今日も和賀心学 (2021-12-08)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
御神徳を頂くと言う。御神徳は神様の御信用と教えて頂く、ではその御信用を頂く鍵は何か。今朝の心中祈念でその鍵は人の助かりを願う祈るその強さだと。自分の事はさて置いて人様の助かりを祈るその心に信用が着いて来ると。人が助かる道、成行きを大事にする生き方をどれ程伝えて居るかとも。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 350頁)
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合掌
中原博信
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御理解第52節
信心する者は驚いてはならぬ これから後
どのような大きな事ができてきても 少しも驚くことはならぬぞ
真っ暗闇だから不安になる
信心の光がさす時安心が頂ける
神の偉大な働きを実感する時 そこに信心の喜びが湧いてくる
その喜びが不可能を可能にする
よくこの驚いてはならぬ
と言う御理解を頂きますね
驚く 信心の驚きと喜びとも教えて下さいます
そう言う信心の驚きと喜び
信心の上での神様の働きに驚く
そう言う驚きは有難い驚きですね
しかし何か事が起こる
例えば車を運転してて 交通事故に遭うと言った様な
そこにも驚きが有りますが
そう言う驚きはなるべく避けられるものなら避けたいものですねぇ
私どもが その驚かずに済む信心
それはどこから頂けれるのかと言う事になりますね
また今朝
心中祈念の時に思わせて頂きましたのは
御神徳を頂くと言うけれども
その御神徳とはどうやったら頂けれるのか
例えば
信心とは有難くなる稽古だと
その有難くなろう 有難くなろう と有難いと言う事を
一日に千遍 二千遍 三千遍唱えたら御神徳が頂けれるか
そうは行きませんねぇ
師匠の御理解を全部頂いたら御神徳が頂けれるか
そう言う訳にはまいりませんねぇ
教えを聞いたから 或いは有難いを 和賀心を一万回唱えたから
と言って頂く 頂けるものではありませんねぇ
どうしたらその御神徳が頂けれるか
それはやっぱり私どもの心が変わって行く
心が育つと言う事だと思いますねぇ
どう言う心が育つのか 師匠はそれこそ
神の心を心とすると言う生き方を教えて下さいました
その神の心を心とする 究極の所の神の心を心とすると言う事は
やはり人の助かりを願えれれる私になる 人の助かりを祈る私になる
そういう人が助かる事の為の
お役に立たせて頂きたい
また その人の助かりを祈る 願う
そう言う心が無い事は無いでしょうけれども
それがその度合いですねぇ
その 人の助かりを願う お役に立ちたいと願う
その心の強さと言うのでしょうか
それが 一の人もあれば 五の人もある
十の人もあれば 百の人もある
一番人の助かりを祈る心の強い人
それはやはり神様と言う事になるのではないでしょうかねぇ
私どもの心が どれ程の強さを持って人の助かりを祈っているか
祈れているかと言う事ではないかと思いますね
それがいわゆる御神徳
神様の御信用を頂くと言う事に繋がって来ると
どれ程人の助かりを祈れているか 祈っているか
その度合いの強さが御神徳を頂く鍵だと言うのでしょうかねぇ
神の心を心とすると言う事は 神様が 人を助けたい
それこそ万年億年かけてでも人を助けたいと願われる
その心を心とする事ですから
私どもの中にどうでも人の助かりを願う 祈る
そのお役に立ちたいと言う心が 募って来なければなりませんね
その心に神様が信用して下さる
なる程この氏子は それこそ自分の事はさて置いて
人が助かる事を いの一番に考えてくれている
とそこに神様の信用も付いて来る
と言うのではないでしょうかね
どこをどう神様が信用して下さるか
信用と言っても色々有りますからねぇ
この氏子に任せておけば
この仕事は間違いなくやってくれると
よく有りますねぇ あれは何でしたかね 商売人ですか
必ずこの時間になれば ここを通ると
商いの人ですねぇ
昔のいわゆる昔の商いの人と言う事でしょうかね
この人は間違いなくこの時間になるとここに来る
と言うそう言う信用も有りますね
この氏子は人の助かりを先ず第一に祈る人間だ
と言うそう言う信用が付く事
これが御神徳と言うのではないでしょうかねぇ
本当の意味においてのですね
そうなった時に初めて
神様が私どもの願いも聞いて下さる
自分の我情我欲の願いを聞いて下さい
と言うお願いではありませんからね
この人を助けて下さい 何とかおかげを授けて下さい
それは真の助かりに繋がるおかげを授けて下さいと願う訳ですから
神様もその願いであられる訳ですから
そこに信用が付かない筈はありませんね
私どもの中に 如何にその
人が助かる事を願う心が育つかと言う事ですねぇ
そしてその師匠の許で信心の稽古をさせて頂いていると
どうしたら助かるか どうしたら幸せの世界へと人を導く事が出来るか
それはもう成行きを尊ぶ 大切にする 大事にする
色々表現は有りましょうけれども
その成行きを大事にする
そこに極まると思いますね
人の助かりを願う 祈るならば
その人々に成行きを大切にする生き方を伝えて行くと言う事
そしてその成行きを大切にして行く
と言う生き方が身に着くならば
もう例えどう言う事があろうとも驚かんで済む生活
信心生活が出来る事になりますね
人の助かりをどれ程願えているか
そしてその人の助かりを願うからには
その助かる為の手立てである 成行きを尊ぶと言う生き方を
どれ程伝えようとしているか 伝えられているか
と言う事ではないでしょうかねぇ
先ずは人の助かりを祈る心 願う心が芽生えて来て
それが愈々強いものに育って来なければならないと言う事ですね
その育った心を に神様が信用して下さる
この氏子は間違いはないと
自分の事を願うよりか人様の助かりを願う人間だと
信用して下さる様になる のではないでしょうかね
どうでも人の助かりを願う心が愈々強くなる
そう言うおかげを頂かねばなりませんね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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