2022年1月10日月曜日

真実の助かりは心の成長無くしては得られない (2022-01-10)

 今日も和賀心学 (2022-01-10)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心をしているから痛い痒いが全く無くなると言う事ではない。確かに天地金乃神様がその痛い痒いを取り除いて下さる事は有るが、神様の本願は痛い痒いを取り除く事ではない。その痛い痒いを通して氏子の心が育つ事にある。真実の助かりは心の成長無くしては得られない。自らの心を育てる貪欲さが要る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 148頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




心にかくる守りは汚るることはなきものぞ




神愛の中にある自分を悟れた時

守りが心にかけられた時である




穢と思っていたことがおかげであったと気付くとき

穢に対するイメージアップが出来たときである




金光大神は人間が人間らしく生きる手立てを教えているのに

穢でもないものを穢と思い苦労する




穢と思う心が

けがれである




神愛の中にある自分を悟れた時

と師匠は教えて下さいますね




神愛の中にある自分を悟れた時と これはやはり

神様の御働きを日々実感させて頂かねば頂けるものでは有りませんねぇ




神愛の中にあるからと言って

痛い痒いが無くなると言う事ではありませんね




信心をさせて頂いて居るから

痛い痒いが無くなると言う事ではない




勿論その信心の始めと言うのは痛い痒いが無くなる事の為に

或いは無病息災と言うのでしょうかねぇ




家内安全 勿論そうでしょうけれども

それこそあれは何ですか 厄除けですか




災いが起こって来ません様にとか

その困った事が起こって来ません様に




問題が起こりません様にと言った様な願いで信心をさせて頂く

と言う事は有りましょうけれども




また痛い痒いを治して下さいと言う事で

信心を始める事は有りましょうけれども




真の信心

信心の本質として




信心をしたからと言って痛い痒いが無くなってしまう

と言う事ではありませんね




勿論神様がその痛い痒いを取り除いて下さる

危ないものを除けて下さると言う働きは有りますけれども




有りますけれども

それが本当の姿ではありませんね




教祖様も この方の神は災難除けや病気治しの神ではないと

心直しの神だと仰って居られる様に




やはり心を直すと言うこと

これがこの御道の本質だと思いますね




真の助かり 真実の助かりを目指す

と言う事ですけれども




それは痛い痒いを取り除いてもらったから

真の助かりがそこに有ると言うのではありませんね




その信心させて頂いておっても痛い痒いはやはり起こって来る

その痛い痒いの頂き方が育って来ると言うのでしょうかね




真実の助かり

それは棚からぼた餅的に頂けるものではありませんね




拝みさえすれば頂けれる お参りさえすれば頂けれる

お供えをしさえすれば頂けれると言うものでもありませんね




やはり自らの心が育たなければ頂けないものですね

真実の助かり それは自らの心が育つ事によって頂けれる




言わば心直しによって頂けれるものが真実の助かり

と言う事になりますね




ですから私どもが やはり心を育てると言う事に

それこそ意欲を燃やさねばなりませんね




お金が欲しいとか 美味しい物が食べたいとか

あれが欲しい これが欲しいと言う そこに欲を持ちます




その欲を 自らの心を育てる事に欲を出さなければなりません

その欲を持たねばなりませんね




ある意味 この自らの心を育てると言う事を欲するその欲

これはもうどれ程持っても良いと思いますね




いや持たねばならない

それこそ金の亡者と言われる様に 自らの心を育てる事に亡者となる




あるいは言葉を変えれば

和らぎ賀ぶ和賀心を求めての亡者になるとも言えるかもしれませんね




和賀心を頂く為には やはり私どもの心が育たねばなりません

痛い痒いの頂き方が変わって来なければなりません




心が育たなければ変わって来ません

その心を育てる亡者となる その欲を愈々強くなる




そこに教祖様が

私にも人を助けたいと言う欲が有ります と言う




その人を助けたいと言う願い 思い

そう言う心も育って来ると言う事ですね




その心が育たなければ

やはり人の真実の助かりと言う事にはなりません




どうでも私どもが 自らの心を育てること その亡者となる位に

その欲がやはり強く膨らんで来なければならないと言う事ですね




ただ痛い痒いが無くなる事に欲を強めるのではなく

自らの心が育つ 心を育てる事にその欲を愈々強く




貪欲なまでに心を育てようと言う欲が

また育って来なければならないと言う事でもありますね




その自らの心を育てようと言う その貪欲なまでの欲

その欲が有りませんと 信心がやはり堂々巡りで終わってしまいますね




どうでも自らの心を育てたいと言うその欲を

愈々強く大きくして行きたい そう言うお育てを頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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