2022年1月30日日曜日

神様から叱られる事も有る (2022-01-30)

 今日も和賀心学 (2022-01-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝はお夢の中で神様からお叱りを頂いたような気がする。何か仕事をして居るのだが中途半端な仕事の有り様で、仕事にその身から打ち込んでいない。おべんちゃらを言って何か誤魔化して居るような私だった。神様から、填まって御用をせよ、とお気付けを頂いたように思う。お気付けもまた有難い。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 150頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




わが子のかわいさを知りて

神の氏子を守りくださることを悟れよ




親が子を思う程の心で 子が又親に対する時

親子最高の交流が出来る




親となり子と呼ばれる程の深い縁はなけれども

神の思いに触れ 分かれば分かる程深い広い信心が出来る




おかげもそれに伴う




神の思いに触れ と有ります

神様の思いに触れる




普通はその神様の情愛と言うのでしょうかね

神様の御親切に触れると言う事で使われる事が多い様に思います




しかし今朝頂きますのは

今朝からお夢の中で 神様からお叱りを頂いた様な感じが致します




私が 御用が中途半端な御用をしていると




仕事をしているのですけれども

中途半端な仕事をしていると言った様な




そう言われた様な感じのお夢でした




お店ですねぇ うちは父が店をして居りましたから

その店で私もその手伝いをしておるのですけれども




そこに何か人手が足りないか

その何かの何でしょうかねぇ よく分かりませんが




父のお兄さん達が手伝いに来て下さって居るのですね

それでそのお兄さん達は一生懸命仕事をして居られる




ところが私はと言うと

てれんぱれんと言うか




その皆が仕事をしている時に

一寸抜け出して息抜きをすると言うのでしょうかねぇ




その店はそのお兄さん達に任せて

自分はどっか他所で息抜きをする




何か他の事をすると言った様な 填まっていない

填まりが足りないと言う様な感じでしたねぇ




そしてまたどっからか一寸息抜きに行って帰って来たら

その父のお兄さん達が一生懸命仕事をしている訳ですけれども




その側に行って おべんちゃらを使うと言うのでしょうかね

ご機嫌取りをする様な事をしている訳ですね




明らかにその何か小言を言われそうな感じなのですね

でも小言を言わずに黙々と辛抱して居られる




それをご機嫌取りをしている様な感じでしたね

結局私の仕事ぶりが中途半端な訳です 填まっていない訳です




神様が もっと填まってしろと そんな中途半端な仕事ではなく

それこそ填まって仕事をしろと 御用をしろと




そう お夢の中で指摘された様な感じが致しますね




これからどこをどう改まらせて頂けば良いのか

実際に考えさせて頂かねばなりませんけれども




神様から何かお気付けを頂いた事には違い有りませんね

そういう言わばこの神の思いに触れる




それは必ずしも神様が御親切をして下さる

その時に触れると言うばかりではない




神様から叱られる事も有ると言う事ですね

その神様から叱られた時にでも その神様の思いに触れる




ああこれではいけないのだなあ

もっとしっかりしなくちゃいけないのだなあ




もっと

中途半端な仕事じゃいけないのだな




もっと填まって

それこそその身から打ち込んでの御用でなければならないのだな と




これは赤の他人と言うのでしょうかねぇ

どうでも良い様な人には言いませんねぇ




あの人はもうどうなっても良いと言う様な人には

注意をしたりは致しません




やはり注意をしてくれるのは親なればこそ

その人の事を思っておればこそ




もう少しこうした方が良いよ

ああした方が良いよとアドバイスもする訳ですからね




あの人がもうどうなろうと 私には関わり無い

と言う時には何も言いませんからね




神様からお叱りの一つも頂く

お気付けの一つも頂くと言う事は




神様からそれだけ思われていると

ご期待が有ると言う事かもしれませんね




そう言う意味において

神様からお気付けの一つも頂けないようではいけない




と言う様な事を

師匠が仰って居られた事が有りますね




神様から親切にしてもらう

それも有難い




けれどもまた 神様からお叱りを頂く

それもまた有難い




そしてそこから愈々本当の精進をさせて頂く

と言う様な信心のあり方でありたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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