今日も和賀心学 (2022-01-07)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
ある方から、あなたの職業は何ですかと尋ねられた。どうもグーグル翻訳を使われているような感じだ。どう表現したら上手く伝わるかと思い心中祈念の時に伺った。ふと心に、取次教師と浮かんだ。神様の御心を御働きを取次ぎ、氏子自らの心を育て真に助かって行ける助かりの道を伝える教師でもありたい。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 158頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
天が下に他人ということはなきものぞ
一本の野菜をみても白いところも青いところもある
けれども根は一つであります
白とか黒とか黄色とかいうても
根は一つであります
天地の親神さまの目からみれば一視同仁であり
可愛い氏子であります
世界中の氏子が手を取り合って仲ようしてゆけば
親神さまの喜びはいうまでもなく それが神の悲願でもあるのです
世界真の平和
総氏子身の上安全の熱願は当然のことです
世界真の平和
総氏子身の上安全を願う
そう言う心が私どもの中に愈々育ち
愈々強くなって来なければならないと
世界の平和を願い 平和を願うと言いながら
その戦争と言うのでしょうか 争いを起こすと言う事が有りますね
平和の為の戦争とか言われたり致しますけれども
奇妙な事だと思いますね
どうあったら世界が本当に平和になるのだろうか
皆が仲良くして行けれるのだろうかと思いますけれども
やはりどうしても利害関係
私の利益と 向こうの利益と言うのでしょうか
それがかち合うと言うのですかねぇ
そう言う所に問題が起こって来るのでしょうね
全ての人々が その自らの欲を満たす
いわゆる私利私欲を満たす事の為の何かと言う所から
自らの心を育てる事の為の何かと言う所に
向きが変わる必要が有る様に思いますねぇ
その向きが変わらない限り 自分の心を
夫々の自分の心を育てる事と言う所に向きが変わらない限り
中々争い事は無くなりませんねぇ
どうしても自分が良ければ良いと言うのでしょうか
人より我先にと言った様な事であったり
人より少しでも多く取ろうと言う心が有ったり致しますからねぇ
競争社会と言われる
その競争が悪い訳ではないと思います
夫々向上して行く訳ですから
その向上の為には良いのでしょうけれども
行き過ぎると争いになったり
悲しい事になったり致しますねぇ
何事もやはり過ぎると言う事が駄目な様ですねぇ
ほどほどならば良いと言う事になりますねぇ
その程程のコントロールが出来ない
師匠が我情を鎮め 我欲をコントロールすると
完全に無くしてしまえとは仰って居られない
完全に無くしてしまうと 人間では無くなってしまいますからね
ただの機械と言うのか その心の無いただの物体ですか
心の無いロボットの様な物になってしまうのかもしれません
人間にはやはり心が有りますから
その必要な欲はなければなりませんからねぇ
昨日ある方から あなたの職業は何ですかと尋ねられ
さあどう答えて良いのか一寸迷いました
今朝の心中祈念の時に どう答えたら良いのだろうか
と思わせて頂いたのですけれども
ある方は取次師と言ったりされますね
また御道の教師と表現されたり 御道の取次者と表現されます
そのただ単に取次者としての
取次ぎを行うものばかりではない
またただ単に御道の先生とか
教師とか言われる そればかりでもない
その両方が相まって行かねばならないと思うのですね
取次ぎであり また教師でもあると
してみると 取次ぎの教師 短くして
取次教師と言う様な事になるのだろうか とも思いますね
取次師と言われる あの師を 師匠の師から
消防士の士に変えてはどうかとも思ったりしたのですけれども
やっぱり一番上手く言い表わすのは取次教師
取次ぎの教師と言うのでしょうかねぇ
取次ぎと教師を兼ねた取次教師と言う様な感じが致しますね
そう言う働きをして行かねばならないと言う訳ですね
神様の心を心として伝える
そして人が 真に助かる為の教導と言うのでしょうかねぇ
そう言うお役に立たせて頂かなければならないと
人が真に助かる 助かる為の方法と言うのでしょうか
どうしたら真に助かる事が出来るかと言う事を伝えさせて頂く
そしてまたそこに神様の御心を取次がせて頂く
その神様の御心を取次ぐ
勿論氏子の難儀を神様に取次ぐと言う事も有りましょうけれども
大切な事はやはり神様の御心を取次ぐ
そこに初めて人の助かりが有る訳ですからね
その助かりと言うものが
誰からか与えられての助かりではない
言わば神様から与えられての助かり
勿論それも有りますけれども
人から手伝ってもらっての助かり
と言う事も有りますけれども
そこに荷物が有るなら 誰か力持ちにその重いものを持ってもらう
と言う助かり方も有りますけれども
自らの力を鍛える 自らが鍛えて 自らが持ち上げれれる様になる
そう言う助かり方 それが本当の助かり方であろうと思うのですね
ですから自らの心の中から助かる助かり方
助けてもらっての助かりではない 自らが助かる助かり方
その手立てと言うものを伝えさせて頂かねばならない
そう言う教師であると言う事ですね
その為にはやはり自分自身が
助かって居らねばなりませんからね
と同時にそこに至るまでには
やはり神様の御心を取次がせて頂かねばならない
神様の御働きを取次ぐと言う事でもありましょう
神様の御心を取次ぎ 神様の御働きを取次ぎ
自らが助かって行けれる様なその手立てを
教師として伝えさせて頂く
そう言う御用をさせて頂かねばならない
それが取次教師にかけられた 神様の願いでもあろうと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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