2022年6月30日木曜日

信心の進化、信心修行として成行きを尊ぶ (2022-06-30)

 今日も和賀心学 (2022-06-30)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、信心の進化と言う事を教えて頂いた。例えば医学にも進化がある。新しい薬や医術の進化により50年前には助からなかった命が今日では救われる様にもなった。信心修行と言えば昔は火の行水の行だった。師匠大坪総一郎師はそれを進化させ、信心修行として成行きを尊ぶ事を教えて下さった。師匠の御教えとして行じるとき師匠の祈りが現れる。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 114頁)


ビデオ: https://youtu.be/vUwxHv2OIfE

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2022-audio/06-audio/Wagakokology_Labo-jp-2022-06-30.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

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(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

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御神訓




大酒大食するは絶食のもとになるぞ




信心がなくても誰でも合点のいく御教えだが

実行することは容易くて難しい




教祖の御教えとして改まって頂く時

容易う教えを血肉にすることの出来る教えである




教祖の御教えとして頂くと有ります

教祖様が教えて下さる事として頂くと言う事ですね




大酒大食するは絶食のもとになるぞ

これは道徳的な どこでも言われる様な事ですけれども




それをただどこでも誰でもが言っている事 知っている事

と言う事ではなく 教祖様の御教えとして頂くと言う事ですね




この辺が何か鍵が有る様に思いますね

神様の御心として頂く その何と言いましょうかね




今朝頂きます事は

信心も進化しなければならないと




簡単です 明瞭です しかもおかげが確かです

と師匠は教えて下さる




それが昔ながらの信心から

それこそ




より簡単に より明瞭に よりおかげが頂けれる道へと

進化しなければならないのだと




例えば医学ですか お医者さんの世界でも随分進化致しますね

それこそ 10年前には助からなかった命が 医学の進歩によって




新しいお薬が出来たり

手術の仕方が 新しい手術が やり方が出来たりして




それこそ 10年前には助からなかった命が

今日では助かるようになったとか




また新型コロナウイルスのこの度でも

最初の頃は手の打ちどころが無かった




それがいわゆる研究に研究を重ねて下さったおかげで

ワクチンが出来た




それで今日ではもう随分

何と言いましょうかね




直ぐに重症化して亡くなると言う様な事は

随分減って来た様に思いますね




コロナの新型コロナのウイルスが収束する日も

段々近くなって来たと




やはり医学の進歩によるものですね

この何年 1 2年ですか 目覚ましい進歩が有りましたね




と同じ様に 宗教界においても

信心の進化と言うものがなければならない




その一つが 昔はそれこそ御神徳を頂くとか言う事になると

山に籠って修行をしたり 滝の水に打たれたり




いわゆる火の行 水の行と言われる様な

荒行と言われる様なものをする事によって初めて




御神徳が頂けれる

と言う様な事だったのではないでしょうかね




これでは誰でもが出来る と言う訳では有りませんからね

それがいわゆる進化をした




そこには進化をさせて下さる

色々な直信先覚の先生方や




色々な先生の 達のおかげで

新しい形になった と言うよりか




より簡単です より明瞭です

よりおかげが頂けれる道と へと進化して来た




どう進化したのか

それは師匠が教えて下さる その成行きを大切にする




昔は火の行や水の行を信心の行として来た

それが今日では 成行きを尊ぶと言う事を




その成行きを頂くと言う事を行とする

信心の行として成行きを尊ぶ




その 昔信心の行と言えば

火の行や水の行と言った荒行をしていた




それが信心の行として

その今私どもに起こって来る成行きを頂いて行く




これを信心の行とする

ことを大坪総一郎師が教えて下さった




見易くなった訳ですね

これなら誰でも出来る




火の行や水の行はやっぱり健康で頑強な体の有る人しか またそれこそ

填まって取り組める精神力の持ち主でしか出来ないかもしれない




しかし成行きを大切にする

その事を信心の修行として させて頂く




これならば病人であろうと 子供であろうと 大人であろうと

それこそ体の弱い人 強い人 心が強かろうが弱かろうが




その気になれば誰でもが

信心の行として成行きを尊ぶ事が出来る




より簡単に より明瞭に しかもより簡単にそれこそ

おかげが頂けれる様になったのではないでしょうかね




誰でもが いわゆる万民宗教と言うのでしょうかね

これは大衆宗教とは一線を画するものが有りますね




万人の為の万民宗教と言う訳ですね

それが成行きを尊ぶ 大切にする




この事を修行としてさせて頂こうと言う信心スタイルと言うのか

信心のあり方ですね




それを ただそうするのではない

そこに師匠が教えて下さった事 として




それは教祖様の流れをくみ

師匠が教えて下さった その師匠の御教えとして




神様の何と言いましょうかね

御教え下さった事として




そこに取り組む時に

それこそ神様の御働きがより一層現れて来るのではないでしょうかね




その同じ事をするでも

ただ道徳でこう言われているからとか




世間ではこうだからとか

言うやり方では余り大した効果は無いのかもしれません




それが神様の教えだとして 師匠が教えて下さった事として

そこに取り組む時に 神様の祈りが 師匠の祈りが




あるいは教祖様の教えて下さった事として

取り組む時に 教祖様の祈りがそこに現れて来ると言う事ですね




どうでも先ずは その成行きを大切にする

その事を修行とさせて頂こうと 修行としてそこに取り組む




そこにそれこそ師匠が教えられている事

師匠から教えて頂いた事として




師匠の御教えとして取り組むときに

師匠の祈りがそこに一層現れて来ると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年6月29日水曜日

成行きは氏子を教導する為の神様の御働き (2022-06-29)

 今日も和賀心学 (2022-06-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


この神様は、とりわけ師匠大坪総一郎師の許で信心の稽古をさせて頂く者の上には成行きをもって、私どものあるべき姿へと教え導いて下さる。神様は成行きを通して様々な事柄を教えて下さる、教導して下さる。成行きは氏子を教導する為の神様の御働きであると先ずは肚にしっかり合点する事が肝要である。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 385頁)


