今日も和賀心学 (2022-01-11)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
昨日は投稿先を間違えてしまった。間違えてしまったおかげで視聴者数が1桁から一気に2桁になっていた。先日の話に有る様に正に小石(恋し)が沢山飛んで来た様な感じだ。神様が、私に間違えさせてまで小石を飛ばさせなさったのだと思う。信心好きでなければ味わえないそう言う神様の御親切も有る。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 75頁)
ビデオ: https://youtu.be/pPszS0GxG9Q
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-01-11.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御神訓
信心する人の真の神徳を知らぬこと
ほんとうの魚好きは魚の頭を求めるという
身だけを求める人は ほんとうの魚好きとは言えない
信心もおかげだけを有難がっておる人は
未熟の証拠である
ふつうの人では頂きかねるような問題でも
それを御神意として受けとめていく
御神意がわかり
真の神徳にふれていくこともできる
魚好きの話で
その思い出すのですけれども
あるお届けに行きました時に師匠大坪総一郎師が
こんな話をして下さいました
そのいわゆる魚好きですね その魚が好きな人は
これは煮魚と言うのでしょうかね その魚を食べる
勿論身は勿論美味しく頂くと
そしてその身を食べた後に その骨が残りますね
中には私どもも小さい頃には
その鯛ですか あの目の玉ですか あそこを頂くとか
或いはエラの所の一寸コリコリしたとこですね
ああ言う所を頂くとかして居りましたけれども
そして本当の魚好きはその骨をしゃぶると言うのでしょうか
身だけではなく その骨をしゃぶる
しかもその一番最後には その骨だけの魚にお白湯をかける
そしてその汁を頂く とことんそれこそ頭の先から尻尾の先まで
また骨の髄まで 何と言うのでしょうかねぇ
頂くと言うのでしょうかねぇ
魚好きはそう言うものだと言うお話をして下さいました
結局それを信心に例えてのお話だと思うのですが
言わば信心が好きになると言う事を
それは例えば身の 目の前に
あるいは自分の身の上に起こって来たその成行き
それをそれこそ骨の髄まで頂くと言う事だと思うのですね
その例えて話されたのだと思います
それこそ普通の人は身の部分だけ
いわゆるおかげの部分だけと言うのでしょうかね
自分にとって まぁむしり易い 食べやすい所だけを頂く
しかし本当の魚好き 本当の信心好きと言う者は
人様がとても頂かない様な所でも頂くものだと
ある意味 目の詰まった 目の細かい信心をせよと
言う事でもあろうと思うのですけれどもね
普通の人が見過ごしてしまう様な所でも見過ごさない信心
と言う事かもしれませんね
実は昨日でしたか 一昨日でしたか
車のフロントガラスに小石(恋し)がぶっつかって傷が付いたと
小石(恋し)ですね
あの人が恋しいと言う恋し(小石)です
それがいわゆる これは何か小石が
恋しいが飛んで来るのかなと頂きましたね
そうしましたら
昨日は大変ある失敗をしました
普通はワガココロジィーと言うグループに
私のこの話を配信するのですけれども
それが間違ってアイラクU の方に
配信してしまいました
それで普通は見て下さる 聞いて下さる方も 1人か 2人か
数人あれば良い方と言う 1桁ですけれども
昨日はその間違って投稿したおかげで
一気に 2桁の視聴者になって居りました
ある意味
一時間程間違えて投稿していたのですけれども
はぁ面白いなぁ 神様はそれこそ
私に間違えさせてまで あの視聴者を増やして下さった
一時的ではありますけれどもね
結局 恋しいと言うその小石が飛んで来た訳です
これは私の間違いですね 間違って投稿した
はぁこれは神様が 私が間違ったのかとも思いますけれども
いやこれは神様が 私に間違えさせてまで
視聴者の数を増やして下さった 言わば喜ばせて下さった訳ですね
自分で間違えた様にあるけれども
ああこれは間違えさせなさったのだなと言う頂き方が出来ますね
普通で言えば しまった 失敗した
間違えたと言う所でしょうけれども
あっこれは神様が間違えさせなさったのだな
と頂く事も出来ますね
そう言う間違えさせてまでも与えたいおかげも有ると
そう言う神様の御親切も有ると言う事ですね
そしてまた今朝も大失敗をしました
いつも家内が
そのお話の時に 口の中が乾いてお話が出来なくなりますので
お白湯を置いてくれているのですけれども
それを それが当たってこぼしてしまいました
あぁこれがお白湯で良かったなと一瞬思いました
もしコーヒーとかお茶でしたら
その下が絨毯ですからシミになりますからね
お白湯ですから そのままほっとけば
乾いてシミにもならないだろうと言う訳ですけれども
そのお白湯を いわゆる失敗してこぼしてしまった
あぁこれも私がこぼして失敗した様にあるけれども
まあ不調法をしたと言うのでしょうか
いやこれは若しかしたら 神様が失敗させなさったのかなと
何故ならば そのお白湯の話に繋がるからですね
それが有ったからこそ それこそ魚好きの人は骨をしゃぶって
その残った後にでもお白湯をかけて そのお汁
何と言うのでしょうかねぇ そのお汁を頂く
私の母などがよくそうして居りました
煮魚を食べた後に骨をしゃぶって
その後にまた白湯をかけて
そのお汁を頂いて居りました
その事を改めて お白湯をこぼしたおかげで
思い出させて頂いた訳ですけれども
神様の御親切と言うものは どこに有るか分かりませんねぇ
一見私どもが失敗したと思う様な事でも
神様が その失敗をさせてまででも気付かせる
次のおかげを授けて下さると言う事も有る訳ですね
普通から見れば 自分が失敗した あぁこれは神様のせいではない
自分のせいだと思いがちですけれども
いや神様がわざと失敗させなさると言う事も有ると言う事ですねぇ
ですからその辺の見極めは まぁ難しい所ではありますね
確かに自分の失敗として
改まって行くべき所も有ります
注意をしなければならない
よしこれからは用心して行こうと言う事も有ります
けれどもその失敗を
余り自分自身を責めると言う事ではなく
あぁこれは神様が失敗させなさったんだ
と言う頂き方も そこに有ると言う事ですね
これなども一つのいわゆる神様の御働きを
どこまでが神様の御働きとして頂くのか
またどこまでが自分の働き 自分のなした行為だとして働くのか
その辺の まぁある意味渾然一体と言うのでしょうかねぇ
そう言ういわゆる天地人一如と言われる様なおかげを
頂いて行きたいものですねぇ
その為には とても神様の御働きとは思えない様な事の中にも
あぁこれは神様の働きだとして頂いて行く
やっぱり信心好きになる 魚好きになる
信心好きでなければ頂けない
その些細な事の中でも 神様の御働きとして頂く
そう言う稽古が要ると言う事でしょうね
これはやはり信心が好きにならなければ
神様が好きにならなければ 見えて来ない世界がそこに有りますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