2022年1月17日月曜日

御神徳を頂く六か条の一つ、人の幸せが祈れるようになるまで (2022-01-17)

 今日も和賀心学 (2022-01-17)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


師匠大坪総一郎師の御神徳を頂く六か条の一つに、人の幸せが祈れるようになるまでとある。私共がこの世に生を受けたのは、心を育てる事の為にこの世に来させられたとも言えるかもしれない。心の事業家になれと頂かれた方も居られる。ではどう言う心を育てるのか、それは人の幸せを祈る心を育てるのである。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 222頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第10




神が社へ入っては この世が闇になる




只今 秋山さんからお届けがありました




今朝のお参りの時

子供の事で心が闇になるようなことのお届けがありました




それが 神さまにお願いさせて頂いておりましたら

心の中に何か楽しいような心持ちにならせて頂きました




それから間もなく子供のことは思い以上のお陰を頂きました

と言うのである




それで私は 子供のおかげより

心が楽しゅうなったことの方がおかげだね と申しました




神さまが社に入らず此の世一ぱいにお働き下されてあるから

この様なおかげになるのです




形のお繰合せより

心のお繰合せを願え




心のお繰り合わせを願えと

私どもの心がどう言う心になるのか




その心のお繰り合わせ

心のおかげとも言えるのかもしれませんね




私どもの心が育つ

と言う事でもあると思いますね




今朝は心中祈念の時に 師匠の

御神徳を受ける六か条の一つを思わせて頂いたのですけれども




それは師匠大坪総一郎師が教えて下さる

御神徳を受ける六か条の一つに 人の幸せが祈れるようになるまで




この六か条の一つ一つに何々まで

と言うのがよく付けられておりますね




例えば 朱に交わっても赤くならぬようになるまで ですか

或いは 朝の三時半の起床が楽になるまで と言った様な まで




どうして までと その までで終わられているのだろうかと

やっと今日分からせられた様な気が致します




それは例えば 人の幸せが祈れるようになるまで は頂けない

と言う事ですね




御神徳が その心が出来るまでは 頂けないよ

と言う までは頂けない




と加えると より一層分かる様な感じが致しますね

その 人の幸せが祈れるようになるまでは頂けない 御神徳




ですから 御神徳を頂こうとすれば

どうでも人の助かりが祈れる様にならなければならない




と言う事でもありますね




私どもの心が育つ さてどう言う心が育てば良いのか

それは正にこの 人の幸せが祈れる様になる




そこに集約されるのではないかと思いますね




私どもはやっぱり普通に生まれて 普通に生きていると

やはり自己中心の人が多いですねぇ




勿論私もご多分に漏れずやはり自己中心ですね




生まれながらに天の心が強い人と言うのは

中には居られますけれども やっぱり少ない様に思いますね




師匠は その中でも

天の心を最初からお持ちだった様な感じが致しますね




しかしその信心の中で愈々培われたと言うのか

部分も有る様に思いますね




その何と言いましょうかねぇ

人間としてと言うのか




人間それは 人間氏子 生神に 生神に成る為に

この世に生を受けた 人間氏子として どうでも育たねばならぬ心




それが人様の助かりを祈る心だと言う事ですね

私どもの心の中に 人の幸せを祈る心が芽生えて来る 




そしてその人の幸せを祈る心が愈々大きく膨らんで 強くなる

そう言うお育てを頂かねばならないと言う事ですねぇ




やっぱり世の中の争いの元であったり

間違いの元 それは自己中心ですねぇ




自分さえ良ければ良い

自分の方が儲かれば良いと




その自分中心 我さえ良ければ良いと言うその思い

そこに争いも起こって来ますね 悲しい事にもなります




一切がそれこそ人が助かりさえすれば 人の幸せを願うと言う

そう言う心に帰結するならば




この難儀でさえも この病気でさえも

これによって人が助かる事が出来れば




その為の修行ならばと言う頂き方が出来る様になれば

しめたものですねぇ




私どもの心がより一層の助かりを得る事が出来る

それこそ真の助かりを得る事が出来る




私どもが 心が真に助かる

その為にはやはり人の幸せを祈る心が芽生え 育まれ




愈々大きく強く育って行かねばならない

それがまた神様の心を心とすると言う事でもありましょうしね




もしその心が育たないならば

例えば今日は そのお巡りさんですねぇ




お巡りさんの腰に下げているあのピストルですね

あれを何か頂くのですけれども




御神徳と言うものをピストルと例えるならば

それが自分の為に 自分が幸せになる為に 自分がおかげを頂く為に




自分が自分の願いを叶える事の為にピストルを抜く様な事であっては

持たせられませんね




御用の為に 人を助ける為に

人が幸せになる事の為にピストルを抜く




そう言う事であって初めて

与えられると言うのか 預けられる訳ですね




もしその頂いた御神徳と言うものを

自分の幸せの為に使おうと言う人には




やはり御神徳を授ける事は出来ませんね

神様の目から御覧になってですね




その頂いた御神徳を 人様の助かりの為に

人様が幸せになる事の為に使わせて頂こう




と言う人にして初めて

その御神徳を預ける事が出来ると言う事になりますね




私どもの心の中に

人の幸せを祈る心が愈々強く大きく膨らんで来ない限りは




御神徳は持たせられませんね

と言う事になりますね




どうでも人の幸せを祈れる 祈る心が愈々育つ

そう言うおかげを頂きたいものですね




その 人の幸せを祈る心が育つ

心のお繰り合わせを頂きたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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