今日も和賀心学 (2022-05-20)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
朝、目覚めて有難い、美味しい物を楽しく食べれて有難いと思う。それが、朝、目覚めさせて下さる神様、美味しい物を楽しく食べさせて下さる神様のおかげを頂いていることの有難さ、目覚めさせて頂いて有難い、美味しく楽しく食べさせて頂いて有難いと神様の親心をフィーリングで感じられたら更に有難い。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 158頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
天が下に他人ということはなきものぞ
一体 人間というものは科学が造ったものか 医学で出来たのか
それとも神が造ったものかを よくよく考えてみるがよい
勿論 科学者又は医者といえども科学が造った
医学で出来るとも思うまい 神が造った に異論はあるまい
この論法から言うても大祖は神御一人ということになる
他人などあろうはずがない
他人などあろうはずが無いと
そのこれは神様が私どもの親様であると言うのでしょうかね
よく宗教によっては創造主と言う様な事を申されますけれども
その創造主 創造主と言うのでしょうか としての神様
神様に造ってもらった私どもと言うのでしょうかね
造られた私どもと言うのでしょうかね
そう言う言わば親としての神様を
これが実感として頂けたらこれは素晴らしい事でしょうね
自分の親を やっぱり親として頂けれる
もし神様の事を我が親のように頂けるならば
これは感覚ですからね
その教えられて 神様は人間の 私どもの親だよと言われて
ああ 親ですかと言う事になるのでしょうけれども
私どもの言わば肉親の親にしろ 育ての親にしろ その親に対して抱く
中には悪い親も居られるのかもしれませんけれども
概して良い親と言うのでしょうか 親心と言うのでしょうか
その親に対して抱く心 これは何と言いましょうかね
教えられて分かるものでもなく
その関わり合いの中と言うのでしょうか
何かしら特別のものが有りますね 感じるものですね
それと同じ様なものを やはり神様に対しても 親神様として
それこそやっぱりこれはフィーリングと言うのでしょうかね
実感として持てれる様な
そう言うおかげを頂きたいものですね
その為には 日々に神様のおかげを頂いているなあ
と言うその実感の積み重ねがやはり要りますねぇ
遠くの親戚ですか より近くの他人とか申されますね やはり
近くで親しくしているとそれだけ情も湧きます 恩を感じます
神様もやっぱり 神様との恩を感じる 情が通う
これは神様とやっぱり日々近しい間柄と言うのでしょうかね
密接な間柄が出来てなければ
それこそ一年に一遍会うとか 十年に一遍会うとか
それ位で情が通うとは思えませんね
やっぱり毎日会っている 毎日それこそ同じ屋根の下に住んでいる
とそう言うそこにはやっぱり情が通って来るものですね
神様と私どもの間柄も
やはり困った時の神頼み的な信心で
困った時に頼むと言う程度の事では
情が通い合うと言う事は無いのかもしれませんね
有るかもしれませんけれども
少ないと思いますね
困っている時も 困っていない時も いつも神様と一緒に居る
そう言う 吾 神と共にありとか 神 吾と共にありとか
そう言うやっぱりこれはフィーリングですね
そうなった時に
それこそ神様を親とも実感として
感じれる様になるのではないでしょうかね
そして親孝行の心で 神孝行
神様孝行も出来る様になると
為にはやはり日々の中におかげを頂き続ける
神様のおかげを頂いているなぁ それこそ親様から守られているなと
親の愛を感じる そう言う日々であって初めて
やはり親孝行の心も起こって来るのでしょう
例えば親からいじめられてばっかり居る子供が
最近はドメスティックバイオレンスとか
親からいじめられる子供が居られますね
そう言う親からいじめられる子供が
その親に対して親孝行の念が湧くとか 起こるとか
親の為ならばと言った様な心が起こり様は有りませんね
やはり憎しみの様なものが
起こって来るのではないでしょうかね
やはりその親切を受けて おかげを受けて初めて
こちらも報いたいと言うのでしょうか 親孝行の心も湧いて来る
その 神様のおかげを頂いていると言う心が
私どもの中に育って来なければならない と言うのか
実感として感じ続ける事が大切だと思うのですね
今朝なども朝目を覚まさせて頂き 目を覚まして有難いなと
今日もまたお生かしのおかげを頂いている
今日も命を頂いている
と大げさに言えばそう言う事になるのでしょうけれども
とにかく目が覚めて有難いなぁと思います
そしてまた美味しいものをそれこそを楽しく頂ける
そこにまたは美味しいなぁ 楽しく頂けて有難いなと思います
そこまではそれで良いのですけれども
それはどこまでも自分がおかげを頂きたい 朝目を覚ましたい
この時間には起きたいと思う時間に起きる事が出来る
神様を目覚まし代わりに使っている様なものかもしれませんね
それはそれで良いのでしょうけれども
その私が言いたいのは その あぁ目が覚めた 有難い
美味しいものが楽しく頂ける 有難い
それはそれで結構なのですけれども
そこからもう一歩
その神様のおかげで
あぁ神様がそれこそ今日も目覚ましのおかげを下さったな
今日もまた美味しく楽しくお食事をさせて下さっている
その神様が 私どもにいわゆるおかげを頂いて
神様のおかげを頂いて今の時が有ると言うのでしょうかね
神様のおかげで お目覚ましのおかげを頂いた
いや神様が目覚めさせて下さった
今日もまた神様が目覚めさせて下さったなぁ
今日もまた神様が美味しく 楽しく頂かせて下さっている
と言うその神様の御心に触れての有難さと言うのでしょうかね
美味しいものを食べられるから有難い
確かにそうです
朝起きれたから有難い
確かにそうです
けれどもそのもう一つ向こうに有る
神様が目覚めさせて下さった
丁度良い時に目覚めさせて下さった
その親の心と言うのでしょうかね
その神様の御心に触れる有難さ
と言うものをフィーリングとして感じさせて頂きたいと思いますね
そこに感じるおかげと言うのでしょうか
それは自分にとって都合が良いから有難いと言うおかげではなく
もう一つ 神様のおかげを下さる その神様の御心に触れての
御心を感じての有難さと言う事になりますから
これはまた同じ有難いでも
神様に通う有難さと
私どもだけの有難さと またダダメが違うと言うのか
値打ちが違って来ますね
そしてその神様の御心に通う様な
神様がそれこそ目覚ましのおかげを下さった
目覚めさせて下さった 美味しく楽しく頂かせて下さっている
その事へのいわゆるおかげを下さっている
おかげを頂いている事への有難さ そのフィーリングですね
これは そう言うものを頂き続ける時に 初めて
神様への親孝行の心と言うものも
段々育って来るのではないでしょうかね
目覚めさせて下さる神様に御縁を頂いている事の
有難さも有りましょう
美味しく楽しく頂かせて下さる神様を頂いていると言う事の有難さ
有難さにも色々有るものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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