今日も和賀心学 (2021-12-25)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、信心は有難くなる稽古とも教えて下さる。どんな手を使ってでも有難くなるのだと。今朝心中祈念の時歯が疼いた。その時、これは悪い所を修復しようと頑張っているのだ、してみると痛みさん頑張れ頑張れ、痛みさんありがとう、と言う心が湧いて来た。成程痛いけれども有難いになる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 73頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
わが信ずる神ばかり尊みて
ほかの神を侮ることなかれ
侮る心は高ぶる心
神様に嫌われる心
謙虚な心であれというだけではない
心に謙虚さがほしいというのである
いよいよ自らを深める以外はない
いよいよ自らを深める以外はないと
見る事 見る事 自分を見る事と教えて下さる先生が居られますね
その自らを見る そして自らの至ら無さに気付く
それはそれで良いのですけれども
その至ら無い所に気付いて
その自らを責める 苛むと言うのでしょうか
と言う事になったのでは これは却っていけないと
師匠が教えて下さいました
なる程自分の至ら無さに気付かせて頂く
そしてそこから改まりの道へと進むのは良いけれども
自分の至ら無さを
いわゆる自分を責める 苛むと言うのですかね
そう言う事になったのでは
却って神様は喜んで下さらんと教えて下さいました
寧ろ自分の至ら無さに気付かされて ここは未だ改まる所が有った
よしここを一改まりさせて頂こう これでまたおかげが頂けれるぞと
寧ろその自分の至ら無い所にさえお礼が言えれれる様な
そう言う信心をさせて頂きたいものですね
今朝は面白い事を心中祈念の時に思わせて頂きました
師匠が 信心は有難くなる稽古だと
どう言う手を使ってでも有難くなる その精進をさせて頂くのだと
このどう言う手を使ってでも
と言う所が面白い所ですね
起き掛けから歯が少しズキンズキンと痛んで居りましたが
心中祈念の時にもやはり少し痛んで居りました
そしてその事を思わせて頂き
フトこう言う考えが浮かんだのですね
ああこれは今歯が痛むと言う事は その痛んでおる患部ですか
そこがいわゆる何かと戦っておると言うのでしょうかねぇ
治そう治そうとしている最中なのだと
その悪い所を治そうとしている だからそこに痛みが有るのだと
これは痛みさん 頑張れ頑張れ
痛みさん 有難うと言う心がフト湧いて来たのですね
何故痛いのか 何かしら体の中で そこをいわゆるやっぱり
修復しようとして居るのだと思ったのですねぇ 感じたのです
本来のいわゆる健康な 正常な状態でない訳ですから
そこを何とかして正常な状態に戻そうとしている
それがある意味痛みとして感じられる
これは寧ろその痛い所に頑張れと
いわゆる修復作業をしている訳ですから
頑張れ頑張れと応援をしてやる
そしてその修復しようとして頑張っている
それに対してお礼を言う そう言う心持ちになったのですね
それでやっと初めて 師匠が
よく痛いけれども有難いと言う信心になりなさい
と仰って居られた その痛いけれども有難い
痛いのに何で有難いのかと その事がずっと分かりませんでした
私の中に 痛いけれども有難いと言うのが
実感として分かりませんでした
けれども今朝の心中祈念の時に そう感じさせて頂いた
ああこれなら痛いけれども有難いと言う事になるなあと
痛いと言う事はそこを
体が何とか悪い所を修復しようと一生懸命頑張っている その証だと
してみれば もっと痛みさん頑張れ そして痛みさん有難う
と言う事になるではないかと そう気付かせて頂いたのですね
それでなる程これなら
痛いけれども有難い
今修復しようと頑張っている
痛いけれども有難い事だと言う事になりましたね
それが科学的にと言うか 医学的にと言うか正しいか正しくないか
医学的に見ればそんな事じゃありませんよ こう言うのが本当ですよ
こっちの方が正しいですよ と言う異論も有るかもしれませんけれども
それはどうでも良い事なのですね
問題は私がそれをどう感じるか
そしてそこに有難いと言う答えを出すか
その言わば一つのフィーリングが大切だと
言う事なのですね
そして改めて よく小さい子供が
それこそ転んで擦り傷を負って 痛い痛いと言う
そしたら親が 痛い痛いの飛んでけ
とよく昔は言っていましたけれども
あれは間違いだったなと今気付かされています
寧ろ痛いさん痛いさん頑張れ 今そこが治そうとしてくれているのだ
痛みさん痛みさん頑張れ頑張れ 有難う
と言うのが本当ではなかろうかと今は思わせられています
それが神様に通じたのかどうか分かりませんけれども
おかげさまで今は歯の痛みも和らいで来て
こうやってお話がさせて頂いています
面白い事ですねぇ
とにかく今まで有難くないと思っていたものを
どうにかしてでも有難くなろうとする
それこそ自分の至ら無い所を見付けて自分を責めるのではなく
至ら無い所が有るからこそ 改まって行ける
改まるからこそまたおかげが頂けれる してみると
至ら無い所に寧ろお礼を言わねばならない と言う事になりますよね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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