今日も和賀心学 (2021-12-04)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
教祖様も、直信先覚の先生の中にも、また師匠大坪総一郎師の場合も、布教妨害と言う様な中を通って居られる。神様の目論見は色々有るのだろうがその中の一つに、布教者の心の中に、それでも人を助けたい、人が助かるお役に立ちたいと言う情念が愈々育つ事を願った居られる様だ。妨害を越える程しの情念が。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 105頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
神の恵みを人知らず
親の心を子知らず
神の恵みがわかれば
悲しゅうなり
有難くなり
うれしゅうなる
親の喜びを自分の喜びとしての
心がけができたとき
親の心が
わかったときである
悲しゅうなるとは
神の恵みがほんとうにわかったとき
その恵みに対して
自分の信心が足りないことがわかるところから悲しゅうなる
そして足りない私でも このようなおかげを頂いておることが
有難くなり 最後には うれしゅうなってくるのである
教祖様あるいは四神様の時代のいわゆる直信先覚の先生方
この先生方もいわゆる布教妨害と言う様な事にあって居られますねぇ
それは教祖様が山伏の妨害であったり
様々な布教を妨害する働きの中に信心を進めて居られますね
師匠もまたその布教妨害とも言えれる様な
そう言う所を通って居られます
この道の取次者と言う者は
そう言ういわゆる布教妨害と言われる様な所を通らせて頂く
それが一つの宿命であろうかと思わせられますね では何の為に
神様がそう言う妨害をされる様な中を通させなさるのか
その事を今朝 心中祈念の時に思わせて頂いて居りましたら
ヒントとして頂くのが それは取次者の心をやはり育てる為だと
どう言う心を育てる為か それは人様が助かられる事を祈る 願う
人の助かりを願う 人に助かってもらいたい
何とか助けたい と言うその心が愈々強くなる事
その心が 人を助けたいと言う心が愈々募って来る事
その何と言いましょうかねぇ
人を助けたい 人に助かってもらいたいと言う心を愈々強くする為に
その妨害が有るのだと
そればかりではないでしょうけれども
その事を通してその取次者の中に
どれ程人を助けたいと言う思いが
願いが強く成っているかと言う事だと
もしもその 人を助けたいと言う願いが弱いならば
妨害が有ればもう止めてしまうであろうと
その如何に妨害があろうとも
その妨害に負けぬ 人を助けたいと言う思いが強くなければならない
強く成って来なければならないのだと
師匠が ある御ヒレイを頂いて居られる先生の事を
どうしてあそこでは御ヒレイを頂かれるか よく分からない
とよく仰って居られましたが
一つ言える事は なる程その先生は
人を助けたいと言うその情念と言うのでしょうかねぇ
その塊の様な先生であったようだと
思うのですね
やはり神様は その取次者の
人を助けたいと言うその情念と言うのでしょうか
その欲望とでも言うのでしょうかねぇ 人を助けたい
何とか助かってもらいたいと言う そのやっぱり情念ですかね
それが育つ事を願って居られる
そしてまたそこに神様の御働きが現れて来る と言う事の様ですねぇ
もし人様に助かってもらいたい
人が助かる為のお役に立ちたいと言うその情熱が薄いならば
もう妨害が有ったら
止めてしまいますねぇ
如何なる妨害が有ろうとも
それに負けない 程しの強い情念
人を助けたいと言う情念があって初めて
神様も喜んで下さると言う事になりますねぇ
それくらいの邪魔が入って もういいやと
投げ出す様な事では神様が聞いて下さらないと言う事でしょうかね
どうでも私どもの中に 人の助かるお役に立ちたい
それこそどういう妨害が入ろうとも 人の助かりを祈る 願う
そう言う心が愈々募って来る
そう言う情熱が愈々熱くなって来る
それを そう言う心を育ててくれよと
神様は願って居られるのだと思いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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