今日も和賀心学 (2021-12-15)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
今朝は変わったお夢を頂いた。交通渋滞を避けて山の方へ歩き出したら段々人道が無くなり、道無き道を進み、川を渡り、山中で迷子の寸前に人里に降りる道が見つかりおかげで麓に降りられた。ここは何処かと尋ねると、そこは一山越えた向こう側の人里だった。信心は山登りに例えられるが、山頂で生活する訳では無い、人里にまた戻って生活すると言うこと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 256頁)
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合掌
中原博信
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御理解 第21節
信心せよ
信心とは わが心が神に向かうのを信心というのじゃ
神徳の中におっても
氏子に信なければおかげはなし
カンテラに油いっぱいあっても
芯がなければ火がともらず
火がともらねば夜は闇なり
信心なければ世界が闇なり
人の世から神の世へ
闇の世から光の世に
わが道の信心は心が 神に向うのを信心と云うのじゃ
わが心が一歩一歩神に近づく修行です
悪がぬけ我がぬけて行く其の喜び楽しみから
次第に苦しみがぬけてくる
そういう人達の集りこそ
神の世であり光の世である
光の輪をつくろう さらにそれを拡げてゆこう
世直しのおかげを頂こう
人の世から神の世へと
この人の世から神の世へと
今朝はそれが面白いお夢を頂きました
この御教えで行くならば
人の世から神の世へと
そして再び人の世へ戻ると言うのでしょうかねぇ
そう言う感じのお夢でした
車でどこかへ行っているのですけれども
大変渋滞で前に車が進まない
中には追突事故を起こしている車も有る
と言った様な所の状況なのですが
それで これはもう車では行けないから
歩いて行こうと
近道をしようと言うのでしょうかね
そう言う事になって歩くのですけれども
一寸山道の様な上り坂を少し登るのですが それが段々道が
いわゆる人の歩く道が無くなって 道無き道と言うのでしょうか
山道の様な
それも道も無い様な所を歩く事になるのです
そしてさあこれで山の中に入り込んで
それで迷う込むのだろうかと思って居りましたら
更に進みますと その人道と言うのでしょうか
人家と言うのでしょうか その人里と言うのですかねぇ
そう言う所へ降りる様な道が有りました
でそれを下って行きましたら
いわゆる山の中から人里へ無事着く事が出来ました
ところがどこに出たのか分からない
それでここはどこですかと尋ねたり
地図を見たりして居りましたら
その 山を一山越えた向こう側え降りた
そう言う感じのお夢でした
それで心中祈念の時に
一体どう言う意味が有るのだろうかと思わせて頂きましたけれども
そう言えば教祖様の御教えに
そんなのが有ったなと
十里の坂を登り切って向こうへ降りたら安心じゃ
と言った様な御教えが有りましたねぇ
その正に山をいつの間にか山を登って向こうに降りていた訳です
言わば一修行越えたと言うのでしょうか
そしてまた思わせられます事が
なる程信心と言うのは山登りに例えられる
例えば富士山の頂上を目指す
と言う事だけれども
何も富士山の頂上を目指し 登り
そこで生活をする訳ではありませんねぇ
富士山の天辺に登って
そこで生活する為に登る
山登りを極めて 山に登って
山の頂上で生活をすると言う事ではありませんねぇ
確かに山登りはします そして頂上を目指します
また極めた後は 人里へと戻って来ますね
言わば山に登って その山を越えて また人里 麓へ降りて来る
そこまで行かねばならないと言う事ですね
またそこまで行くものだと 山に登りっ放しで
富士山の例えば頂上で一生を過ごすと言うのではありませんねぇ
たまに登るから良いのかもしれませんね
登ったらまた降りて来る
そしてその大部分と言うのでしょうか
その生活と言うのでしょうか
その生きる場所 それは山の天辺ではない
生きる場所は人里だと 山の麓で生きて居ると言う事なのですね
さあこれはどう言う事なのだろうかと
思いますけれども
師匠が一遍 それこそ山を登り 向こうに降りて
そしてまたこちらに戻って来られた方だ
それが師匠大坪総一郎師だと
表現される事が有りますね
天辺に 山の天辺に登っただけでは駄目だと言う事ですね
登ってそして また人里に降りて来て
そこの人里で生活するものだと 生活する所は山の天辺ではない
麓の山里だと 失礼 人里だと言う事ですね
さあこれが何を意味するのか分かる様な
分からない様な所が有りますけれども
なる程 山を極める そして極めた後は 言わば人間世界の中で
いわゆる普通の生活の中で神様のおかげを頂いて行く
そのおかげを実感して行く
と言う事ではないかなと思いますねぇ
確かに信心修行の山登りは要るけれども
その山へ登った後はまた麓へ降りて来て
麓での生活 普通の人間社会での生活
の中で神様を現して行くと言うのでしょうかね
実感して行くと言うのでしょうかね
山に登り頂上を極めたら
その山を越えて
また向こう側の麓へ戻って
人間生活を続けると言う事でしょうかねぇ
何となく感じをつかめて頂ければ良いと
思いますけれども
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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