2021年12月28日火曜日

神様の御働きは氏子の心に現れる (2021-12-28)

 今日も和賀心学 (2021-12-28)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


神の働きを現すと言うが、神様の御働きはその知識に現れるのではない。師匠の御理解を全部聴き読み覚え、あるいは教典を丸ごと暗記したからと言って神様の御働きが現れる訳ではない。もしそうならパソコンの周辺に神の働きが現れるはずだがそうはなっていない。神様の御働きは氏子の心に現れると言うこと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 373頁)


ビデオ: https://youtu.be/ABbS1E0Pf9Y

音声のみ(データ節約): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/12-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-12-28.mp3


合掌

中原博信

(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com

(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com

(ホームページ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/

(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku

(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集

(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2

(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS

-------------------------------------------------------


御理解 第60




おかげは受け徳 受け勝ち




先生が先ず おかげをうけて見せねばならぬ

先ずは徳を受けることが先決で 徳を受けた者には勝てません




受け徳のおかげを頂くために

神さまをむしるようなことをせず




信者をむしるようなことをせず

自分自身をむしる気で信心してゆけば徳がうけられる




おかげは押しやり修行は受け身

魚釣る人見ている人




天地は限りなく与えようとなさる 受ける方に姿勢がいる

見ているだけでは受けられぬ




先ずは徳を受ける事ですと

師匠は教えて居られます




ではその御徳と言うのは

どうしたら受ける事が出来るのか




今日はこの徳を受けると言う事

一寸何ですか その理屈っぽくなるかもしれませんけれども




徳を受けると言う事

それは結局神様の御働きがその人の周辺に現れて来る




そう言う神の働きを現せれる様な人になる

と言う事でもあろうと思うのですが




どうやったら神の働きが現れるか

今日頂きますのは それは知識ではないと言う事です




知識を幾ら蓄えたからと言って

神の働きがそこに現れると言う事ではないと




例えば師匠の御理解をどれ程聴き込んだ どれ程記憶した

からと言って神様の御働きが現れると言う訳ではないと言う事ですね




それは例えれば師匠の御理解を聞いて

あるいは読んで頭に入れると言うその事に関しては




人間よりもパソコン コンピューターの方が

遥かに記憶力が良いですね




もうノートブックパソコンですか

その持ち歩ける程しのものに




師匠の御理解が音声なら音声で 文字なら文字で御理解されたものが

残されているものですけれども それは全てが入ってしまいます




ある意味御理解の宝庫と言うのか

知識の宝庫と言うのか




ではそのパソコンが その周辺に神様の御働きが現れるか

現れませんね




師匠の御理解 それを幾ら記憶したからと言って

あるいは教祖様の教典ですか




あの分厚い教典を全て記憶したからと言って

それこそ空で暗唱出来る様になったからと言って




神様の御働きが現れると言う事ではないと言う事ですね

ですからある程度は影響が有るのかもしれませんけれども




知識と言うものは神様の御働きを現すと言う事においては

全くと言うのでしょうかねぇ 殆ど影響が無いと言う




知識に関してはパソコンの方が上です

しかしパソコンの周辺に神様の御働きが現れるとは思えません




神様の御働きを現すのは 現して 現れて下さるのは心です

やはり取次者の心に神様の御働きが現れると言う事になりますね




ですから知識よりか 心を大切にしなければならない

と言う事が改めて分からされますね




そして今朝また頂きますのは

有難いから 有難うへと言う事を頂くのですね




有難いと言う事は 例えば美味しいものを食べれて有難い

これは自分が満足する状態の表現ですね 有難い




有難うと言うのは 人様と言うのか 自分以外のものに対する

感謝の心の現れですね




有難い それを

有難うと感謝を表現する 表す




今朝頂きますのは そのただ自分が有難いと言うだけではなく

その事を 有難うと感謝の心を表すと言う事が大切だと




なる程成行きを有難く頂いています

これはそれで良いのです




有難く頂く そこ止まりではいけないと

次にその その成行きを下さった神様に有難うございますと




有難うが言えれる様な心にならなければならない

心が育たなければならないと言うのですね




有難く頂いて居ります

それは自分が頂いているだけです




神様 有難うございます

これは神様に対する感謝の心の表れです




微妙な違いが有りますね

有難い と 有難う 少し違いますね




この 神様 有難うございますと

有難く頂くだけではなく 神様に対するお礼を申せる様な心になる事




神の大恩が分かると言うだけではなく

その神の大恩に対して 神様への感謝の念が湧いて来る




そう言う心が育って来なければならない

と言う事ですね




勿論そこに例えば難儀なら難儀を有難く頂く

それも大変素晴らしい事ですけれども




また御神徳を頂く為の一つの段階でも

ありましょうけれども




そこから更にもう一つ進んで その事に対して

難儀なら難儀を下さった神様に対して有難うございますと




この事で力を頂きます 神様 有難うございます

有難く頂くだけではなく 有難うございますと




御礼の 感謝の心が出て来る 表れる 表す事が出来る

そう言う心に育たねばならないと言う事ですね




知識として覚えていると言う

そこには有難うございますと言う感謝の念は有りませんねぇ




おそらく知識として膨大なデータを持っているコンピューターにも

感謝の念と言うものは無いのかもしれませんね




人間にはその事を 例えば有難い そして 有難うございますと

御礼が言えれる そう言う心が有りますね




その心に神様の御働きが有る

その心に神様が御信用を下さる と言う事ではないでしょうかね




やはりどうでも私ども

知識を蓄える事も大切でしょうけれども




それにも増して 心が育つ

と言う事に精進努力させて頂かねばなりませんね




その心に神様が御働き下さり

その心に御神徳を頂けれる と言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



0 件のコメント:

コメントを投稿