今日も和賀心学 (2022-01-31)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は、神の言うた通りにする者が少ない、と頂いた。教祖様が仰って居られる様に先ずは、神様の仰せ通りに仕り候と言う信心をさせて頂き、神様から、この氏子は試し様が無いと言って頂ける様な信心にならねばならない。その先に、雨が降るからおじゃるなと言うに濡れておじゃれば尚可愛いと言う世界がある。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 367頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第58節
人が盗人じゃと言うても 乞食じゃと言うても
腹を立ててはならぬ 盗人をしておらねばよし
乞食じゃと言うても もらいに行かねば乞食ではなし
神がよく見ておる しっかり信心の帯をせよ
はやり唄にも 松葉の模様が気に入った枯れておちるも二人づれ
この打ち込みがあれば信心も本当な者だが
又の文句に 紅葉の模様が気に入らぬ紅葉色づきゃ秋が来る
と言うが これではならぬ
信心も少しはわかり佳境に近づいて来る
何かがある もう動揺する
信心の帯がシッカリ出来ておらぬからである
信心は神が見給う聞き給う世界に生きぬくことである
神が見給う世界
神様は氏子の何を見て居られるのでしょうかね
今朝 心中祈念に頂きます事は
神の言うた通りにする者が少ないと
神が言うた通りにする者が少ない
と頂きました
この御道の始まりを思うてみますと
やはり教祖様が神様の仰せ通りに仕り候
と言う所から始まっている様な気が致しますね
勿論他にも有るでしょうけれども
神様の御信用を頂く
言わば神様との間柄が愈々深まって行くと言うのでしょうか
それは教祖様が
神様の仰せ通りに仕り候と言う所に有ると思いますね
それこそ神様が右に行けと言われたら 右に行かれる
左に行けと言われたら左に行かれる
これがもし神様が右に行けと言うのに
天の邪鬼で左に行く様な事であったのでは
それこそ教祖様が
この氏子は試し様が無いと仰られた様な事にはなって来ませんねぇ
それこそ神様が教祖様を試された そしてその試される通りに
右に行けと言えば右に行く 左に行けと言えば左に行く
その仰せ通りに仕られた
そこに神様の御信用もついて来たのではないでしょうかねぇ
神様が右に行けと言われるのに 左に行く様な
それこそ自分の我情我欲を出して
自分の思う通りに行く様な事であったのでは
神様の仰せをないがしろにしている事になりますから
この氏子には何を言っても埒が明かない
と言うのか
折角教えてあげたのに
その通りに守ってくれないと見放されると言うのか
この氏子にはもう教えてもしょうが無い とやっぱり
神様から見放されてしまう様な事にもなるのではないでしょうかね
神様が教えて下さる事 神様が仰る事に従う
そう言う生き方が 先ずは第一なのではないでしょうかね
先ずはとにかく神様の仰せ通りに仕る
と言う所から神様の御信用もついて来る
その先には神様の御心をおもんばかっての
それこそ師匠が良く仰って居られました
雨が降るからおじゃるなと言うに 濡れておじゃれば尚可愛い
と言う言わばそこには
神様がもう来なくて良いと 言われるのに それでも来る
これなどは 神様の仰せ通りに仕っている訳では有りませんね
しかしそこの情感に行くまでは
確かにそう言う神様の仰せ通りには仕らない世界
そして神様に心が通う世界と言うのも有ります
あれは近藤藤守先生でしたか
教祖様から そんな遠い所から何度も参って来なくて良いと
しかし藤守先生は
いやそれでもお参りさせて下さい とお参りになられたと
ある先生は あぁそれならもうお参り致しません
と教祖様から言われた通りにお参りを控えられたと
その方は御晩年に徳切れと言う事になって居りますねぇ
しかしあるその一線と言うのでしょうかねぇ
先ずその信用が確立する所までは
やはり仰せ通りに仕ると言う信心が要りますね
それで初めて神様から この氏子はもう言うた通りにしてくれると
間違いが無いと認められて
そしてその後に その先に
神様の言われる通りではない生き方と言うのでしょうかね
それは もう一つ超えた世界の
神様の心に触れる世界が有る訳ですけれども
その前 基本的には先ずは 仰せ通りに仕る と言う事だと思いますね
そこの仰せ通りに仕る と言う世界が出来ずに
雨が降るからおじゃるなと言うに 濡れておじゃれば尚可愛い
と言う世界へは 一足飛びには入って行けませんね
先ずは基本である所の 神様の仰せ通りに仕る
と言う所が出来なければならないと言う事ですね
今朝も頂きます様に 神の言う通りにする者が少ないと
これは神様のお嘆きでもあろうと思いますね
先ずはどうでも 神様が言われる通りにさせて頂く
そう言う信心を先ずはさせて頂かねばなりませんね
それは師匠の許で信心の稽古をさせて頂く者にとっては
成行きの通りに 先ずはさせて頂く
そしてそこから愈々になると
またその成行きを超えた世界と言うのも有るには有りますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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