今日も和賀心学 (2021-12-18)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
天地金乃神様が人間氏子に願われるもの、それは私どもの心の中に人の助かりを祈る、願う心が育つ事だと思う。師匠大坪総一郎師が合楽理念を現し伝えようとされたのも、より一層の人の助かりを願ってのこと。だから私どもにもより一層人が助かる事の為に御教えを伝えようと言う心が育つ事が肝要だと思う。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 309頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第39節
此方の行は水や火の行ではない
家業の業ぞ
お道の信仰による行の目的は神に向かう神に近づくにあります
家業に精を出して居れば修行しているような思い方をしてはなりません
家業の行の中に真に有難し 又人が助かることさえ出来ればの精神が
育ってゆかねばなりませんが なかなか難しいことであります
そのような神心 奉仕の心が頂ける為に
やはり火の行も水の行も 又心行も必要であります
すべての行はそこが体得出来て家業になり はじめて
家業即行 行即家業 ということが出来るのです
本来 修行の眼目は己を乱さないというにあります
火にも焼けない 水にも流されない自分を修めてゆくのです
神に向かうための形の行も心の行も
行という行がすべて大切であります
その精神を体得しての家業になりますと
教祖の神意 いわゆる家業の業の行の意味がわかります
家業に精を出す
何の為に家業に精を出すのか
商売になら商売 その家業に精を出して儲ける
少しでも多く儲ける為に家業に精を出す
これでは家業の行と言う事ではない様に思いますね
では何の為に家業に精を出すのか
それはやはり神様が
私ども人間氏子に求められる心と言うのでしょうかね
その心の発露として家業に精を出す
その神様が私どもに求められる心
どう言う心が育って欲しいのかと言う事だと思いますね
師匠は それこそ信心は生神への精進だと
生神に成る事を目指すのだと
ではその生神を目指すとはどう言う事かと言う事になりますが
今朝のミニ御理解の中にも有ります
人が助かる事さえ出来ればの精神が育って行かねばなりません
と有ります
この 人が助かる事さえ出来ればと言う その
人の助かりを願う 祈る そう言う心が育って来なければならないと
神様が私どもに求められる心
それは私どもの中に人の助かりを祈る心 願う心が愈々育って来る
それを願って居られる様に思いますね
そこの所が 師匠と弟子である私どもとの
大きな違いである所でもある様に思いますね
生神への精進 神の心が育つ それは人の助かりを祈る心が育つ
人の助かりを願う心が育つと言う事だと思いますね
なる程私ども 師匠から合楽理念を教えて頂き
それを伝えようと致します
その伝えようとするその心の根底に やはり師匠を現したいとか
師匠のお役に立ちたいとか そう言う思いが有ります
それはそれで良いのですけれども
師匠が合楽理念を伝えようとされたその根底とは違いますね
師匠が合楽理念を伝えようとされた その根底と言うのでしょうか
その動機と言うのでしょうか
それは人を助けたい 一人でも多くの人に助かってもらいたい
その 人が助かりさえすればと言う 人に助かってもらいたい
人を助ける為に合楽理念を伝えられたと
言う事ですね
師匠が合楽理念を伝えられた その大元は 助かってもらいたい
助けたいと言う一念からの合楽理念を伝えるであったと言う事ですね
ところが私どもの場合は その心が 人に助かってもらいたい
その為に合楽理念を伝えたいと言う所が薄くなっていますねぇ
これは私だけの事かもしれませんけれども
その 人が助かる事の為に合楽理念を伝える
伝えたいと言うその部分が薄い訳ですね
そしてただ合楽理念を伝えたい お役に立ちたい
それはそれで結構なのですけれども
その動機が師匠が合楽理念を伝えられたその動機とは違う
かけ離れていると言う訳ですね
それがやはり師匠が合楽理念を伝えられたその心根と同じ様に
ならなければならない そこまで育たねばならないと言う訳です
即ち人が助かる事の為に合楽理念を伝えさせて頂きたい と言う
先ずは人の助かりを願う その心が愈々強くなって来なければならない
また神様が私どもに願われるのも その人の助かりを祈る
願う心が育つ事を願って居られるのではないでしょうかね
神の心を心とする 生神への精進
生神に成る為に精進をする
それは即ち人の助かりを願う 祈る
そう言う私に育つ事だと思いますね
師匠が 何の為に合楽理念を世に出され
伝えようとされたか
それは人が助かる事の為に 助かってもらいたいから
助けたいから合楽理念を世に出し またそれを伝えようとされた
その心を弟子である私どもも
やはり頂かねばならない
そして人が助かる事を第一に願える
それこそ人が助かりさえすればの精神をもっての合楽理念を伝える
と言う所に 心が育って来なければならないと言う事ですね
どうでもそう言うお育てを頂きたいと願いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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