ビデオ: https://youtu.be/1j2ecg8cSTw

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合掌

中原博信

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御理解 第64




此方は参ってたずねる所がなかった




氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが

信心して徳を受けて 身しのぎをするようになれ




御取次を願い御取次を頂いて帰る

私共の願いを聞いて頂き 又その返事を聞いて帰ること




それを実行することが

お徳を受け身凌が出来るようになることであります




先ほど長い間信心しておる或る老婦人の方が

三カ月ぶりで参拝されました 人間関係の問題で悩んで居られました




その時 私は それは難儀のように見えますが

貴女に対する神さまからのお供えですよ と申しました




今日はあのお話を頂いて少しは心が楽になりました

と御礼申されましたが




そのことを神さまからのお供えとして

又御事柄として有難く合掌して受け得られる時




そのまま身凌の出来るお徳になるのであります




そのまま身凌の出来るお徳になるのであります

と師匠が教えて下さる そのままとはどう言う事だろうかと思いますね




それは今朝頂きますのは

こう言う事だろうと思います




それはこの御道 とりわけ師匠大坪総一郎師の許で

信心の稽古をさせて頂く者




その師匠の祈りの許で信心の稽古をさせて頂く者

の上には神様が 成行きを通して私どものあるべき姿




と言うものを見せて下さったり教えて下さる

そしてまた教え導いて下さる 御教導下さる




と言う事を確信すると言うのでしょうか 実感する

そしてこの神様が成行きを通して私達を教導して下さる




教え導いて下さると言う事をハッキリと分かる

と言うのでしょうかね 肚に入ると言うのでしょうかね




と言う事だと思いますね

なる程神様が教えて下さる




成行きを通して教えて下さる 導いて下さる

こうあるべきだぞと言わんばかりの成行きが有るものですね




昨日は朝から娘が自動車を運転してて

何か警告灯が点いたと




どうも車が 何ですかタイヤがパンクしているようだと

エアが少ない と言う警告灯が点いたと




その運転してる途中で点いたらしいのですね

で 途中まで行っていたのを 引き返して来たのですけれども




それでなる程目で見ても

よく分からないのですけれども




ゲージを当てて測ってみると確かに一本だけ

左側の後ろのタイヤでしたが 空気圧が少ないのですね




それで半年位前になりますかね

その時パンクをしましたけれども




その時にその修理をしてもらった所へ

早速持って行ったのですけれども




その時は幸い修理をして下さったのですね

日曜日でしたか ところが今回 昨日行きましたら




修理が出来ないと言われるのです

それはもうずっと予約が詰まっていると




しかもその一週間位先までずっと予約が有るから

パンクの修理が出来ないと言われたのですね




未だそのパンクしたタイヤを交換しておりませんで

そのまま付けて 未だ走れましたからね




愈々ぺしゃんこになると

スペアタイヤに替える事になるのでしょうけれども




未だそこまでは行かずに そのパンクしたタイヤを付けたまま

未だ走れる状態でしたから 走って行った訳ですけれども




最近は予約制と言うのが流行って居りますね

歯医者さんなども私どもが行かせて頂く所も予約制です




予約を取って行くと言う




急患の場合は 朝早くから 一番に行って並んで

空き待ちと言うやつですか でしてもらう事になるのですけれども




その昨日行きましたタイヤのタイヤ屋さんですか

そこでは空き待ちと言うのも無い様でした




とにかく予約一本だと それで今もう目一杯だから

パンクの修理は出来ませんと断られたのですけれど




それで次の所に 近くにもう一軒有りますから

それは未だお店が 早くて開いて居りませんでしたが




