今日も和賀心学 (2022-01-24)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
この世には魂を清めに磨きに来たのである、日々の成行きを通して心を育てるのである、と分かっていても、そうは思っているのだけれども中々その心が育たない。他人の汚れは良く見えるが、自分の心の汚れ、毒々しい心は中々見えない。一大決意を持って自らの毒のような心の水洗いに取り組まねば出来ない。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 92頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
神徳を受けよ
人徳を得よ
神徳は信徳
人徳は仁徳
人徳は人に真心であれば得られるが
神徳は 信心によらねば受けられぬ
信心して真の人になり 神様の信用を受けねばならぬ
神徳を受け 何事にも信心になれば 人徳は自ずとついて来るもの
神徳 人徳を兼ね備えて
はじめて人の幸福はある
はじめて人の幸福はあると
それには神徳を そしてまた人徳を兼ね備えて初めてと
師匠は仰って居られますね 神徳 人徳が要ると
師匠は 先ずは神徳を受けなさいと仰って居られました
そしてその神徳は
神様の御信用だと
神様が信用して下さる私どもと言うのは
どう言う私どもだろうかと思います
今朝は心中祈念の時にしきりと思わせられました事が
人間の心が育つと言う事は中々難しいものだなと
中々育ちませんねぇ
私もそうですけれども 中々育ってないなと思います
ここ数日 刑務所に入っていた人が その出て来て
それから後の更生の生活と言うのでしょうか
そのドラマであったり ドキュメンタリであったりした様なものが
立て続けにその私の目に入って来ました
そして中々更生と言うのは難しいものだなあと 犯罪の再犯率ですか
罪を犯された方がまた罪を犯して刑務所に戻られると言うのでしょうか
それが 4割と言われて居りましたかねぇ
半分近くの方がまた罪を犯されると
いわゆる罪を起こして刑務所に入って
そしていわゆる改心されない訳ですねぇ
改まる事が出来ない これは私ども人間の性と言うのでしょうか
これは別に罪を犯した人達ばかりではない
私も含めて殆どの人々が改まると言う事が
心を育てると言う事が 中々難しいなあと言う事ですね
確かに心を育てる事だ 魂を磨く事だとは分かりますけれども
なる程そうだろうと合点は行きますけれども
実際具体的にどれ程心を育てておるか
育てられておるかと言うと中々難しい
育っている部分も有りますけれども
未だ未だ育っていない部分が沢山ある訳ですねぇ
師匠のミニ御理解でしたか
ふぐ料理をする様なものだと
ふぐの毒を取る為には何回も何回も水洗いをしなければならない
1 回水洗いをした位ではとてもふぐの毒を流せるものではないと
何回も何回も繰り返し繰り返しの水洗いをして
そのふぐの毒を洗い流さなければならない
これは私どもの心の中に有るその毒々しいもの 毒の様な心
それを洗い流すのにも一回では駄目だと
何回も何回も繰り返し繰り返しの水洗いが要ると言う事ですから
それは水とは神様のお惠みですから
神様のお恵みを頂いて その神様のお恵みの中に
何回も何回も洗い流させて頂かなければならない
その作業と言うのでしょうかね
自らの心を改まる 或いは育てるその努力は
やはりその一朝一夕では出来るものではないと言う事ですねぇ
先ずそこが分からなければならないと言うのでしょうかね
そして改めて
よし心を磨くぞと 改まるぞと
育てて行くぞと言うその覚悟をしっかり持って取り組まない限り
そう簡単に心を育てる事は出来ないと言う事でしょうね
先ずはそのやっぱり自らの心を
水洗いするぞと
水洗いをして毒を洗い流すぞと言うその填まりですね やっぱり
それがどうでも要ると言う事ですねぇ
自らそれこそ自覚して この成行きで改まるぞ
この成行きで心を育てるぞ と言う その決意ですね
先ず決意を持って当たらなければならない
そしてそこには勿論
神様のおかげを頂いて初めて出来る事だと言う事ではありますねぇ
その心が定まった人
なる程この氏子は心を磨くと言う事に心を定めてくれた
そして一時が万事において心を育てること
そこに心を使ってくれる
と神様が認められた時に
初めて信用して下さるのではないでしょうかねぇ
なる程刑務所から出て
さあ更生しようかと言う時にまた罪を犯す
そしてまた刑務所に戻ると言う様な事では
やっぱり信用が出来ませんねぇ
なる程悪い事は起こしたかもしれない
けれどもその後はきっぱりと足を洗って更生の道を歩んでいる
もうこの氏子は また悪い事をする事はなかろう
悪い心を起こす事はなかろう
と神様が認めて下さって初めて この氏子なら大丈夫だと
信用して下さる様になるのではないでしょうかね
その為には どうでも私どもが 自らの心を育てるぞと言うその決意が
強い決意が そしてその自覚が要ると言う事ですねぇ
その内に育つだろう 成行きを尊んでいれば
まあその内に心が大きくなるだろう 土の心も身に着くだろうと
その内に何とかなるだろうと言う程度では
何ともならないと言う事ですねぇ
よし身に着けるぞ それこそ毒々し心を洗い流すぞ と言うその
ある意味一大決意と言うものが要ると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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