2022年5月21日土曜日

屑の子吾の自覚が深まれば深まるほど有難さが膨らむ (2022-05-21)

 今日も和賀心学 (2022-05-21)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


どうしたら有難くなれるか。勿論おかげを頂くと有難くなるのであるからおかげを頂くと言う事になる。2つ有る。一つは自らの心を育てる事に焦点を定めること、2つ目はクズの子吾の自覚が愈々強く深くなること。信心も出来ていない屑の子なのにかくもおかげを頂いてとおかげの有難さの実感が愈々強くなる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 249頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第19




金光大神は形がのうなったら

来てくれと言う所へ行ってやる




時間空間を問わない自由無碍の働きを現わして下さるのであるが

私共は一歩でも金光大神に近づかせて頂かねばなりません




金光大神も楽

私どももおかげの早道でもある




それには ぎりぎりの自分を発見し

そこからの出発であり 一念発起でなければなりません




四角四面の鏡の中に入れられた蝦蟇は

自分のきたなさ あさましさに苦しみ




タラリタラリと脂を流した

其の脂を練り上げたものが切傷の特効薬となる




これはガマの膏売りの口上である

私共も教えの鏡をみたら 自分のきたなさ




あさましさがうつし出されてくるのである

それが自らの発見ともなるのである




御道の信心は有難くなる稽古

と教えて下さいます




また師匠は 日本一有難い私になろうと

そこを目指せと これは確か神様からお知らせを頂いて居られますね




それで日本一有難い私になろうと

そこを目指された




さてその 信心は有難くなる稽古だと




そしてまた或る先生などは一日に千回 或いは 3千回

有難うございますを唱えると言う事を提唱される先生も居られますね




そしてまた有難くなくとも 有難いと言っておれば

嘘から出た真で本当に有難くなると言う事も有ります




しかし実際問題としてなる程有難くなる稽古だと

年が寄るほど位が付くものだと




信心の位が付くと言うのは

有難くなると言う事だと思いますね




信心して有難くなる その有難くなる稽古だとか

有難くなりなさいと教えて下さるけれども




どうしたら有難くなれるかと言う事は

中々教えて下さらない様な感じが致しますね




おかげを頂いて有難い

今 それこそ難はみかげと言われる だから有難いのだとか




一切神愛だから

それが分かれば有難いのだとか




有難くなりなさいと言われるけれども

何故有難いのか どこがどう有難いのか




と言うその有難くなる手立て その術は中々教えて頂けない

と言うのか 分かり難い所が有りますね




今朝はそこの ではどうしたら有難くなれるのかと言う事を

にやはり 2つの事を教えて頂きました




その一つはこれはいつの場合も共通な様ですけれども

自らの心を磨く 魂を清める ここに焦点を定める事だと




そうすれば 例えば自分にとって嫌な事柄が起こって来る

難儀だなと思う事が起こって来る




それとても あぁこの事によって私の心を磨かせて下さるのだ

このここを改まる事によって一回り大きくなる事が出来る




と言わばその事柄が 全てが自らの心を育てる事の為に有る

と分かれば 例え嫌な事でも この事で育てて下さるのだ




この事で大きくならせて下さるのだ とお礼が言える

そう言う心持ちになれるのですね




ですから先ずは自らの心を育てると言う事に焦点を確かに定められたら

有難くなる事も その機会が増えると言う事になりますね




また本当に これでまた大きくなれるぞ これでまた改まれるぞ

と嫌な事の中にも有難いものを見い出して行く事が出来る




ともう一つは

吾屑の子の自覚に立つと言う事




その 吾屑の子と自覚に立つと言うより

吾屑の子である事を発見すると言う事でしょうかね




正に今日のミニ御理解だと思いますね

自分の汚さ 浅ましさが映し出されて来るのである




それが自らの発見ともなるのである

と 自らを発見する 何を発見するか




あぁ私の心は大きいな

私の心は美しいなと言う事では有りませんね




何とまあ私の心は

未だ未だこんなに汚いのだろうか




どうして未だ未だこんな心が小さいのだろうか

と言ういわゆる自分の汚さ浅ましさ




その自らの心の未熟さと言うのでしょうか

やはり一言で言えば屑の子と言う事ですね




何と汚い心を持っているのであろうか

と自分の汚さを発見する




そして信心しておかげを受けてと 言われるけれども

その信心しておかげを受ける その信心が如何に未熟であるか




信心が如何に足りない おかげを頂く為の信心が

とても頂けれる様な私ではない




と その屑の子の自覚に立つ

と言うのでしょうかね




そしてそこから 何とまあ私の様な屑の子

信心も出来ませんのに それでもこの様なおかげを頂いている




と言うそのおかげを頂いているその実感が

有難いものになって来ますね




屑の子だから有難いと言う訳ではない

と思いますね




勿論屑の子である事が分かれば

よしここから未だ未だ伸び代が有るぞと




自分の伸び代を発見して有難くなる

と言う事も有りましょう




また同時にこの様なそれこそ

信心しておかげを受けてくれよと言われるけれども




その信心も出来ていない

こう言う未だ未だ汚い浅ましい私であるにも関わらず




この様なおかげを頂いて 有難いものだと

言う思いが一層強くなって来ると言う事ですね




信心も出来ませんのに 心磨きも十分では有りませんのに

未だ未だ小さい浅ましい汚い心がこんなに沢山有りますのに




にも関わらず この様なおかげを頂いて 言わば

過分なおかげを頂いて居ります と言う心がそこに湧いて参りますね




より一層有難くなる ためには

より一層おかげを頂くと言う事で有りますけれども




そのより一層おかげを頂いていると言う実感を強める 深める為には

自分がどれ程の屑の子であるか その自分の小ささと言うのでしょうか




屑の子吾の自覚が愈々深まれば 強まれば強まる程

今頂いているおかげと言うものがより一層有難いものになって来る




正に信心は出来ませんのに この様なおかげを頂いて

勿体無い 有難い 畏れ多い事だと言う事になって参りますね




こんなに信心するのに

これ程朝参りをするのに




これ程教えを頂いているのだ これ程信心に取り組ませて頂いている

と言うそこにはおかげが頂き足りん様な心しか湧いて参りませんね




どれ程おかげを頂いているかと言う実感 それが愈々強まる 為には

吾屑の子の自覚が愈々強まる事だと言う事ですね




その吾屑の子である

と言う事の自覚が出来て初めて




それこそ限り無いおかげの世界もまたより一層限り無く

広く強くなって来るのではないでしょうかね




有難くなる稽古 それはまた

屑の子である自分を発見して行く




そこに有難い心もより一層強くなって来る

と言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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