時間になるまで

そのお店の前で駐車して待たせて頂きました




そこは後で分かったのですけれども

全く予約をしないお店だと言う事でした




いわゆる早いも勝ちと言うのでしょうか

朝早くから来て並んでいたらその順番にしてくれると




うちでは予約と言う事はしていないと

ですから来た人が順番にその修理をしますと




パンクの修理であったり

車のタイヤの交換であったり




オイルチェンジであったり

その他の修理もして居られるようでした




そこで幸いそのお店の開く前から並んで居りましたから

もうおかげでその場でしてくれました




お店が開いて 一番にして下さいましたから

30分位かかりましたか




でお店に

出来上がるまで待たせてもらいました




前回の時のその前

今回は断られたそのお店に行った時には




今日中には出来るかもしれません けれども

いつになるか分かりませんからと言う事で




車だけ預けて帰って 歩いて帰って居りました

そうしましたら




前回の時にはお昼過ぎになりましたか

その何時間か経って電話が有りましたので




それでまた車を取りに行ったと

いやもうあれは夕方でしたね




もうあと 1時間程で店が閉まるから取りに来て下さい

と言う事でしたね




今回の場合はお店に待たせて頂いて

30分か 40分位で出来上がりましたけれども




その事を通して

予約制と言う事の良し悪しを教えて下さった様に思うのですね




これは取次者としてと言うのでしょうか

あるいは教会のあり方として




その何時如何なる時でも

人様の求めに応じて御用が出来る




あぁ今日は一寸どこそこに出かけますから

お取次ぎが出来ません とか




今日は一寸何か急用が入って

これとこれをしなくちゃいけませんから




あのお取次ぎが出来ません また別の日に来て下さい

と言った様な事では 取次者として人を助けると言う




人が助かる為のお役には立てない事になりますね

そう言う事ではいけないよと




何か神様が それこそパンクと言う成行きを通して

取次者のあるべき姿はこうでなくちゃいけないよと




教えて下さった様な感じが致します




その両方に 予約と言う事も出来る

また急患と言うのでしょうかね




その その時その時の求めに応じて

御用もさせて頂く事が出来る




その何れもが 何れもに

対応出来る様になれば一番良いのだと思いますね




その この師匠の許で信心の稽古をさせて頂くと

この様に 成行きを通して神様が教え導いて下さる




こうするのが本当だよと こうあるべきだよと

そう言う神様だと言う事を 合点すると言うのですかね




そこが大切だと思いますね

この神様は成行きを通して私どもを教え導いて下さる




とその事が合点でき 肚に入ると言う事




そうすればその次に また何かしら成行きが起こって来た時に

これは今度は 神様が何を教えて下さるのだろうか




どこへ導こうとして居られるのだろうか

と言う肚が出来ますから




その成行きに対して 頂いて行く事が出来る

神様の御教導を受けて行く事が出来る と言う事ですね




ですからどうでも 私どもが先ず

肚に入らなければならない事柄




それはこの神様が成行きを通して私どもを教え導いて下さる

その為の成行きだと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



2022年6月28日火曜日

万人幸福への道、それは土の心です (2022-06-28)

 今日も和賀心学 (2022-06-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


最大多数の最大幸福と言う考え方が有る様ですが、そこにはその幸福から漏れる人も居る事になります。このお道は、一人も欠ける事無く全員の人が幸福になる道だと思います。今朝はその一人も欠ける事無く幸福になれる道は一人一人が土の心を身に着ける事だと頂きました。万人幸福への道、それは土の心です。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 397頁)


