今日も和賀心学 (2022-01-14)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、信心は神の心を心とすること、あるいは生神への精進と教えて下さる。ではどれ程神様の御心を心として居るだろうか。パソコンのハードディスクの健康状態は、電源の入切回数や稼働時間等で目安がつく。どれ程の比重を持って人様の幸せを、助かりを祈れて居るかと言うことが一つの信心のバロメーターになる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 154頁)
ビデオ: https://youtu.be/sXRuPeWQZ90
音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/01-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-01-14.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御神訓
不浄のある時は先に断りおいて
願いあることを頼めよ
穢い心が不浄です 即ち我情我欲です
いよいよ 真 善 美 の中に住みたい
偽りのない 悪のない 美の世界
即ち神徳の中にある歓喜に満ちた生活
そこには争いのない病気のない
勿論 物金等に不自由のない世界が限りなく開けてくるのです
神徳の世界とは
不浄のない別天地
その別天地に住まわせて頂くには
どうしたら良いか
勿論信心をさせて頂くと言う事でしょうけれども
どう言う信心をさせて頂いたら良いのか
師匠が良く教えて下さる事に
神の心を心とする と言う事を教えて下さいますね
神の心を心とする 神様の心を心とする
あるいは生神への精進とも
生神 神に成る事を目指して
信心の稽古をさせて頂く
神の心を心とするとか 生神への精進とか
何となく分かる様な 分からない様な
少し抽象的ですねぇ
では神の心を心とすると言うのは どう言う心を心とするのか
例えば神様が右に行けと仰って居られる
と分かれば右に行く 左に行けと仰れば左に行く
そう言う神様が ああした方が良い
こうした方が良いと仰る事
その事をその通りにさせて頂く
と言う事も一つでありましょう
いわゆる御神意に適う
御神意に沿うた生き方をさせて頂く
その為には 神様の御神意が分からねばなりません
心が分からねばなりません
その神様の御心の現れが成行きだと言う事になりますね
成行きを通して神様が 神様の御心を吐露して下さると言う事ですね
これとまたもう一つ疑問が湧いて来るのですけれども
生神を目指すと言う事はどう言う事なのか
もう一つの神の心を心とする
神に成るとはどう言う事なのかと
それが実はここ暫くの間 我が家のパソコンの一つが
どうも寿命を迎えつつある
それがもう数年前に 3~4年
4年位前になりましょうか
リサイクルショップで買わせて頂いたそのパソコンが
どうもそろそろ寿命かなと言う感じですね
オリジナルが 2010年ですから もう 11年
10年以上経っている訳ですから その頃かもしれないのです
それで色々調べていましたら
ハードディスクですねぇ 中に記憶する所が有りますね
その寿命が来ると それこそある日突然起動しなくなる
と言う事になる訳ですけれども
その寿命を もうそろそろだよと
そのシグナルと言うのでしょうかねぇ
そう言うものを示すものが
中にやはり埋め込まれているらしいのですね
このハードディスクはもう何千時間動いてると
スイッチを何回入切したと
或いはエラーが何回出たと
そう言う情報を取り出す事によって
その情報を読み解く事によって
ああこれはもうそろそろ買い替えると言うのでしょうか
データをバックアップしといた方が良いなとか
これは寿命がもう余り無いなとか
未だ未だこれは大丈夫だと言った様な
そのハードディスクの健康状態を知る事が出来る訳ですね
言わばその何と言いましょうかねぇ
パソコンの健康状態のバロメーターとでも言うのでしょうかね
そう言うものを知る事が出来る訳です
その事を今朝は
心中祈念の時に思わせて頂くのですね
なる程その数値を解析する事によって
そのパソコンの寿命がもうそろそろかなと
未だ未だもつと 未だ数年は大丈夫だと言った様な
そのバロメーター
それが 例えば信心においての
バロメーターと言うものはないものだろうかと
私どもが心を育てる事に目を向ける
あるいは神の心を心とする 生神への精進をさせて頂く
そのどの程度 神様の心を心としているか
どの程度 生神への精進が出来ているか
そのバロメーターと言うものは
ないものだろうかと
確かに神の心を心とすると言っても 大変抽象的で
どこからどこまで 神の心を心としているのか よく分かりませんねぇ
それを 今私はこれ位 神様の心を心と出来ているな とか
その生神への精進が どれ位出来ているなと言った様な
それを具体的に示すバロメーター
ハードディスクの良し悪しを 寿命を示してくれる
そのバロメーターの様なものが信心にもないものだろうか
と思わせて頂いて居りましたら
ふと あぁこれがバロメーターになるのか
と言うのを 何か思わせて頂いた事が有ります
それは 神の心を心とすると言う事
結局それは何かと言うと
なる程 右に行け 左に行けと言う所をその通りにする
と言う事も有りましょうけれども
神の心を心として 生神への精進をさせて頂き
育たねばならないもの 育つべき心が有るとすれば
それは 人の助かりを祈る心
だと言うのですね
神様が 人間氏子の幸せを それこそ万年億年かけてでも幸せにしたい
円うしたいと願って居られるその心 を心とするならば
私どももやはり人様の幸せを願う それこそ
その方が 5年 10年 あるいは万年かかってでも幸せになられる事を
心が愈々円く 助かって行かれる事を願うその心が
どれ程強くなっているか
どれ程の比重を持って人の助かりを願えて居るか
それこそ我が身はさておいてでも 人の助かりを願う
この修行が 人が助かる為の修行となればと
師匠が頂かれた様に お前が苦しめば苦しむ程 人が助かる
いや もうそんな人が助かる事より
私の苦しみをこの痛みをとって下さいと言うのか
いや 人が助かる為ならば もっともっと痛んでも構いません
もっともっと苦しんでも構いません と言う心になっているのか
その辺の心のあり様と言うのでしょうかね 私どもの心が
どれ程の比重を持って人様の助かりを祈れる心が育っているのか
それが神の心を心としている
そのバロメーターになり
生神への精進が どれ程なされているか
と言う事のバロメーターだと言う事なのですね
どうでも人の助かりを祈る 願う心が 私どもの中に
愈々強く深く大きく育って行かねばならないと言う事ですね
そしてそれが 神の心を心とする事だと
生神への精進だと言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