今日も和賀心学 (2022-01-05)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師の御神徳を受ける六か条の一つに、朱に交われば赤くならぬまで、と言うのが有る。朱に交わって居ればついつい朱に交わって居る事が当たり前になり赤く染まってしまう。正と邪をハッキリと認識出来る審美眼が要る。即ち師匠の持たれる正邪のセンス、信心センスを身に着けねば分からない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 391頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第66節
人間は勝手なものである いかなる知者も徳者も
生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら
途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて
死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる
神ながらに生まれ 神ながらに生き 神ながらに死ぬ
信心者の一生は かくおかげを受けたいものである
出物腫物所きらわずと言うが
信心して居れば所をきらわして下さる神さま
生きるも死するもおくり合わせを願え
生きるも死するもおくり合わせを願えと
一事が万事に神様のお繰り合わせを頂き
神様のおかげの中に生きさせて頂く
或いは死んで行くと言うのでしょうかね
その一事が万事に神様の御働きの中にある
それは一つの神様の価値観と言うのでしょうか
神様の目で御覧になっての正しい
正しくないと言うのでしょうか
そう言う信心センスと言うものを
一つ身に着けねばならないと思うのですね
師匠のあれは 御神徳を頂く六か条ですか
その一つに 朱に交われば赤くならぬまで と言うのが有りますね
朱に交われば赤くならぬまで
普通は朱に交われば赤くなる と言うのが普通ですね
これが朱に交わっても赤くならぬまで
と言うそう言う信心修行と言うのでしょうか
心構えと言うのでしょうか
それが出来なければならないと言う事ですねぇ
先日お話ししました
スマホが充電出来ないと言う方の顛末ですけれども
やっと昨日決着が着きました それはどう言う事かと言うと
そのスマホの充電の入り口 差し込み口ですね
そこを良く見て 見て下さいと
中に何か詰まっているかもしれない
もし詰まってたら その爪楊枝か何かで取り出して下さい
と申していたのですけれども
何も詰まっていない
と言うお答えでした
まあ詰まっていないと言われるのに
詰まっていると言うのは変ですから
実際私は現物を見ていませんし
現物を見ている方が 穴の中には何も異常はなさそうだと
何か少し突起が有るようだけれどもと
で 別に目立った異常は無いと
詰まってはいないと言う事ですから
それ以上どうしようも有りません
それでその方がケーブルが悪いのだろうと思われて
ケーブルを買いに行かれたのですね
で そのケーブル 新しいケーブルを差し込むけれども
それでも上手く入らないと
でまた電話があって 何か規格が他にも有るのかと
まあ一種類しか規格は有りませんからねぇ
どこで買われたかと聞いたら 近くの何でも屋さんと言うか
スーパーみたいな何でも売っている所で買われたらしいのですねぇ
ですから どうせ買われるのならば それは返品して
アップルストアで買われた方が良いですと 値段も同じ様ですから
今 何でも屋で買ったのは返品して
アップルストアに行って正規の品物を購入され
そこで差し込んで見て それでも差し込まなかったら
差し込めなかったら おそらくお店の人が見てくれるでしょうから
やっぱり専門のアップルストアで買われた方が良いでしょう
と申しておきましたら
早速次の日にでもアップルストアに
チャージ用のケーブルを買いに行かれた様です
そしてそのケーブルを買って 差し込もうとしたけれども
やっぱり差し込めないと
そこでその店員の方が見てくれたそうです
やっぱりさすがに専門店ですね
何でも屋さんではケーブルを売るだけですけれども
アップルストアで買うと 不都合が有ると少し見てくれますね
それで後ろの方に行って
何かをして来てくれたと
その店員さんの話によると
やはりその差込口の中に異物が詰まっていたと
その詰まっている物を外したら綺麗に差し込める様になったと
それで一件落着な訳ですけれども
さあここが問題な訳ですね
その方が見た時には何も詰まっていない様に見えた訳です
ところが実際プロが見てみると詰まっていた訳です
分からない訳ですねぇ プロが見ると分かる
しかし素人が見ると正常に見える
審美眼と言う様な事を言われますけれども
やはり美しいもの その正しい美しいもの
と偽物の美しいものですかねぇ
それをやはり確かに見極める
見分ける事が出来る眼が 眼力が要ると言う事ですよね
例えて言えば
人間の顔のホクロと致しましょうか
それがホクロなのかゴミが付いているのか
それが遠目には分からない
また素人には分からない
と言うのでしょうかねぇ
その辺のいわゆる 正しいものと
正しくないものとが中々見極めがつかない
これが見極めがつく様にならなければならない
と言う事なのですね
泥棒の仲間の中で一緒に生活している
そしたらその泥棒をする事が当たり前になって
泥棒をする事が悪いと言う感覚が無くなってしまう
正に朱に交わって赤く染まってしまう様なものでしょうね
ところが泥棒は悪い事だと
これは正しい これは悪いと言う確かな審美眼と言うのでしょうか
確かなその正邪の感覚が身に着いておれば
これは悪い事だと しなくなりますね
師匠がある時 ポツリと呟かれた事が有ります
今でも大変印象に残って居ります
それはある方の事を について
私と違うなぁ と仰られたのですね
師匠の生き方とは違うと言う事をポツリと仰いました
それが大変私の印象に残って居ります
師匠と同じおかげを
御徳を頂きたいならば
師匠が正しいとされるものを 正しいとし
師匠が間違っていると言うものを 間違っているとする
言わば師匠と同じ信心センス
信心感覚を身に着けなければならないと言う事なのですね
いわゆる自分流になってしまったり
その正しいものを正しいものと見極める目が狂って参りますと
それこそ中に異物が詰まっていても
その詰まっているものが分からない
プロが見れば分かる 正しい目を持った人が見ると分かる
目が曇ってしまうと言うのかもしれませんねぇ
その師匠の生き様 師匠のセンス
これをやはり身に着けなければならない
よく師匠が美術展ですか そう言うものが有りますねぇ
そう言う美術展なら美術展に行って 本当に美しいもの
いわゆる本物を見ておきなさいと仰って居られましたね
本物見ておかないと 偽物の区別がつかない訳です
本物を見て 本物がこうあるものだ
本物はこれだと知って居るから その偽物が分かる
正しい道はこれだ と言うものを知って居るから
それこそ間違った道が分かる
その正しい道がこれだ
と言うものが分からなければならない
師匠の信心センスにおいて
これが正しい これは間違っていると言う
その審美眼と言った様なものがやはり身に着かねばならない
そこをマスターしなければならないと言う事なのですね
そうでなければ 我流になって
間違った判断と言うのでしょうかねぇ
正しくないものを 正しい事の様に見てしまう事になりかねない
と言う事なのです
そうすれば小さな違いが
大きな違いとなって来ますからね
どうでも師匠の信心センス
大坪総一郎師の信心センス
これを同じ様に身に着けて初めて
師匠と同じ様なおかげや御神徳が頂けれると言う事になりますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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