今日も和賀心学 (2022-05-03)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人間にはどうしても自分に都合の悪いものは排除しようと言う意識があるようだ、それで争い事も絶えない。私どもの日常生活の中にも御道の中にも大小はあってもコンフリクトがある。我情我欲のぶつかり合いなのだろう。本気で人類が土の心を、天の心を、日月の心を身に着けようと焦点を定めない限り争いは無くならないのだろう。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 232頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第13節
神は向こう倍力の徳を授ける
皆さんが このように炎天下 夏期信行に打ち込んでおられますが
これで徳をうけることにはなりません
お徳をうける肚作り 又は心を練る修行をなさっておるのです
徳を受けるチャンスは いつもある訳ではありません
いよいよの時 迷わんですむ 動じないですむ
生命をかけての信心が出来ねばなりません
即ち ままよの心 です 背水の陣です
一切をまかせきっての次の信心姿勢一つが徳をうける極手です
一切を任せ切っての次の信心姿勢一つが徳を受ける極手です
と師匠は教えて下さいます
その一切を神様に任せ切る
ここがいわゆる信心させて頂く者
御道に御縁を頂く者のやはり何と言いましょうかね
究極の頂かねばならない所だと言う感じが致しますね
昨日はある映像ですか この百年の映像と言うものを
何か番組があって居りましたので観せて頂きましたら
まあ何と人間と言うのは 酷い事をするものであると言うのか
そのなる程良い歴史も有りましょうけれども
その一つに戦争の歴史があって居りましたが
この百年間で起こって来た人間同士の争いと言うのでしょうか
国と国との争いと言うのでしょうか
国と国との争いと言いますが
結局それは人間の何と言いましょうかね
我情我欲のぶつかり合いと言う事になるのでしょうかね
この百年の間に様々な争いが繰り広げられて来たのだなと
改めて知らされた感じが致しました
人間は酷い事をするものですね
何とも悲しい歴史です
どこにそのこう言う人間が 何と言うのでしょうかね
惨たらしいと言うのか 事をする様な人間になるのだろうかと
これは何も世界の戦争の歴史ばかりではありません
翻って御道の中を見てみた時も
そのこれは御道の中と言えども
この人間の戦争の歴史と似た様な事があっているなと
そう言う縮図が有るものだなと言うものを感じさせて頂きました
これは私どもの身の上においてもやはりそう言うものが有りますね
これはよほど宗教家と言うのでしょうか
よほど心してかからなければ
自分達もまた その戦争を起こした人達と同じ様な事を
それはその戦争と言う事ではありませんけれども
似た様な同じ様な心の状態で 同じ様な事をしておるものですね
また私どももそう言うものをされておるものを感じますね
どこにこの人間の何と言いましょうかね
その改まるべき所と言うのか
根本的に人間が変えて行かねばならない所が有るとすればそ
れは何処だろうかと思います
そしてそう言う思いの中に頂きました今朝の御理解
神は向こう倍力の徳を授けると
神様に向かうと言う姿勢でしょうかね
どうしても人に向かってしまう 人間に向かってしまう
ですからどうしても人と人との対立
自分の意見に合わない者は排除しようとする
あるいは無くしてしまおうとする
自分の気に入ったものだけしか残さないと言うのでしょうかね
そう言う人が人に向かう所に恐ろしい事にもなって来る
やはり私どもが身に着けねばならない
変わって行かねばならない いや変えて行かねばならない
それはやはり一切を神様の御心に 私どもが心を向けると言う
神様をやはり中心にした世界 心にならなければ
とても世界の真の平和と言うものは本当に来ないだろうなと思いますね
師匠がその両手を上に上げた者同士が その上で手を結ぶのでなければ
横で手を結ぼうとしても決して世界の真の平和は達成されないと
その手を上に上げた姿
それは言わば神様に対して降伏をした姿
神様の前に何と言いましょうかね
皆が手を繋いで行くと言うのでしょうか
神様を中心にした生活の中に手を繋いで行く
一切をそれこそ神様の御働きとして頂く
そう言う人同士の集まりでなければ
世界の真の平和は訪れない
しかしかと言って信心の無い人達を除けてしまおうと言う様な事では
またこれは同じ過ちを繰り返す事になります
信心が有る者も 信心が無い者も皆が仲良くして行く
その信心が有る者も無い者も それら一切を神様の御働きとして
私どもが愈々大きな心になって行く以外に有りませんね
とかく信心仲間と言うのでしょうかね
それこそ同じ仲間の者 同士は上手くやって行くけれども
別の流派であったりすると
またそれは疎んじたり遠ざけたりしてしまいがちですけれども
そうではなくその一切をそれこそ流派が例え違っていようと
それとても神様の御働きとして一切を受け貫いて行く
そう言う信心が本当に浸透しなければ とても世界の真の平和と
言う事にはならないだろうなと言う感じが致しますね
そのご流儀と言うものが有りますけれども
なる程その流儀に則って行くのは素晴らしい事ですけれども
他の流儀を排すると言う様な事ではいけませんね
やはり他の流儀もまたそこに認めて行く
あれが有っても良い これが有っても良いと言う世界ですね
一切のものをあるがままに それで良いのだと頂いて行く世界
その自分の気に入るもの以外は排すると言うのではなく
例え気に入らないものでも あるものとして一切合切を頂き貫いて行く
そう言うこれは
心がよほど広くないと
そしてまたそれら一切を神様の御働きとして頂き得る
土の心でしょうかね そう言うものが愈々身に着かなければ
どうしても自分に反対する人を
あっちに押しやったりする心が湧いて参りますね
一切を神様の御働きとして受け貫く心が
やはり私どもの中に出来なければ
とても世界の真の平和は訪れないだろうなと
どうでも一切の働きを神様の御働きとして
頂き貫いて行けれる心を作らせて頂きたいと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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