今日も和賀心学 (2022-01-22)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝からお夢を頂いた。要約すると、ある物を入手する為に山の頂上付近まで登ろうとしている。独りで、しかも登山バス等は使わず自分の足で歩いて登らなければならないと言う感じだった。師匠大坪総一郎師は、山登りとは修行のことと教えて下さる。信心修行とは自分の足を使って一人でするものと言うこと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 350頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第52節
信心する者は驚いてはならぬ これから後
どのような大きな事ができてきても 少しも驚くことはならぬぞ
真っ暗闇だから不安になる
信心の光がさす時安心が頂ける
神の偉大な働きを実感する時 そこに信心の喜びが湧いてくる
その喜びが不可能を可能にする
神の偉大な働きを実感する時
と有ります
成行きの中に 成行きを大切にする所から
神様の偉大な働きを実感する事が出来ます
またお夢の中にであったり
御祈念中のお知らせの中に であったり
師匠の許で信心の稽古をさせて頂いて居りますと 様々な事柄の中に
神様の御働きと言うものを実感させて頂く事が出来ます
今朝はお夢を頂きました
昨日の修行のお話の続きになる様なお夢でした
それは沢山の人達と山の中腹に
何かキャンプの様なものに行っているのですけれども
皆は山を降りて 何かフェリーですか ああ言うものに乗って
帰ろうとしているのですけれども
私は一人で その山の頂上付近に
何かその取りに行かねばならないものが有る と言う事で
一人でまた山の上まで登ろうと
登らなくちゃいけないと言う感じのお夢でした
それも一旦皆と麓まで降りて来ているのですけれども
その麓からまた その山の頂上付近まで登るのに
登りかけましたら丁度上から
登山バスみたいなのが降りて来ました
それでこのバスに乗って上まで
頂上近くまで登れば楽だなと思い
この次はいつバスが上まで行きますかと 出ますかと聞きましたら
夜の 8時だと 次の出発がですねぇ
ですから未だ未だ時間が有る訳です
それでは埒が明かないと 時間が遅すぎる訳ですね
だからそれなら自分で 自分の足で登るしかないなと
登り始めているお夢でした
心中祈念の時に さあ神様が何を教えて下さっているのだろうか
と思わせて頂きましたが
師匠大坪総一郎師は
山とは修行の事だと教えて下さいます
やはり何かその頂上近くの高い所に有るもの
それを引き取りに行こうと言う訳ですねぇ
その為にはやはり山に登らねばならない
しかもそれが私一人だと言う訳です
山と言うものは その頂上付近まで行くと言う事になると
皆でわいわいがやがや行く訳にはいかない
やはり一人で登るものだと
しかもそれが 登山バスなら登山バスを使って
楽にスイスイ行くと言うのではない
自らの足を使ってやはり登らねばならないのだと
そう言う様なものを感じさせて頂きました
それで これは神様が いわゆる修行ですねぇ
修行をする それは楽に出来るものではないぞと
山登りは楽ではないぞと
登山バスでツゥーと上まで行く様なものではないぞと
自分の足を使って歩いて行くものだと
教祖様の御教えに 信心に連れは要らぬ と
連れが要れば 死ぬるにも連れが要ろうが
と言った様な御教えが有りますね
修行と言うものも やはり連れが有るものではない
しかもそれは
誰からが代わってしてくれるものでもない
自ら山の頂上近くまで登ろうと言う時には
自らの足で 自ら一人で登らねばならないものなのだと
連れが有ったり
誰か彼かが自分の為に登ってくれると言うものではない
修行と言うものは自らの足で
それこそ自ら好んでと言うのでしょうかねぇ
やはり登ろうとして
登らなければならない
まあこれからボチボチ行こうかと
それこそ道中を 山登りの道中を楽しみながら
ボチボチ自分の足で歩いて登ろうか
としておる所のお夢でしたから
なる程信心に修行は付き物だと言われるその修行は
これは人様がして下さる事ではない
やはりその修行と言うものは自分で
自分がしなければならないものであり
それは自らの足を使って登って行かなければならないものなのだと
そう言うものを教えて頂いた様に思いますね
しかもそれは決して
まあその気になって登れば 楽しく登る事も出来ると
そこには さあ山を登るぞと さあひと修行をさせて頂くぞ
と言った様な覚悟と
自らの足で登ろう
と言うその覚悟が要るのでしょうね
その何かを それこそ師匠は
和賀心を頂くのに修行もせずに和賀心を頂こうなんて
と教えてある所が有りますね
やはりそれこそ 何と言いましょうかねぇ
修行をさせて頂く そこにはさあ修行をさせて頂くぞ
山登りをするぞ と言う腹決めと
自らの足で登るぞと言うその 何と言いますかねぇ
覚悟と言うのでしょうか そう言う腹決めが要ると言う事ですね
誰も代わりにその修行をしてくれる人は居ない
と言う訳です
自らの足で 自らが登らなければ
その修行は成就しないと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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