今日も和賀心学 (2022-01-01)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、和賀心時代を創ると提唱された。和らぐ和の心は土の心を体得する事に精進する事によって頂けれる。賀ぶ賀の心は、心が育たねば真の賀の心は頂けない。人の願いは往々にして叶わぬ事が多い、喜べない事が多い。喜べない事の中にあって賀ぶには、自らの心を育てる事に焦点を定める事。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 107頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
神信心のなき人は
親に孝のなきも人の道を知らぬも同じことぞや
信心するなら拝むだけ参るだけでなしに
信心の道を習い行い行じて おかげの道を体得し
世の中のほとんどの無信心の人達に
教え導いてゆかねばならぬ
みちびきの 親になるこそ 尊けれ
人も助かる 神も助かる
人も助かる 神も助かる
この 神も助かると言う事が要ですね
師匠大坪総一郎師は 和賀心時代を創ると提唱されました
和らぎ賀ぶ和賀心の時代を創ろうと
そのおかげは和賀心にあり とも仰せられます
その和賀心 和らぎ 賀ぶ心
さあそれがどうしたら和らぎ 賀ぶ心が頂けれるか
和の心 和らぐ心 これは土の心ですね
土の心を行じると言うのでしょうか
土の心の精進によって 和の心 和らぐ心を頂く事が出来る
何か問題が起こる そう言う嫌な事が起こって来た所でも
これは一つ土の心で頂こう 土の心の稽古をさせて頂こう
とその土の心に精進をするところに
心が落ち着いて来 和らぐ心が頂けれる
またその働きが 成行きが神の働きだと確信するところに
和らいだ心も頂けて来る
その賀ぶ心と言うのが少し曲者ですねぇ
どう言う時にどう言う喜び方をするのか
乳飲み子と言うのでしょうか それはお乳をもらった時に
お腹が空いている時にお乳を頂き そこに喜ぶ
あるいは親の懐に お母さんの懐に抱かれて
安心をして休む そこに喜びを感ずる
感じているのではないでしょうかね
少し大きくなると それこそお菓子をもらう
飴玉をチョコレートをもらい そしてそこに喜びを感じる
ところがもう少し 例えば小学校の高学年にでもなりますと
ただチョコレートをもらっただけでは喜びませんねぇ
それこそ好きな何ですか おもちゃですか
そう言うものをもらって喜ぶ様になるのではないでしょうかねぇ
また中学校 高校と
その時々の喜ぶ対象と言うものは変わって来るのでしょうね
学校で 100点を取った そこに喜びを感じる
あるいは それこそ彼女が欲しい 彼女が出来たと言って喜ぶ
大人になれば どこそこにレジャーで遊びに行って
海外旅行をして喜ぶとか 美味しいものを食べて喜ぶ
車を買って喜ぶ 家を建てる事が出来たと言って喜ぶ
昇進が出来た その前にどこどこの会社に就職が出来た
また 子供が出来たと言って喜ぶ
大体はそう言う喜びだと思いますね
いわゆる自分が欲するものが叶えられる喜び
ところがこの和らぎ賀ぶ和賀心の賀びの心と言うのは
自分の願いが 欲するものが叶えられる時の喜び
それも有りましょうけれども
ただ私利私欲 我情我欲から
出る所の欲するもの 欲望と言うのでしょうか
そこでその欲が止まっていたのでは
いつも賀ぶと言う事は出来ませんねぇ
やはり人生の中にはとても喜べないと言うか
自分の思いには反する様な事が一杯有ります
それこそ 100点取りたいと思っていたのに取れなかった 赤点だった
どこそこの大学に合格を願っていたけれども不合格だった
中々子供が欲しいけれども
出来ない
昇進しようとしたけれども 同僚の方が先に昇進して
自分は取り残されてしまった
様々な喜べない事が起こって参ります
その喜べない事が起こって来るその中に賀びを見い出す
そう言う賀びが
和賀心の賀の心ではないのでしょうかね
ではどうしたら
いわゆる普通では喜べない事が喜べる様になるのか
これはやはり私どもの心が育たなければならない
欲するものの対象が育って 変わって来なければならない
今まではその 物とか お金とか 地位とか 名誉とか
そう言うものが喜びの対象であった
それが自らの心 心を育てる事に
喜びの対象が変わって来なければならない
やっぱり願いが育つと言う事 でもありましょうね
心が育つ事に喜びを感じる
また 心を育てたいと言う欲が
出来て来なければなりませんねぇ
学校で 100点を取りたいと言うのが
心が育つ その事に喜びを感じる
心を育てたい 自らの心を育てたい もっと綺麗な心になりたい
もっと美しい心 もっと大きな心になりたい
と心を育てる事に喜びを感じる様に
変わって来なければならないと言う事ですね
そう言う心が育ち そうするならば
今 嫌な事が起こって来ている とても喜べる事ではない
けれども この事によって心を育てる事が出来る
この事によって一回り大きくなる事が出来る
と心を 自らの心を育てる事に その欲と言うのでしょうか
願いが変わった時に 今まで喜べなかった事が喜べる様になる
そして更にそこからまた
更にその内容が育って来なければならない
そして神様が助かって下さる
神様が喜んで下さる事を 私の賀びとする
と言う様な事にも
なって来なければならないのでしょうね
そしてゆくゆくは昨日申します様に
天の心によるところの賀び 人様が助かられる事に賀びを感じる
それこそ大学に 入試に不合格になる
私が不合格になった分 誰かが合格した訳ですから
もし私が合格したら 誰かが不合格になる訳ですから なる程
私は不合格だけれども そのおかげで友達が合格したのかもしれません
とすれば 私の願いは叶わないけれども
不合格になった事によって誰かが助かった事になる
誰かが合格して良かったな
私の代わりに誰かが合格されて良かったなと言う
そこにもし喜びの心が湧いて来るなら
頂けれるなら占めたものですね
なる程宝くじに 1億円当たって喜ぶ
喜びますねぇ
でも私が 1億円当たったと言う事は
誰かが当たり損ねたと言う訳ですから
私が当たらなかったと言う事は 誰かが当たったと言う事ですから
誰かがおかげを頂き喜んでいる事になりますねぇ
人様が助かられる事に喜びを感じれる様になる事が
また大切だと言う事ですね
そして更に神様が喜んで下さる
その神様が喜んで下さる事を賀ぶ様な心が育って来なければならないと
喜びの心と言うのは
色々有りますね
神様に喜んで頂けれる私どもの賀びの心になる時に
神も助かりと言う世界になるのではないでしょうかね
そしてその神も助かり 神様も助かって下さる
その事に賀びを感じる
人も助かり 神も助かる その事に私どもが賀ぶ 賀べれる
そう言う心に その賀ぶと言うその対象が育って来なければならない
いつまで経ってもチョコレートが欲しい
そしてチョコレートを与えられた時に喜ぶ喜びから
もう一歩進んで行かなければならない
と言う事ですね
賀ぶと言うその賀びの対象が育って来なければならない
変わって来なければならない
そして愈々は天の心によるところの賀びを
頂けれる様になりたいものですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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