今日も和賀心学 (2022-01-27)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
私どもの心が育たねばなりませんが、ではどう言う心を育てるのか。有難いと言う心、更に有難うと言う感謝の心。有難いと有難うは異なっています。神様のお役に立ちたいと言う心、それも人が助かる為のお役に立ちたいと言う心。人の助かりを願い祈る心、人が助かる為ならばもう一修行と言う心等など。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 350頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第52節
信心する者は驚いてはならぬ これから後
どのような大きな事ができてきても 少しも驚くことはならぬぞ
真っ暗闇だから不安になる
信心の光がさす時安心が頂ける
神の偉大な働きを実感する時 そこに信心の喜びが湧いてくる
その喜びが不可能を可能にする
この御理解は数日前にも頂いた様に思います
よく神様がここを下さると言う事は
ここを良く分かれと言う事でもあろうと思いますね
神の偉大な働きを実感する時と
神様の偉大な働き それは何の為の働きか
結局のところやはり
私どもの心を育てようと言う為の働きだと思いますね
ではどう言う心を育てれば良いのか
どう言う心が育たねばならないのか
ただおかげを頂いて有難いと言う心から
もう一歩踏み込んだ心が育つと言うのでしょうか
今朝心中祈念の時に思わせて頂きます事は
有難い その有難いと言う心が湧いて来なければならないけれども
その有難いからもう一歩進んで
有難うと言う心が育って来なければならないと 育たねばならないと
有難いと有難う
は違うと言う事ですね
有難いと言うのは自分だけの ある意味何と言いましょうかねぇ
独楽の世界と言えるのかもしれませんね
有難うと言うのは
誰かに対して感謝の心を示すと言うのでしょうか 表す
それが親切なら親切をして下さった人に対しての有難うであったり
その神様に対しての有難うございます
神様に対しての感謝の心が 愈々育って来ると言うのでしょうか
そう言う事になって来なければならないと言う訳ですねぇ
その有難いと言う心が育ち そして更にそこから
有難うございますと言う感謝の心が育って来る
私どもの心の中にどう言う心が育って来なければならないか
それは一つには それこそ確かに有難いと言う心
そしてまたそこから進んで
有難うございますと言う感謝の心が育って来る事
これが一つ大切だと言う事ですね
と同時にそればかりではなく もう幾つか今朝教えて頂きますのは
例えばお役に立ちたい と言う神様のお役に立ちたいと言う心が
やはり育って来なければなりません
そしてその神様のお役に立ちたいと言う心の
そのお役に立つと言う内容が色々有る訳ですね
例えば映画やテレビのドラマなどでも役を致します
その役にも色々な役が有ります
主人公の役も有れば
端役と言うのでしょうか一寸出ただけの役も有れば
善人の役も有る 悪人の役も有る
どう言う役をさせて頂くのか 折角お役に立ちたいならば
その 人が助かる為のお役に立たせて頂きたい
と言うその願いが育って来なければならないと言う事ですね
何の役でも致しますと言う心も大切です
勿論人が助かる為ならば 悪人の役でもさせて頂きます
と言う心も大切でしょうけれども
出来る事ならば
人が助かる事の為の人を助ける役をさせて頂きたいと言う願いが
やはり育って来なければならないと思いますね
そしてまた更に そのお役に立ちたいと言う心は
どこまでも人間側の心だと
人間として神様のお役に立ちたい
と言う心だと
これがもう一歩先に
いわゆる私どもの心の中に神心と言うものが芽生えて来る
そして人様の助かりを願う 祈る
そう言う心が愈々育って来る
そうしたら私どもの願いが
神様のお役に立ちたいと言う願いから
あの人に助かってもらいたい
この人に助かってもらいたい
世の中の難儀をしている人達に
どうでも助かりの手を差し伸べる事は出来ないものだろうか
どうしたら世の人々が
難儀な人が助かる事が出来るだろうかと
その難儀な人々の助かりを祈る願う
その心が愈々強くなって来る 育って来る
神心とはその人の助かりを祈る 願う心だと
神心をもって教えを伝えて行きなさいと言う事は
結局その人の助かりを祈って願って教えを伝えて行きなさい
と言う事になる訳ですねぇ
神の心を心とすると言う事は
人の助かりを祈る願う心を愈々育てると言う事になりますね
愈々私どもの願いが 自分が助かる事から
神様のお役に立ちたいと言う心が育ち そしてそこから更に進んで
人様に助かってもらいたい おかげを頂いてもらいたい
と言う人の助かりを祈る心が愈々強くなって来る
それこそ人が助かりさえすれば
もちっと修行をさせて頂いても良い 修行をさせて頂きたいと言う
人が助かる事さえ出来れば修行は厭いません
と言った様な心さえも育って来る
そして結局神心になると言う事は
もう人の助かりを祈る その事で私どもの心の中が満たされてしまう
そう言う心が育つ
と言う事ではないでしょうかね
どう言う心が育てば良いのか それは今述べさせて頂いた様な心が
私どもの心の中に愈々育って来ると言う事ですねぇ
それこそ それの心の
神様の偉大な御働きに触れながら そう言う心を育てさせて頂く
神様が そう言う心を育てよう育てようと
して居られると言う事ですね ならばどうでも
私どもの心が愈々神心となるまで育って来なければならない
育って行かなければならないと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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