今日も和賀心学 (2021-12-17)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
師匠大坪総一郎師は、心一つですべてをつくる、と教えて下さる。だから心一つですべてを壊す事にもなりかねないとも。その総てを創る程しの心を授けられて居るのだから、人の助かりを真摯に願う心が足りなければそれだけの事になる。せめて人口の1パーセントの人が助かるようなおかげを頂きたいと願う。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 220頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第9節
天地金乃神は宗旨嫌いをせぬ
信心は心を狭う持ってはならぬ 心を広う持っておれ
世界を広う考えておれ
世界はわが心にあるぞ
せまい心で大きな願いをたてても無理なはなしです
先ずは広い心を願い その修行をせねばなりません
だまって治める信心 即ち土の信心
心は自ずと大きく広く豊かになってまいります
清濁一如の信心もわかります
大願の氏子の上には特別の
親神さまの働きが受けられます
師匠のミニ御理解の
大願の氏子の上には特別の親神様の働きが受けられます
と有ります
大願の氏子 大きな願いを立てると言う事ですね
またその一番最初には
狭い心で大きな願いを立てても と有ります
大きな願いを立てるからには
大きな心でなければならない
如何に狭い心で大きな願いを立てても
御働きは頂けない と言う事かもしれませんね
しかしその裏を返せば 心が大きくなったのに
小さな願いだけでは どうしようもないではないかと
その心が大きくなったならば
その願いも大きくならなければ勿体ない
と言う事になりますね
小さな心で小さな願いをするのは結構だけれども
大きな心になったのに
小さな願いをしていたのでは勿体ないと言う事なのですね
師匠大坪総一郎師の御教えの中に
心一つですべてをつくる と言うのが有りますね
心一つですべてをつくる
だから心一つで全てを壊してしまう事にもなるから
用心をしなければならない
と言う事にもなる訳ですけれども
とにかくその 心一つですべてをつくり出す事が出来る
と言う訳ですから
私どもの願い一つで
そのどうにでもなる世界が有ると言うのでしょうかね
私どもの願い一つで
心一つですべてをつくり出す
今朝はこう言う事を思わせて頂いていたのですけれども 例えば
ここ数日歯が痛む 痛い時も有れば 今は治って居りますけれども
その歯が痛い時に この事を例えば
あの方がおかげを頂く為の修行とさせて頂こう
と言う頂き方が有りますね
それではどうも私の心の中にもう一つ響かないのですねぇ
で 今朝心中祈念の時に思わせて頂きましたのは
例えばこの歯の痛み これでもし百万の人が助かるならば
四百万の人が助かる事の為ならば よしこの痛みを修行とさせて頂こう
これならば受けられそうだと思うのですね
あの人が助かる
この人が助かる
一人二人の人が助かる事の為にこの修行をするのならば
それはどうも間尺が合わないと言うのですか
何となくその出来ないけれども
出来ないと言うか 心が定まらないけれども
もしこの修行で百万 二百万 四百万の人が助かる
と言う事に繋がるのであれば これは修行として受けさせて頂こう
これなら出来るなと
言う感じがするのですね
例えば私が修行をさせて頂く
それが四百万の人が助かる為にこの修行をさせて頂く
これは何かしら値打ちが違いますねぇ
人一人が助かる為に修行をさせて頂く と言うのと
四百万の人が助かる為に修行をさせて頂くと言うのは
では 填まりが違って来ますね
そう言う様な事を思いながら
そうだ師匠が心一つですべてをつくる と教えて下さっている
ならばこちらの願い一つで
心一つで その願い一つで全てを創り出す事も出来る
例えば十人の人の助かりを願えば十人の人の助かり
一人の助かりならば一人の助かり
どうせならば沢山の人の助かりを願った方が
良いとは思いませんか
教祖様も大欲と言って居られますねぇ
人が助かりさえすればと言う大欲が有ると
今日はせめて人口の 1パーセント
今ではそれこそ 0.0000何パーセントか分かりませんけれども
せめて 1パーセントの人が助かられる様な
そう言うおかげを頂きたいものだと
その 1パーセントの人が助かる事の為の修行として頂く
或いは修行をさせて頂こう
どうぞ神様
その人口の 1パーセントの人が助かられます様に
せめて 1パーセントの人でも助かって下さる様な
御働きを頂かせて下さい と言う願いが新たに湧いて参りました
そう言う中に 今日頂きました御理解がこの御理解でしたね
それこそ狭い心で大きな願いを立てても駄目だと言う訳ですね
大きな願いを立てるなら大きな心になりなさいと
確かにその通りですね
ですから愈々人口の 1パーセントの人の助かりを願うならば
それに見合うだけの心が 私の心が大きくなって行かねばなりませんね
と同時にまた有難い事に
大願の氏子の上には特別の神様の御働きが受けられますと有ります
それはどう言う働きか 修行と言う事も有りましょうし
いわゆるご利益と言う事も有りましょうし
様々な特別の御働きが有ると言う訳ですね
しかしそこには大願を立てなければならない
より多くの人の せめて 1パーセントの人でも助かられる様な
そう言うおかげを頂きたい 助かって頂きたいと言うのですね
そう言う願いを立てれば おそらく
それに見合うだけの心の大きさが要るのでしょうから
心を大きくする為の
神様の御働きが有るには違い有りませんね
しかしそこには その 1パーセントの人の助かりを願う
その為にはこれくらいの修行はさせて頂きますとか
その為にはどの様な修行でも受けさせて頂きます
と言う腹決めがやはり出来て来ますね
十人の助かりを願うより 百人の助かりを願う
その方が填まりが違って来ますね
やはり願いは大きい方が良い様ですね
それに伴ってこちらの腹の括り方もまた違って来ますからね
どうでもそれこそ人口のせめて 1パーセントの人が助かられる様な
おかげを頂きたいと願いますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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