2022年1月6日木曜日

助かりの手始は自らの心の成長に焦点を定めること (2022-01-06)

 今日も和賀心学 (2022-01-06)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人の助かりを祈る願うと言うが、それは自らは難儀困迫の中にあって人様の助かりを祈ると言うのではない。師匠大坪総一郎師が教えて下さる、助かりのわを広げたし常に和賀心にあるを、と言う自らの助かりのわが広がっての人様の助かりを祈り願うのである。先ずは自らの心の成長に焦点を定めること。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 175頁)


ビデオ: https://youtu.be/G4-vm_QlK7U

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合掌

中原博信

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御神訓




わが身がわが自由にならぬものぞ




我が身が自由になりませんが

心は稽古次第で自由自在に使うことが出来るようになります




喜びに喜んで過ごせる稽古が信心です




ルールを守り約束に従う行き方

信心も教えにもとづく生き方はいかにも窮屈のように見えますが




身につくと有難く楽しい生活が出来るようになります

自由以上の自由を頂くことのために




喜びに喜ぶ その喜びに喜んで過ごせる稽古と

師匠は仰って居られます




ではどうしたらその日々が喜びに満ちた生活になるのか

今朝頂きますのは




人の助かりを祈るとか 願うとか言いますけれども

その人の助かりを祈ると言う事はどう言う事かと




それは 助かりのわを広げたし

と言う助かり方を祈る事だと




いわゆる例えば

私が難儀苦労をして居る




そして自分自身は難儀苦労をして居るけれども

人様の助かりを祈る願うと言う事が有りますね




そうではないと

自分も助かっている その私が助かっているその様を




その自分の助かりが

それこそ周辺にも広がって行く様な




その自らの助かりの輪が広がる 周辺の人まで助かって行く

そう言う助かり方を祈り願うのだと




自分は難儀をしているけれども あの人には助かってもらいたい

と言う助かり方ではないと言う事ですね




私は斯く助かっている そして斯く助かっている私の助かり方が

あの人にも この人にもその輪が広がって行く様な助かり方




それを願わねばならない またそうあらねばならない

そう言う助かり方だと言うのですねぇ




その助かり方

それこそ喜びに喜ぶ一日である




そう言う喜んで居れれる世界などが

助かって居れれる世界ではないでしょうかねぇ




師匠も仰って居られます それこそ

助かりのわを広げたし 常に和賀心にあるを と




その和賀心にあるところ いつも和らぎ賀んで居れる

そう言う心を頂いて居ると言うその助かりの輪を広げて行きたい




それによって人が助かる世界を祈る 願う

と言う事だと言う事なのですけれども




ではどうしたらその喜びの世界に住む事が出来るのか

これはいわゆるおかげを求めての世界ではない様ですね




おかげは影ですから 影法師

影を追いかけると影は逃げて行ってしまいます




私が立ち止まる その影を追わなくなると

そのおかげもそこに止まります




しかしその影を求めて一歩踏み出すと

その影がまた先へ一歩逃げてしまいます




おかげを求める 自分にとって都合が良い様になる

いわゆる普通の意味においてですね




そう言う自分に好都合の何か あああったら良いな

こうあったら良いな あああってもらいたい




こうあってもらいたいと言う自分の願い 思いを叶えて貰う

そこに喜びを感ずる 助かりを感ずる




と言う様な助かり方では いつまで経ってもその真の助かり

真の喜びと言うものは得られませんね




追いかければ追いかける程

逃げて行くものかもしれません




ではどうしたら喜んで居れるか

助かって居れるか




それは色々な方法が有るのかもしれません

道が色々有るのかもしれませんけれども




一つの方法 それは

自らの心を育てると言う所に焦点を定める事だと思いますね




あっちのおかげが欲しい こっちのおかげが欲しいと心が振れる

あああって欲しい こうありたい あああれば良いな




といわゆる 何と言うのでしょうかねぇ

やはり焦点が定まっていないから




あのおかげ このおかげ また次のおかげへと 心がうつろいで行く

そうではなく もうそこにどんとどん座りして




ただ一点 自らの心を育てると言う事

この一点に心を定めよと言う事ですね




そこに初めて本当の意味での喜びも湧いて来るでしょう

助かりの世界へも近付いて行くと思いますね




何故ならば

その自らの心を育てると言うその一点に心が定まったならば




一切私どもに起こって来る事柄 それら全てが私どもの

私の心を育てる事の為の材料だと見極められて行くからですね




心が振れなくなります




ああこう言う成行きが有った でもあああって欲しいとか

こうあって欲しいとか そう言う心が無くなります




よしこの成行きによって心を育てて行こう 磨いて行こうと

自らの心の中に それこそ答えを見い出す事になります




その心が 自らの心が大きくなれば

それだけおかげも大きくなる




と 師匠は教えて下さいますね 大きな心に大きなおかげ

豊かな心に豊かなおかげと教えて下さいます




おかげを求めている間は

おかげは逃げてしまう




自らの心を育てる事 大きな心になる事

豊かな心になる事 美しい心になる事




そこに焦点を定めて その精進をするならば

おかげも大きくなると言う事になるのですねぇ




中々そこの見極めがつきませんから

どうしてもおかげを求めてしまいます 追いかけてしまいますね




自らの心を育てること

そこに焦点を定めた時に初めて




この事で この成行きでまた一つ大きくなる事が出来る

と言うそこの喜びが頂けれる




それこそ真の喜びと言う事になりますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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