2021年12月6日月曜日

真実の助かりは真の教えの体得によってなされる (2021-12-06)

 今日も和賀心学 (2021-12-06)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


願う氏子におかげを授けと言う取次ぎによる助かりは一時的な仮初めの助かりでしかかない。真実の助かりを授けるには、真の助かりの御教えを理解申して聞かせ、自らが行じる事による自らの助かりを頂いてもらわねばならない。その取次者はいずれ居なくなるのだから。真の助かりの為には教えの伝導が要る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 120頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




体の丈夫を願え




健康は一切をプラスにする土台である




大切なことは 力余って

とりこぼし にならぬように慎みが肝要である




健康は一切をプラスにする土台であると

健康 勿論体の丈夫を願えと仰って居られますから




体のいわゆる肉体的な体の健康と言う事でもありましょう

けれどもここで頂くべき事は やはり心の健康と言う事も




最近では言われますね

体だけではない 心の健康も大切だと




体の丈夫と同時に

心の健康を願わなければなりませんね




心の健康 それは健康であると言う事は

やはり助かると言う事ではないかと思いますね




心が助かっている

そこに心の健康も頂けれるのではないでしょうかねぇ




心が助かる ではその助かるとは

どう言う事だろうかと思いますね




どうしたら心の助かりを頂けれるだろうか

その助かりと言う事にも色々あると思うのですけれども




例えば困った事が有る その難儀から助けてもらう

その困った事が有る時に いわゆるお取次ぎを願う




取次ぎの先生にお願いして頂き 神様のおかげを頂く

そして助かる そう言う助かり方も有ると思います




それはそれで良いと思うのですけれども

これが真に助かると言う事になると




取次ぎの先生にお願いして助けてもらう

と言うばかりでは心許ないですねぇ




その取次ぎの先生が居られなくなったら

もう助けてもらう事が出来ない訳ですから




取次ぎによって助けてもらう

それは一時的な助かり




また取次者の方も取次ぎによって人を助ける

それは一時的な助かりを渡す




そこ止まりで終わってしまう と言う事ですね

人が真に助かって行く




取次者が 取次ぎの者が居なくなっても それでも人が助かる

そう言う助かりを頂いてもらわねばならない訳ですから




なる程最初の頃は取次ぎの先生の取次ぎによって助かる

そう言う時代もあって良いし またなからねばならないのでしょう




しかしそれがいつまでも続くようでは

その本当の助かりを渡している事にはなりませんねぇ




人が真実助かって行く

取次者が居なくても助かって行く




そう言う世界に至る為には

これはやはり教えと言うものが要りますね




教祖様も 願う氏子におかげを授け

理解申して聞かせ ですか




先ずは願う氏子に それこそお腹が空いてる人におにぎりを与える

そう言う助け方助かり方 それがいつまでも続く様ではいけませんねぇ




今度はそのお米の作り方 ご飯の炊き方を

その間に懇切丁寧に教えてあげ 習得してもらう




自分で助かって行く道を

習得してもらわねばなりませんね




その為におかげを授け そして理解申して聞かせと言う

そこが有るのだと思いますね




いわゆる人間が真に助かって行く

その為にはやはり教えによる助かりと言う事になりますねぇ




話を聞いて助かる道だと

助かり方を教えてもらう




話によって その真に助かって行くその助かり方を教えてもらう

と言う事になりますね




ですから人間が真に助かって行く

その為には取次ぎと言う働きと




その真に助かる為の何と言いましょうかねぇ

方途と言うのでしょうかねぇ




その手立てを与える教えと言うものが

やはりセットで有ると言う事ですね




その人間の真に助かる 人間が真に助かって行く

その為にはやはり教えを頂かねばなりません




ではどう言う教えか

どう言う教えが一番効果的と言うのか




即効性が有り 持続性が有り

しかも一番良く効くか とい言う事になると




やはり一番お奨めは

成行きを尊ぶと言う生き方ですね




成行きを尊ぶ 大切にする 大事にする

と言うこの生き方が身に着くならば




もう例え取次者が居なくなっても 助かって行く事が出来ますねぇ

神様の方が導いて下さる様になる




取次ぎの者と 取次がれる者との関係と言えば

その相対して居る時だけでしょうけれども




相手が神様と言う事になれば

それは四六時中神様の御教導を頂くと言う事になりますね




その四六時中の神様の御教導を頂く その術を伝える

それが成行きを大事にすると言う生き方ですね




その成行きを大事にしてくれるならば

それこそ例え取次者が居なくとも




神様が導いて下さる その御働きを頂いて行く事が出来る

真の真実の助かりに向かって進んで行く事が出来る




一遍二遍成行きを大切にしたからと言って

真の助かりが得られるとは思えませんけれども




その真の助かりを得る為の方向性と

言うのでしょうか




この道を行きさえすれば必ず真の助かりに行き着ける

と言う確信は得られると思いますね




そしてその成行きを大切に 大事にする

その中に神様が真の助かりへと導いて下さる




そこまで導けた時に

真の助かりを渡した事になるのではないでしょうかねぇ




そこから先は その本人が歩く道ですからねぇ

いわゆる本人が歩く以外 真の助かりへと到達する事は出来ませんねぇ




馬を水飲み場まで連れて行く事は出来ても

その馬に水を飲ませる事は出来ないと言われます様に




真の助かりの道を示す事は出来ても

それを歩くかどうかは




本人がその気になるかならないか

と言う所にかかっていると言えばかかっていますね




ですからその仮初めの助かり与えながら

真の助かりへの道を伝えさせて頂く




そしてそこを歩いて行く様に そう言う発心が出来る様に

何と言うのでしょうかねぇ 示して行くと言うのでしょうかねぇ




そこに初めて真の助かりが得られる

と言う事になるのではないでしょうかね




どうでも取次ぎによる助かり

そして更に教えによる 教えを行ずる事による人間の真の助かり




取次ぎによる助かりでは

一時的な助かりを渡す事しか出来ませんねぇ




真の助かりを渡す為には

やはりその真の助かりへと導く教えを渡す事だと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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