2022年1月19日水曜日

人間として育てるべき心、それは人の助かりを祈る心 (2022-01-19)

 今日も和賀心学 (2022-01-19)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


取次者としての絶対の条件、それは人の助かりを、幸福を祈る心。なぜ天地書附が生みなされたのか、なぜ合楽理念が生みなされたのか、それは教祖様が、師匠大坪総一郎師が人の助かりを願い、祈り、その結実として生みなされた。人の助かりを祈る心が愈々育つ事が根本となり伝えられなければならない。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 168頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




懐妊の時腹帯をするより

心に真の帯をせよ




懐妊のおかげをうけた当の本人の信心は

言うに更なりであります




その半身である主人たる者も 女だけにその修行を任せず

生まれる新しい生命のためにも その半分の修行を担うべきです




夫婦揃うての信心修行こそ安産のおかげだけでなく

よい子に恵まれる為の神様に対する絶対の条件と思います




神様に対する絶対の条件 これは今日のミニ御理解は

良い子に恵まれる為の 神様に対する絶対の条件




と教えて居られる訳ですけれども 今朝私が頂きますのは

取次者としての絶対の条件と言う事になると思いますね




実は昨日師匠のもう何十年か前のお話ですね

そのお話の中に ある教会の事が出て来るのですけれども




その当時大変発展して居られた教会の様ですねぇ

ところがそれから 20数年を経た後 どうなったかと言うと




何と言いましょうかねぇ

見る影も無い様な状になっているのですね




その師匠のお話に出て来る時には

大変御ヒレイを頂いて居られたと言うのか




そう言う事の様ですけれども

20数年後には それが見る影も無い様な教会になって行って居ると




どうしてそう言う事になったのだろうかと

思うのですねぇ




その事が頻りに心にかかり

今朝の心中祈念の時にも どうしてでしょうかと




それこそその当時は隆々たる御ヒレイが有ったのでしょうけれども

20数年後には もう見る影も無い様な事になってしまったと




何がどうあったのでしょうかと




今朝頂きますのは それは取次ぎの者の心が伝わらなかったと言うのか

育たなかったと言うのか




その取次ぎの者の第一の条件

それは人の助かりを祈る 人の助かりを願う その心だと




その人の助かりを祈る心が無くなれば

いわゆる見る影も無い様な教会になってしまう と言う事もある




と言う事なのですね




そして改めて例えば

おかげは和賀心にあり と言われる様な天地書附




私どもその天地書附に目を向けますけれども

本当はその天地書附が生みなされたその背景




教祖様が何故天地書附を生みなされたか

その精神 その御心が伝わらなければならない




ある意味天地書附と言うものは 何と言いましょうかねぇ

出来上がった料理の様なものでしょうかね




綺麗に盛り付けられた料理 美味しい料理 これを食べれば

それこそ健康になると言うのでしょうか




力が付くと言うのでしょうか

そう言う料理の様なものだと




その例えばその天地書附が生まれた その元になる所

その教祖様のその元になる所を頂いて行かなければならない




それは師匠の合楽理念でもそうだと

合楽理念を伝えようと致します




しかしその合楽理念を伝えても

それは余り力にならないと言うのでしょうかね




大切なのはその合楽理念が何故生まれたのか

師匠大坪総一郎師が 何故合楽理念を提唱されたのか




そこの元の所が伝わって行かねばならない

私どもの心の中に その元の心が育たねばならない




それは人が助かる と言う事だと

言う事なのですね




取次者としての絶対の条件

それは人が助かる 人の助かりを祈る その心が育つ事だと




天地書附 それは教祖様が人の助かりを願い 祈り

教祖様お隠れの後でも人が助かって行く その事の為に残されたもの




言わば教祖様が 人の助かりを祈られた

その結実と言うのでしょうかね その実だと言う訳ですね




ですからただ天地書附を人に渡すと言うだけでは

まぁそう言う役でも良いのかもしれませんけれども




それでは本当の事ではない

例えば合楽理念を人に伝えると言う事でも




その根底に有るもの その根底に有る師匠の御心を

頂いてのものでなければならないと




それは 人が助かる

その 人が助かる事の為に これを手渡す




人が助かる事の為を祈っての 願っての生まれたもの

それが天地書附であり 合楽理念だと




ですからどうでも この

人が助かる事を祈ると言う精神 ここが育つ事




そしてその事の為に

人が助かる事の為に天地書附を伝えるのであり




人が助かる事の為に合楽理念を世に伝えよう

と言うその根本の所を これが絶対の条件だと言う事ですね




如何に立派な教えが有ったとしても

何の為にその教えが生まれたのか




その教祖様が 師匠が その御教えを生みなされた

その御心を頂いて行かねばならない




それはもう

人が助かる と言う事だと




そのどうでも私どもの中に 人が助かる事を祈る心 願う心

これが愈々育って行かねばならない




その心が育たないならば 例え形の上で教えを伝えたとしても

それこそ教会なら教会が見る影も無い様な教会にもなりかねない




と言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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