2021年12月27日月曜日

天地金乃神様の願いは真実の助かりを渡すこと (2021-12-27)

 今日も和賀心学 (2021-12-27)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


マイホーム的な一時的助かりならば祈念祈祷でも授けられるかもしれない。しかし天地金乃神様の願いは真実の助かりを渡すこと。願う氏子におかげを授けるだけの助け方では氏子の我情我欲を助長してしまう事にもなりかねない。御神意を明らかにし、御神意を元にした真実の助かりを渡す取次者であらねば。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 370頁)


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合掌

中原博信

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御理解 第59




習うたことを忘れて もどしても

師匠がどれだけ得をしたということはない




覚えておって出世をし

あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば それで師匠も喜ぶ




おかげを落としては 神は喜ばぬ

おかげを受けてくれれば 神も喜び 金光大神も喜び 氏子も喜びじゃ




マイホーム的なおかげでは 信心もおかげも落とし易い

落としては神さまは喜んで下さらん




生活のための信心だからである 信心のために生活のすべてがある

と悟らせて頂く信心こそ絶対の信心である




神も喜び金光大神も喜び氏子も喜びじゃ

という信心とは このような信心を言うのである




生活の為に信心が有るのではなく

信心の為に生活が有ると悟らせて頂く




そう言う事が出来たら

神様が喜んで下さるに違いありませんねぇ




しかし現実はやはり自分のおかげを頂く

自分が言わば結構毛だらけな生活をさせて頂く




と言うのでしょうかねぇ

自分にとって都合の良い事に物事が運ぶ




我が家の誰それがおかげを頂いていると言った様な

やはりマイホーム的なおかげで喜んでいる 有難がっている




そう言う世界で止まって居る事の方が多いのではないでしょうかねぇ

そこからもう一歩踏み出さなければならない




今朝は 取次者として

助かると言うけれども




そのいわゆるマイホーム的な助かり

或いは一時的な助かりを与えると言う所からもう一歩進んで




真実の助かりを渡せる様な そう言う取次者にならなければならない

と言う様な事を心中祈念の時に教えて頂いた様に思います




いわゆる人が助かると言う事 それはその人が欲しているものを授ける

それによって助けると言う事も有りますけれども




助けた事が 助けた事にならない事も有ります

師匠の御理解の中にも




ある子供さんが病気になった 親御さんが命を助けて下さいと

そしておかげでその方の命が 子供さんの命が助かった




ところがそれから 10年か 20年経って

子供が大人になって犯罪に手を染めてしまった




そしてその親御さんが 先生 あの時に助けてもらわない方が良かった

と言われたと言うのですね




その時はそれでおかげを頂いた様にあるけれども それこそ

10年後 20年後それが却って仇となる様な事にも ある訳ですね




しかしまたそこから もう一度本当のおかげへの道へと

修正して行ければ良いのでしょうけれども




中々修正する事なく 犯罪に手を染めた

困った困ったで終わってしまう事が多いのではないでしょうかねぇ




どこまでもそれが人情による人助けであったり

そのマイホーム的なおかげを授けると言う事に止まって居るからですね




真実の助かり

それこそ 5 10 20年後を見据えての真実の助かりを渡せる様な




渡す様な取次者でなければならないと言う事なのですけれども

そう言う事が その取次者に中々分かろうはずも有りませんね




命乞いに来られたら その願いに応えてあげる

命を助けてあげる それで精一杯ですねぇ




誰が その助けた息子さんが 20年後に犯罪に手を染めるか

そこまでは分かりませんねぇ




ではどうするか

ただ人情で助けるのではなく 御神意をもって




御神意を元にして助ける

と言う事にならなければならないと言う事ですねぇ




その今 命を頂く事が御神意に適う事なのか

それとも今ここで命を授けない方が良いのか




そこからまた新しい世界が開けて来るのか

これは中々容易に分かる事ではありません




人が真実助かる その真実の助かりを渡すと言う事は

取次者が取次者の人情で助けたのでは どうなるか分かりません




取次者自身が神情を元にして

いわゆる御神意を元にして




神様が願って居られるのは

その人の或いは息子さんの真実の助かりである訳ですから




それがどう言うおかげを授ける事が

その人達の真実の助かりに繋がる事なのか




それは神のみぞ知る

と言う世界かもしれませんね




またそこからその親御さんの信心が展開して行けば

それはまた変わった事になって来るでしょう




これはひとえに取次者の力によるものかもしれませんね

一つの教導力と言った様なものかもしれません




どう導いて行くか

とにかく一時的なマイホーム的なおかげを授ける




と言う世界からもう一歩先に進んだ

どうしたら真実の助かりを渡す事が出来るだろうか




どうぞ神様真実の助かりを頂かせて下さい 渡して下さい

と言う祈りに成って来なければならないと言う事ですね




ある先生が 手洗いの石がお供えになった その手洗い石が

それこそ一日でなくなります様な氏子をお引き寄せ下さいと願われた




神様の受け返答が無かった 改めて願われた

そしたら 何故真の信心をする人がある様にと願わぬかと




その真の人のお参りを願わぬかと言う事な訳ですね

ただ多くの人が助かればそれで良いと言うものではない




なる程助からないより

助かるに越した事はないけれども




真実の助かり を得る人

渡せる人が沢山助かると言う事が必要だと言う事ですね




神様の願いは

一時的な助かりを得る人が増える事 それも大切ですけれども




それ以上に 真実の助かりに目覚める人

そしてその真実の助かりを受けて行く人が増える事




これが神様の本当の願いである訳ですね

中々この辺のさじ加減は難しい所が有ります




それはもう御神意を頂いて 御神意を元にして

おかげを頂いて行く以外有りませんね




どうでもその御神意を元にしたおかげを与える事が出来る様な

取次者になりたいものですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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