今日も和賀心学 (2022-01-02)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、信心には修行が付き物、一切が修行と分かり行じて初めて一切が神愛と分かると教えて下さった。修行もせずに和賀心を頂こうなんて、とも仰って居られた。人生には辛い事や苦しい事、嫌な事も有る、それら一切を人が助かる為の修行として受け貫く心が育ったら有難い、神様も喜んで下さる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 146頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
信心する人は常に守りを心にかけておれよ
電流がそこまで来ておっても
電球の玉が緩んでおっては 灯りにならない
信心も金光様を頂いておるというだけでは
真のおかげにつながらない
心に一心があって
初めて心に守りを懸けたことになる
心に一心があってと 師匠は教えて下さいます
その一心とは何であろうかと思いますね
心に一心があって 一心になると申しますね
何に一心になるか 今日頂きますのは
やはり信心させて頂く者 私どもが一心になる所は
人が助かる事 そこに一心と定めると言う事だと思いますね
その人が助かると言う事も勿論
自分自身が助かると言う事も大切ですけれども
そこからもう一つ それこそ我が身の上におかげを受けて
後に人を助けてやれ と言われる様な その後に人を助けてやれ
と言う人の助かりを祈る 祈れる そこに一心になる
そう言う信心に進んで来なければならないと思うのですね
師匠が 一切神愛と教えて下さいます
その一切神愛
それは 一切が修行と分かり 行じて初めて
一切が神愛と分かる と教えて下さいます
ただ漫然と一切神愛が 神愛だと分かる
と言う事ではない事が分かりますね
一切神愛と分かる その前には一切が修行だと分かり
そしてそれを行じて初めて一切神愛と分かると言う事ですね
信心には修行が付き物とも
師匠は仰って居られました
師匠が 師匠はやはり
修行精神が旺盛な方だったと思いますね
先ず師匠がその修行観 と言うのか
修行に取り組まれた独自性と言うのは
おそらく これからは右になろうと
左になろうと一切を受け貫かせて頂きます
それは 私にかけられた神様の願いが成就する為の修行として
と言う事でしたね
言わば師匠は 師匠自らにかけられた神様の願いが成就する事の為
その為の修行として 一切を受け貫かれた
受け貫いて行こうと決心された
と言うのでしょうかね
決定されたと言うのでしょうかね
そこから始まったのだと思いますね
今日頂きますのは
その なる程私にかけられた神様の願いが成就する為に
この事を受けさせて頂きますと
なる程辛いと思う事が有ります 苦しいと思う事が有ります
嫌だなと思う事が有ります それらを受ける
それこそ信心修行として受ける
私にかけられた神様の願いが成就する為の修行として
その嫌な事柄 向こうへやりたい様な事柄でも受けて行く
そう言う修行のあり方ですね
今日頂きますのは そこからまたもう一歩進んで
言わば一切が修行と分かり それを行じで初めて
その一切が修行 何の為の修行
どう言う事の為の修行かと言う事です
何にでも稽古をするにはその目的が有ります
野球の選手になろうと言う人が
ピッチングやバッティングですか の稽古を致します
それこそ
まあそう言う事が有るのかもしれませんけれども
テニス選手になろうとする人がピッチングの稽古をする
と言う事は有りませんよね
まぁ中には有るのかもしれませんけれども
大概は有りませんね
やはりピッチングの稽古をしていたら
あの人は野球選手になろうと稽古しているのだなと言う事になります
私どもが修行をさせて頂く
ただ修行するのではない
おかげを頂きたいから修行をする そう言う事も有りましょうけれども
何の為にその一切を修行として受けるのか
師匠の出発点は 私にかけられた神様の願いが成就する為
と言うのが出発点でしたね
勿論そこを通らねばなりませんけれども
そこ止まりではいけない そこからもう一歩先に進んで
今日頂きますのは
その一切を修行として受ける
何の為の修行として受けるか
それは 人が助かる事の為の修行として受ける
そう言う心が育って来なければならないと言う事ですね
なる程人生の上においては様々な荒波と言うものが有ります
天気の日ばかりではない 雨の日も有ります
雪の日も嵐の日も有ります
それら一切を 人が助かる事の為の修行として受けて行こう
行じ貫いて行こうと言う訳ですね
そう言う心が育って来なければならないと
今 辛い目におうている
よしこの辛い目を修行として受けさせて頂こう
それは何の為の修行か
この辛い事を受ける事が一人でも多くの人が
この事を受ける事によって
どこかの誰かがきっとおかげを頂いているに違いない
助かられるに違いない
とその事を先ず確信する
そしてこの事を受ける事が どこかの世界の
どこかの誰かが助かる事に繋がるのだと言う確信をもって
その事を人が助かる事の為の修行として
受けさせて頂こうと言う信心姿勢ですね
そこに一心になる と言う事だと
今日は教えて頂いた様に思います
一切が修行と分かり 行じて初めて 一切が神愛と分かる
何の為の修行か それは人様が助かられる事の為の修行
この事によって これを頂く事によって
人が助かって下さるに違いないと言う
その人が助かる事の為の修行として
この事を頂いて行こう
頂き貫いて行こうと言う そう言う心が育って来ると
育たねばならないと言う事ですね
生神への精進と言われますけれども
神様はやはりどう言う事があっても
人の助かりを願って居られる
人を助けたい
生神に成る為には 私どもの心の中にも
その 人を助けたい 人が助かりさえすれば
この事を人が助かる為の修行として頂いて行こう
と言う心がやはり育って来なければならないと言う事になりますね
どうでもその一切を 人が助かる事の為の修行として
行じさせて頂く
そう言う心が 心を
心のお育てを頂かねばならないと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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