2022年5月18日水曜日

起こり来る事柄を神様の働きと見る生き方 (2022-05-18)

 今日も和賀心学 (2022-05-18)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


昨日から、師匠大坪総一郎師が教えて下さる「成行き」を「起こり来る事柄」と頂く事にしたら、何とその守備範囲が一気に広がった。言霊と言われるが言葉には不思議な力も有る様だ。それは或る御信者さんのお届けも御信者さんの身の上のみに止まらず、私自身の身の上にも起こり来った事柄と見えて来た。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 134頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




慢心が大けがのもとなり




信心はえらくなるためでもなければ

かしこうなるためのものでもない




信心は有難うならせてもらう稽古である

おかげを受けるために信心すると おかげを受けて慢心になる




信心 真心 神心を求めての信心には 慢心の出ようがない

が 慢心が出るほどのおかげも受けてみたいものです




おかげを受けると申しますが そのおかげを受けても

受け足らん様な世界が有るものだと思いますね




これだけ受ければ もうそれで良いと言うものではないですね

慢心が出ようが無い世界




それは未だ未だおかげを受ける 受け方が足りない

と思える信心だと思いますね




それもただおかげが受け足りん様に思うて居ると言われる様な

そのおかげの受け方が足りんと言うのではなく




もっとおかげを受けなければならない事が沢山有る

と実感出来れる信心ではないでしょうかね




少し語弊が有る その誤解を受け易い表現かもしれませんけれども

それはこう言う事ですけれども




実は昨日 成行きと言う表現を 起こり来る事柄

と替えてはどうだろうかと思わせて頂きましたね




それでその替えてみた訳です




そうしますと 成行きは神の働きだと教えて下さる

それこそ成行きを大切にせよと教えて下さる




これを起こり来る事柄は神様の御働きだ

起こり来る事柄を大切にせよ と言う事になりますね




そうしましたら

今まで私が成行きとして感じていたもの




それよりも更に広い範囲 広範囲にわたって

ああこれは起きて来る事柄なのだなと




その起こり来る事柄と言うものが

世界が広くなった感じがするのですね




言霊と言われますけれども

言葉の持つ何と言いましょうかね




感覚と言うのでしょうか 言葉に対する感じと言うのでしょうか

やっぱり違うものですね




今まで成行きと表現していた時には

それこそ自分の身の上に起きて来る と言うのでしょうか




狭い範囲のものを成行きとして

しか捉えて居りませんでしたけれども




その起こり来る事柄と表現した時には

何かもっと広い範囲に で感じる様になったのですね




それはどう言う事かと言うと

昨日ある方からお電話を頂きましたけれども




そのいわゆる妹さんが転んで骨を折られたと

それで お願いしますと言った様なお話でしたけれども




今まではその事をいわゆる成行きとは

私は頂けて居りませんでした




けれどもその 起こり来る事柄と頂いた時に

あぁこれは起こり来たった事柄だなと




何か自分の身に起こって来た事柄の様に感じたのですね




何と言いましょうかね

そのお届けが有った そしていわゆる難儀をして居られる




その事が我が身に起こって来た事の様に感じた訳です

それまではその 成行きと言えば これはあの人の成行きだ




これはこの御信者さんに起こって来た成行きだ

と言う頂き方だったのが




起こり来る事柄と表現した時に

その確かにその御信者さんに起こり来たった事柄ですけれども




その事が いやこれは私にも起こり来たった事柄だと

その起こり来る事柄と言うその事柄の範囲が




私の身の上に起こり来る事柄

それが範囲が広く感じる様になったのですね




師匠が感じて居られた世界は

こう言う世界ではなかろうかとも思わせられたのです




言わば御信者さんが

困った難儀のお届けが有る




そのお届けを それは御信者さんが抱えている問題としてではなく

師匠に 師匠が抱えている問題でもある




私に対して神様が下さった問題でもあると頂ける訳ですね

そう頂いて居られたのではないかと




ですから一切神愛と言われますけれども

その神愛と言うのは その御信者さんに対して神愛と言うのではなく




これは私にとってもその御信者さんが頂かれている難儀が

神愛として頂けれるかと言う問題にもなりますね




こうなると

おかげを頂かねばならん事が一杯増えて来る訳ですね




ただ自分さえ結構毛だらけであればそれで良い

それでおかげを頂いているのかもしれませんけれども




沢山な難儀な人が居られる その沢山な難儀な人の上にもおかげを頂く

と言う事が 実は私がおかげを頂くと言う事と同列な訳ですね




してみるとおかげを頂いても頂いても頂き足りない訳です

何故ならば困った人が沢山居られる訳ですからね




これでおかげを頂いて十分だと

言う事にはとてもならない訳ですね




起こり来る事柄 それが神様の御働きであり

その起こり来る事柄を大切にする と言う事は




お届けのあった人達 その人達 その方達の難儀全てが

私の身の上に起こって来た事柄でもある訳ですね




何か特殊相対性理論からいっぺんに一般相対性理論に

世界が替わった様な感じが致しましたね




ですからこの起こり来る事柄 それを大切にする

それを神様の御働きと頂く と言う事になれば




とてもおかげを頂いた あー良かったと言う事には止まらない

未だ未だおかげが頂き足りない




何故ならば あの人も困って居られる この人も困って居られる

沢山の人が困って居られる人が多い訳ですから




その方達もおかげを頂かねばならない

とても慢心の出ようなどは有りませんね




おかげを頂かねばならない事が山積みしている訳ですからね

と言う様に私の頂き方が変わって来たと言う事ですね




なる程起こり来る事柄と言う頂き方は その守備範囲をも広げる

そう言う感じが致しますね




これは私がその言葉に対する感覚ですから これは人によって違う

とは思いますけれども 今の私にはそう言う感じが致します




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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