ビデオ: https://youtu.be/uzkiqSp9JCU

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合掌

中原博信

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御理解 第68




神参りをするに 雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ

その辛抱こそ 身に徳を受ける修行じゃ




いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても

心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ




拍手も 無理に大きな音をさせるにはおよばぬ

小さい音でも神には聞こえる




拝むにも 大声をしたり 節をつけたりせんでも

人にものを言うとおりに拝め




三代金光さまのおことばに

神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます とあります




信心辛抱させて頂く内に

三代さまの又のおことばの中にありますように




ほしいものも 考える事も いつの間にか無くなりましてなあ

有難うて有難うてならぬようになり




なんぼう御礼を申しても 足りませんのじゃ

御礼の足りませぬお詫びばかりしております




というお徳に進まれておられます

はじめの間は泣く泣く辛抱しいしい とも仰せられて居ります




とかく信心辛抱こそ すべての徳の根本になるものであります

人生の上におきてくる雨風の上にもまた同じことであります




私どもが幸せになる 人間が幸せになる

そのどうあったら人間が幸せになるのだろうか




幸せになる為の条件とでも言うのでしょうかね

一番先ず考えられる事は 私どもの願い事が叶うと言う事でしょうかね




信心をさせて頂く やはり何かしら願い事が有るから

信心をさせて頂こうとするものだと思いますけれども




その私どもの願い事が叶う 確かに有難いものですね

そこに嬉しいものです




しかしよくよく考えてみますと 私が願う事が成就する

そうすると 誰かの願いが叶わないと言う事にもなりますね




その万人の願いが叶うと言う事は

中々難しい事ですね




よく最大人数の最大の幸福ですか

を求めると言う様な事を言われますけれども




その万人の幸福ではないですね

いわゆる人間が考える事と言うのはですね




最大の数の幸福と言う事ですから 中には人の幸せの為に

ある意味いわゆる犠牲と言われる様な人達も出て来るのではないでしょうかね




最大多数の幸福を求めるのが人間社会の様ですね

万人の幸福 全員の幸福を求めてのものではない




そこには必ず

その最大多数の幸福から外れる人も出て来る訳ですね




信心をする 信心をさせて頂く者として

これでは やはり片手落ちと言うのか いけませんね




その誰でもが 万人が幸せになるものでなければならない

しかし人間社会は中々そこが難しい




それこそ大学 ある大学が有る

そこに行きたい




しかし定員が有る訳ですから

誰でも彼でもが行けると言う訳では有りませんね




50人なら 50人 100人なら 100

しかし希望する人が 200人 300人居るとすれば




そこに合格出来るのは数が決められている訳ですから

不合格になった人達は 自分の願い事が叶わないと言う事になります




それで有難くはなれない訳ですね

幸せだとは思えない 寧ろ不幸だと




あれ程これ程勉強したのにと

不幸な思いになるのかもしれませんね




宗教と言うのでしょうかね

信心が求めるものは 最大多数の幸福ではない




全員の幸福 一人も漏らす事なく全員が幸福になる道を

求めるものでなければならないと思うのですね




そこが信心する者の いわゆる宗教家と言うのでしょうかね

の求める世界と




政治家の人達や いわゆる社会のその哲学者と言うのでしょうか

そう言う人達が求める世界とは明らかに違いがそこに有りますね




一人も欠くる事なく全員の人々の幸せを求める

ではそう言う事が可能なのだろうかと




どうあったら誰でもが幸せになれる世界が有るのだろうかと

そう言う様な事を今朝の心中祈念の時に思わせて頂いて居りましたら




その誰でもが幸せになる

その為にはどうあったら良いのか




それは土の心を身に着ける事だと

師匠が教えて下さるその土の心




土の心を身に着けるところに

誰でもが 万人が一人残らず幸せになる事が出来ると




ですからこれは ある意味土の心を身に着けない限り

全員が幸せになると言う事は難しいのかもしれませんね




人間社会で その人間世界で 人間の頭の中で考えるだけの世界では

誰かが幸せになれない様な 取りこぼしが出来てしまう




誰でもが幸せになる その為には

一人一人が土の心を身に着ける




これ以外ないのだと それ以外ないと言ってしまえばいけませんね

他にも有るのかもしれません




しかし今私どもが習って来たものの一つ

その土の心を身に着ける事が一番手近に有るものの様に思いますね




他にも有るのかもしれませんけれども

師匠が教えて下さる土の心を




いわゆる私どもの身の上に起きて来る事柄を

それこそ大地が黙って受けて




それを根肥やしとする 私どもの心を肥やす肥やしとする

そう言う土の心を身に着けること




これが世界中の人が

一人も残さず幸せになる為の一番の近道だと言う事なのですね




どうでも最大多数の幸福を求めるのではなく

一人残らず幸福になる道を求める




それには一人一人が

土の心を身に着ける事だと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます