2022年1月28日金曜日

 今日も和賀心学 (2022-01-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝の心中祈念に、師匠大坪総一郎師の御晩年に、もう裏へ退がって伏せって居られる所へ、ある支部祭の翌日、方々がご挨拶に見えられた。その時師匠は各人に、あなたの事を祈っているよと力強く仰って居られたその姿を思い出させて頂く。世界真の平和を願う、人々の祈りが天地に通う祈りでありたい。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 139頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




打ち向かう者には負けて

時節に任せよ




実力なしには勝てぬ




負けることがわかっていて討ち向かうほどあわれなことはない

返り討ちにあうは必定だからである




負けて勝つということは

時節到来するまでにエネルギーをたくわえて待つのである




只待っておればよいというのではない




実力なしには勝てぬと ではその実力はどうやって養うのか

また実力と言うのは何だろうかと思いますねぇ




私どもやはり世界の平和を願う

そしてその世界の平和を願って 何が出来るかと言うと




正直なところ 何も出来ませんねぇ

せいぜい私どもに出来るのは祈ると言う事だと




まあ言ってしまえばそれまでですけれども

その祈ると言う力 実力 実際の力と言うのでしょうか




その世界が平和であります様にと願う

その世界が平和である事の為の 実際の力となるものは何か




それが世界の平和を願っての何とか会議とか

平和の為の会議とか 色々有るのかもしれません




平和を実現しようと 活動家が 平和何とか 平和活動とか言うのが

有りますね そう言う平和の為の活動が実際の力となるのか




今朝頂きますのは

どうもそうではない様な感じが致しますね




実は今朝思い出させて頂きましたのは 心中祈念の時に

師匠がもう御病気で裏に退がって居られる時ですけれども




それである支部祭が有りました でその支部祭の支部員の方達が

一人一人 礼拝堂にお礼に 翌日ですねぇ お礼に参られました




その時師匠がその方達に 一人一人に あなたの事を祈って居るよと

祈ってるよと 後ろで病床にありながら祈って居るよと




言う事を申されて居りました それを聞いた本人の人達は

何となく実感が無い様な きょとんとした様な感じでしたけれども




師匠は その病気で御晩年 裏に退がって居られる

もう御結界には 表には出て来て居られませんけれども




それでも裏で祈って居ると あなた達の事を祈って居るよ

と言うそれは力強いお言葉でしたね




その事を心中祈念の時にふと思い出させて頂いたのです

祈ると言う事 人の助かりを祈る また世界真の平和を祈る




これは例えばそれこそ病床の中にあっても

第一線のお取次ぎを退いて居られた師匠でも出来られる




出来られると言うよりか

もう祈り三昧と言う事だったのかもしれませんね




その祈りの力だと言うのですね




実力と言うのか 実際に言わば神様を動かす

神様に動いてもらう それは祈りの力だと




その祈りを結集するですかね

皆の祈りを集めなければならないと




一人では持ち上がらぬ石でも

二人ですれば持ち上がるだろうがと




家族勢を揃えた信心をせよと それは

家族勢を揃えた祈りを持ちなさいと言う事だと思いますね




なる程私どもが世界真の平和を願う

願ったからと言って 何が出来ると言うものではない




平和活動も出来ない そういう団体に加入して

何かをすると言う人は居られましょうけれども




大抵は出来ませんねぇ

しかしその出来る事が有る それは祈りだと




世界真の平和を祈る 祈りだと 人の助かりを願う

そしてそこに人の助かりを祈る その祈ると言う事が大切だと




ある宗教では一日に 5

その何ですか御本部の方を向いて祈られるそうですね




私どもの所では 朝昼晩 3回ですか

夜寝る前にと言う方も居られましょうけれども




せめてその朝昼晩の 3回の祈りは

させて頂きたいものだと




そしてその神様に対してのその祈りが

神様に通じた時に神様が働いて下さる




その神様が私どもの祈りを聞いて下さる

その為にも 私どもが神様の御信用を頂かねばならない訳ですよねぇ




どこの誰やら分からない様な者が来て お願いしますと言っても

ハイそうかとは 中々私どもも聞きませんよね




良く知っている人 この人は間違いが無い

信用が出来ると言う人が お願いに来た時には




この人の言う事なら間違いなかろう

と聞きますねぇ




私どもの祈りが 神様に通じる様な

私どもにならなければならない




そして私どもが 世界真の平和を実現する為に出来る事と言ったら

その平和への祈りだと




これは人の助かりと言う事に替えても同じだと思いますね

一人一人の助かりを祈る 幸せを祈る




それは私どもがいつ何処でもその気になれば出来る

そしてまた唯一 誰でもが出来る事ではないのでしょうかねぇ




大人でも子供でも神様に祈る事は出来る 健康な者でも

病人な者でも 病気の者ですか でも神様へ祈る事が出来る




その祈りの力を付けなければなりませんね その祈りの力

祈る力 それが実力ともなるのではないでしょうかね




どうでも神様に通ずる様な祈りを

持たせて頂きたい




また私どもの祈りを神様が聞いて下さる様な 私どもに

精進させて頂かねばならない と言う事でもありますね




私どもにそれこそ最後に残るもの

それはやはり祈りだと言う事ですね




力有る祈り 神様に通ずる祈りが出来る様な

出来させて頂けれる様な私どもに成りたいと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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