今日も和賀心学 (2021-12-12)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人々に助かりを渡したい。その助かりにも大きく分けて2通り有る。一つは一時的な仮初めの助かりであり、もう一つは真実の根本的な助かりだ。師匠大坪総一郎師の弟子として、真実の根本的な助かりを渡したい。パワースポットを訪れて得られる助かりでは無い、取次者の理解による真実の助かりと言う事になる。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 108頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
神信心のなき人は
親に孝のなきも人の道を知らぬも同じことぞや
御理解に
昔から あの人は正直者じゃ 神仏のような人じゃという者でも
だんだん不幸なことが重なって 世間では
どういうものであろう というようなことがあろうが
なにほど人に悪いことをせぬ正直者でも
人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別ものぞ
と教えられるように 道徳的観点から言う人の道
又は孝の道とは自ずと内容の違ったものである
天地に通う道
真の親孝行の道がついてくる
因縁に苦しむことなく罪悪にとらわれることなく 究極
金光大神の世界 喜びの世界を究めてゆけるのが御道の信心である
喜びの世界を究めて行けるのが御道の信心である
と教えて下さいます
その喜びの世界を究めて行く
それはやはり助かりの世界と言う事だと思いますね
人が助かると言う事 その生神への精進として
あるいは御道の取次者として願わねばならぬもの
それは人の助かりを願う事だと
そしてそう言う心が育って来なければなりませんけれども
ではその助かりとか その喜びの世界
助かりの世界にも色々ある様に思うのですね
中でも大きく分けて 2つ有ると
今朝は頂かせて頂いています
それは例えば一時的な喜びであったり 一時的な助かりである
その喜びであり助かりである世界と
もう一つ真実の喜びと言うのでしょうかね
真実の助かりと言うのでしょうか
例えば取次ぎの先生は居なくとも そこに
藁人形が座って居ってもおかげが頂けれると言う助かり方が有ります
あるいはパワースポットと言う所を訪れて
そこで助けてもらうと言う助かり方
そこに喜びを感じる
と言う助かり方も有ります
そう言ういわゆるパワースポット的な
藁人形が座って居ってでも助けてもらえれると言う様な助かり方
そう言ういわゆる一時的な仮初めの助かり
一時的な喜びだと思うのですね
また直ぐ次に困った事が出来て来る
それは恒久的なものではありませんねぇ
パワースポット的な助かり方であったり その藁人形に
が座って居っても頂けれる様なおかげの頂き方であったのでは
それは単なる一時的な仮初めの喜びであり
おかげであると思いますね
一方師匠大坪総一郎師の弟子として
どうでも皆さんに頂いて頂かねばならない喜びであり助かり
それは真実の言わば根本的な助かりである
喜びであると言う事ですね
その一時的なおかげ 助かり
それはパワースポットを訪れる事によって
あるいは 藁人形にお取次ぎを願う事によって
でも頂けれるでしょう
しかし真実の助かり
根本的な助かりと言う事になると
パワースポットを訪れただけでは
藁人形を拝んだだけでは頂けませんね
それがやはり師匠の弟子としての役割と言うのか
師匠の弟子に託された神様の願い
また師匠が託して下さった願いだと思うのですね
その真実の根本的な助かりを提供すると言うのでしょうか
渡すと言うのでしょうか
そう言う御用に立たせて頂かねばなりませんね
その真実の根本的な助かり
それこそがいわゆる合楽理念による助かり
成行きを尊ぶ その修行から頂けれる所の助かり
または一切神愛と悟った所からの助かり
色々な表現は有りましょうけれども
教祖様の表現ですれば 和らぎ賀ぶ和賀心による所の助かり
そう言うものが真実の根本的な助かり
と言えるのではないでしょうかね
その真実の根本的な助かりを頂く為には
ただ手を合わせて拝んだだけでは
パワースポットを訪れただけでは頂けませんね
やはり教えを頂かねばなりません
そしてその教えに基づいて行じなければなりません
その行じるところに
神様の助けようと言う
真実の助かりを渡そうと言う働きが起こって参りますね
どうでも師匠の弟子として
一時的な仮初めの助かりに止まらない
真実の根本的な助かりを手渡す
そう言う御用に立たせて頂きたいと願いますね
またそう言う人々を
お引き寄せ頂きたいと
真実の助かりを渡すべき人を 願っておる人を
お引き寄せ頂きたいと願いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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