れであったり と思ってしまう訳ですね
どうでも先ずは自分自身の心の汚れに気付かせて頂く
その為に鏡を立てる その鏡が何であるか
今直面している それはあの人の心が汚れているのではない
これは私の心が汚れている それが映し出されているのだと
言う事をハッキリ分からねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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