2022年1月16日日曜日

真の助かりとは天地日月の心をマスターする事に腹が決まること (2022-01-16)

 今日も和賀心学 (2022-01-16)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


マイホーム的な助かり、一時凌ぎの助かりではなく真の助かりを求めての信心をさせて頂きたい。ではその真の助かりとは何か。今朝は、真実の助かりとは一切の成行きを通して天地日月の心をマスターするぞ、と言う腹が決まること。そして又、その成行きに込められた天地金乃神様の思いを求めることと頂く。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 370頁)


ビデオ: https://youtu.be/TssoWpEaRL8

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合掌

中原博信

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御理解 第59




習うたことを忘れて もどしても

師匠がどれだけ得をしたということはない




覚えておって出世をし

あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば それで師匠も喜ぶ




おかげを落としては

神は喜ばぬ




おかげを受けてくれれば

神も喜び 金光大神も喜び 氏子も喜びじゃ




マイホーム的なおかげでは

信心もおかげも落とし易い




落としては神さまは喜んで下さらん

生活のための信心だからである




信心のために生活のすべてがある

と悟らせて頂く信心こそ絶対の信心である




神も喜び金光大神も喜び氏子も喜びじゃ

という信心とは このような信心を言うのである




私どもが信心をさせて頂く その信心の初めから

信心による真実の助かりを求めると言う人は中々少ないと思います




勿論私にもそう言う思いは全く有りませんでした 大抵はそれこそ

マイホーム的なおかげを求めての信心から入るのだと思います




それはそれで良いと思うのですけれども

そこで止まってはならない




神様が本当に私どもに求めて居られるもの

授けようとして居られるもの




それはやはり人間の真実の助かりだと言う事ですね

なる程その真実の助かりに行く段階には




マイホーム的なおかげ いわゆる一時的な仮初めの

いわゆる我情我欲を満たす事の為のおかげと言うのでしょうかね




そう言う一時的な助かりと言うのでしょうか

そう言うものも確かに必要です しかしそこからもう一歩進んで




神様が本当に渡そうとして居られる 真の助かり

真実の助かりを頂こうと言う心に




私どもの心が育って来ねば

来なければなりませんね




そして今朝その ではその人間の真の助かりとは何か

真実の助かりとは何なのかと言う事ですね




今朝はその事に付いて頂きましたのは

人間が真実助かると言う事は




それこそ私どもの身の上に起きて来る様々な成行き

その成行きを通して天地日月の心を身に着けよう 育てよう




あるいはその天地日月の心をマスターしようと言う

先ずその心決めと言うのでしょうかねぇ それが先ず出来る事だと




日々起きて来るその成行きを通して

よし天の心を 地の心を 先ずは地の心からでしょうけれども




その地の心を 天の心を 日月の心を 日月の精進によって

それこそ身に着けよう とその覚悟が決まると言う事ですね




そうすれば 一切 私どもの上に起きて来る事柄によって

天地日月の心を身に着ける




一切の事柄が その事の為の素材と言うのか

材料と言うのか と言う事になりますからね




そこに助かりの心が頂けれる また今日のミニ御理解に有ります様に

生活の一切が信心の為に と言う事になりますね




その信心とは 天地日月の心を身に着けようと

身に着ける為の信心と




そこに先ず腹が決まらなければならないと

そしてまた神様の心は何だろうかと




それこそ今 神様が何を求めて居られるのだろうか

どう言う御心だろうかと




勿論神様の願いが分かると同時に その神様の思いを分からせて頂く

神様の思いが分かる様な信心になって来なければならないと




神様に向かっては 神様の思いを分からせて下さいと

その神様の思いを分かろうとする 求めての信心




と同時に 自らにあっては

その自らの天の心 地の心 日月の心を育てるぞ と言うその腹決め




それが出来た時に その真実の助かり

もうマイホーム的なおかげや マイホーム的な信心ではない




真実の助かりを求めての信心に

突入する事になると




先ずはそこの 腹が決まらなければ

真の助かりと言う事は中々難しい




そこに腹が決められ そこに腹が決まれば

真実の助かりはもう目の前にある




それこそ その精進は師匠が仰られる様に

限りが無いものでしょうけれども




師匠がよく 合楽理念が完成の域に入った

と言う表現をして居られましたが




その真実の助かりの域に入る と言う事ですね

そこに到達したと言う訳ではないでしょうけれども




その助かりの域に入る この道を進めば必ず助かる事が出来る

いやもうそこに腹が決まった段階で 実は




そうですねぇ 何と言うのでしょうかねぇ

九割がた助かってると言う事にでもなるのでしょうかね




後はその時々の精進努力を積み重ねて行く

と言う事になりますね




どうでもこの神様の御心を 神様の思いを分からせて下さい

と分かろうとするその精進と




天地日月の心を身に着けよう

と言うその腹決め




そして生活の中で その地の心を 天の心を

日月の心を身に着ける精進に勤しむと言うのでしょうかね




そこに初めて真実の助かりが得られる

と言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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