2021年12月21日火曜日

金光教のおかげとは心が育つこと (2021-12-21)

 今日も和賀心学 (2021-12-21)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


今朝は、金光教のおかげとは心が育つこと、と頂いた。おかげと言うとどうしても所謂自分に都合の良い様になる事を想う。しかし真実のおかげは己の心が育つ事だと。お道の信心の稽古によって自らの心が育って初めて真のおかげを頂いたと言える。心を育てる事に焦点を定めない限り一切神愛は見えて来ない。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 161頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




陰とひなたの心を持つなよ




自然のはたらきほど

 正直で間違いのないことはありません




其のはたらきを 神のはたらきと頂くところに

合楽理念の根本があります




自然のはたらきの中には妙なるまでのリズムがあります

そのリズムにのっての刻々であり 日日であります




蔭日なたの心などもつ暇がありません

自然を大切にすることは 自然を生かすことになります




自然の働き程 正直で間違いの無い事は有りません

と師匠は教えて下さいます




その自然の働き 正直で間違いの無い働き とは

どう言う事を言うのだろうかと思いますね




正直で間違いの無い働き

何に対して正直で 何に対して間違いが無いのか




今朝は 金光教のおかげは心が育つこと と頂きました

御道の信心でおかげと言うのは心が育つ事だと




普通おかげと言ったり ご利益と言ったり致しますが

それは私どもが普通に使うおかげと言うのは




やはり私どもの願いが叶うとか

いわゆる私どもにとって その都合良く事が運ぶ




そう言う時に

ああおかげを頂いたと言ったり致しますね




それこそ命を助けられた




もしこれが死にたいと願っている人が 命を助けられたら

おかげを頂いたとは言わないでしょうねぇ




死にたかったのにと

言われるかもしれませんね




命が欲しい もっと長生きをしたいと言う人が 命が助かって初めて

ああおかげを頂いた 命拾いが出来たと言う事になるのでしょう




ですから私どもが

その私どもの願いと言うのでしょうか




にとって都合の良い事が起こって来た時に

大抵は おかげを頂いた おかげだと言いますね




勿論 難はみかげと言われます




しかしそれも裏を返せば 今は難儀だけれども

将来これが自分にとって良い事になる だからおかげだと




言う いわゆる万事が塞翁が馬ですか




そう言う発想から 今はそれこそマイナスに見えるけれども

それが災い転じて福となすと言った様な




結局その最後に行き着く所は 今は悪い事かも

悪い様に見えるけれども 難儀の様に見えるけれども




この事のおかげで将来は 自分にとって都合が良い様になる

と言う程度でしか捉えていない様に思いますね




そうではないと言う訳です おかげと言うものの

何と言いますかね 概念が違うと言う事になりますね




御道のおかげ それは心が育つ事だと

自分の都合の良い様になる事がおかげと言うばかりではないと




勿論それもおかげと言えますけれどもね

究極の所は 心が育つ事だと




師匠が一切神愛と教えて下さいます

その一切神愛とても 私どもが 何の為に一切神愛か




それこそ大抵は後々の良い様になる

自分にとって都合の好都合な事になる




後々繁盛する だから一切神愛だ

と言う頂き方だと思うのですけれども




それは焦点が違う 焦点を違えると

いつまで経っても一切神愛は頂けませんね




自分の都合の良い様になると言う事は

余り有りませんからね




私どもの焦点が 心を育てると言う所に焦点を定めた時に

初めて 一切神愛と言う事が感じられる様になりますね




その例えば難儀なら難儀を通してでも

心を育てる事に精進する




あるいは いわゆる好都合のおかげを頂いた そう言う時でも

心を育てる それこそ大恩が分かる 御礼の心が育つ




その一事が万事に自らの心を育てようと

そこに焦点を定めた時に初めて




一切のものによって私の心を育てて下さる

一切を通して私の心が育つ




その時に初めて なる程一切が神愛だ

一切が私の心を育てて下さる素だと言う事になりますね




勿論そうなった時に

一切が修行と言う事にもなります




私の心を育てて下さる為の一切が修行だと

その修行を通して心を育てて下さる なる程神愛であった




何も神様の神愛は

撫でさすりするばかりが神愛ではありませんからね




撫でさすりしてもらう事を神愛だと認識している間は

本当の神愛が分かりませんね




一寸痛い痒いが有ると

やっぱり神愛ではないと言う事になります




どこまでも私の心を育てる

それこそ師匠が仰る 生神への精進と言う事になりますね




その生神への精進も

では何が生神に成る事なのかと言う事になります




それは今の私にとって申せます事は

人が助かる事を祈る心が愈々強くなる事




人の助かりを祈る 願う 願えれれる様になる

その心が育つ事が生神に成る事だと 生神への精進だと言えますね




天地日月の心を目指す

そこに初めて一切が神愛と言う事が感じられる様になる




天の心を 地の心を 日月の心を

やはり育てようとした所に 一切が神愛と言う事になる




もしこれが自らの心を育てる事

そこに焦点を置かないならば




それこそお金を儲ける事に焦点を置いて居ったり

自分の願い通りに事が運ぶ事に焦点を置いて居ったのでは




一切が神愛と言うのはいつまで経っても頂けませんね

どうでも私どもの焦点が それこそ心を育てる




自らの心を育てると言う所に焦点が定まった時に初めて

一切が神愛と言う事が見えて来るのではないでしょうかね




勿論今日のミニ御理解に有ります

正直で間違いの無い働き




それは私の心を育てようと言う正直な働きであり

間違いの無い働きだと言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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