今日も和賀心学 (2022-01-12)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
この世に生を受けて、天地金乃神様との御縁を頂かずに難儀苦労して一生を終わる人がどれ程居られるか分からない。御縁を頂き先ずは貰い水的な一時的助かりを頂き、そして更に真実の助かりに目覚め、自らの心を育てることに生き甲斐を持って精進出来るその様な人に育ってもらいたい。そう言う御用に立ちたい。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 391頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第66節
人間は勝手なものである いかなる知者も徳者も
生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら
途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて
死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる
流れ来たって流れ去る水の流れにも等しい私どもである
人間の実相は智者も徳者も凡人も
この世に生まれて来るも死んで果ててゆくも皆同じである
これが天地の法則でもある
故に途中ばかり旨く生きようとしても
それは空しいものになる
この人生の大事を悟り
この世にある内に天地の道理を身につけて
道理に合った信心生活が必要である
そこに実のある生き甲斐が生まれてくるのです
実のある生き甲斐と教えて下さいます
その実のある生き甲斐はどうしたら得られるだろうかと思います
やはり人間がこの世に生を受けて
本当の人間の目的と言うのでしょうか
この世に生を受けた意味合いを
やはり悟らねばなりませんね
お金を儲けて幸せになる
地位や名声を得て幸せになる
それこそあれは何ですか
タレントの方のアイドルですか となって幸せになる
一見幸せの様に見えますけれども
それで本当に幸せなのか
何が幸せなのか
と言う事になりますけれども
しかし世の中にはそれこそ特別の才能も無く
そしていわゆる何と言いましょうか
そう言う出世をする様な事も無く その地位や名誉も無い
普通に生活して 普通に終わって行くと言う人達が殆どですねぇ
華やかな生活を憧れても
その華やかな生活が出来る人と言うのは本の一握りの人でしょう
しかしまたその華やかな生活が出来たからと言って
本当に幸せなのかどうかは分かりませんねぇ
今朝は 2つの事を教えて頂きました
その一つは それこそ世の中には
なる程難儀をして居られる人が居る
勉強をしたくても
お金が 学費が無くて学校に行けない人も居る
昨日などは 何かあれは何ですかドキュメンタリーですか
があって居りましたが
ある人などは お母さんと二人住まいだったらしいですけれども
未だ学生と言うのか小学校か中学の頃でしょうか
朝起きてみたら隣に寝んでおったお母さんが亡くなって居られたと
で一人になられた訳ですね
幸い誰か里親になって下さる方があって
学校に送り迎えして下さったと
それまでは いじめにあって
学校もよく行ってなかったと言う事でしたねぇ
まあ可哀想な人生だなと思いますねぇ
何とかしてこの神様の
天地金乃神様の御縁を頂けないものだろうかと思います
天地金乃神様との縁を得る事が出来る
まぁこれだけでも大変幸福なのではないでしょうかね
それこそ世の中には 天地金乃神様と出会う事もなく
一生を過ごしてしまう人達の方がどれ程多いか分かりませんね
そう言う意味においても 今朝はその出来るだけ一人でも多くの人に
この天地金乃神様との出会いを頂いて頂く
そう言うお役に立てと そう言う御用をしなければならないと
そう言う様な事を一つは頂くのですねぇ
いわゆる世の殆どの人は
この天地金乃神様との出会いを得る事も無く
それこそ真実の幸せが何であるかを知る事も無く
一生を過ごして行く人達がどれ程多いかと言う事ですね
ともう一つは
ではこの天地金乃神様に出会ったら
それで神様から いわゆるおかげを頂いて真実助かるのか
と言うと そう言う事でもないと
そこまでは未だ神様だけでは出来ないのだと
なる程神様は一時的な助かりを与える事は出来る
かもしれないけれども
その人が真実助かって行く 真の助かりを得る為には
それはその人本人のやはり精進努力が要るのだと
どんなに神様が頑張っても
その一時的な助かりを与える事しか出来ないと
そしてそこから真に助かって行く為には
その人自身がやはり心が育って来なければならない
信心によってそれこそ天地日月の心を目指すと言うのでしょうかね
和賀心を目指すと言うのでしょうかねぇ
それは様々に表現されますけれども
結局はその人の心が育つと言う事
その心が育つ事無しには
真の助かりを得る事は出来ない
ですから神様がその入り口までと言うのでしょうか
水飲み場の水の有る所までは連れて行く事が出来るけれども
そこから その水を飲もうとするか
どうかはその本人次第によるのだと
言わば本人が真の信心を求めての精進 心が育つと言う事
そこに精進して初めて真の助かりを得る事が出来る
また神様も与える事が出来る
神様が神様だけで与える事が出来るのは一時的な助かりまでだと
ですから人が助かると言う事においても その一時的な助かり
と 真実の助かり その 2つが有ると言う事ですね
真実の助かりを得たいならば
その人本人が 心が育って行かねばならないと
神様が与え得るのは
一時的な助かりしか与える事が出来ない
そこに取次教師と言うものが必要になって来るのだと
思いますけどもね
いきなりさんぱち
真実の助かりを得る事は出来ない
先ずはその一時的な助かりでも頂けれる
そう言う神様との御縁が先ずはなければならない
その天地金乃神様との御縁もなく終わって行く人
人生を過ごす人がどれ程多いか分からない
先ずはそう言う人達に一人でも多くの人達に
この天地金乃神様との御縁を頂いて頂く
その為の何かを為さねばならない
そして一時的な助かりを頂き
そして更にそこから真実の助かりへと目覚め
自らの心を育てて行く事に精進努力をする
そう言うのが いわゆる甲斐ある命だと言う事になるのですねぇ
どうでも先ずは
この天地金乃神様に御縁を頂いて頂かねばなりません
そこから例え仮初めでもその助かりを頂き
そして更にそこから真実の助かりへと進んでもらう様な
そう言うお役に
御用に立たせて頂かねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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