2021年10月29日金曜日

神様に恋をすることが真の信心の入り口 (2021-10-29)

 今日も和賀心学 (2021-10-29)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


信心とは何だろうと思う。大概は神様を便利屋として使う事が信心の様に思うて居る様に見える。今朝は心中祈念の時にその事を御祈念していたら心に、神様に恋をすることと響いて来た。神様を便利屋の様に使う信心では真の信心は生まれない。神様に恋する心が芽生えてそこから初めて真の信心とは成る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 168頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




懐妊の時腹帯をするより

心に真の帯をせよ




懐妊のおかげをうけた当の本人の信心は

言うに更なりであります




その半身である主人たる者も 女だけにその修行を任せず

生まれる新しい生命のためにも その半分の修行を担うべきです




夫婦揃うての信心修行こそ安産のおかげだけでなく

よい子に恵まれる為の神様に対する絶対の条件と思います




真の帯をせよと

真の心と言う事だと思いますね




そしてそれはまた 真の帯をせよと

真の信心をせよ と言う事でもあろうと思いますね




ではその真の信心とは何だろうかと

言う事になります




今朝はしきりに心中祈念の時に

信心と言うけれども 信心とは一体何だろうか




どうある事が信心と言うのだろうかと

その事をしきりに思わせて頂いて居りました




そうしましたら 心に響いて来ますのが

信心とは神様に恋をする事だと




神様に恋をする

これが真の信心だと言うのですね




なる程そうですねぇ 信心と言うと

私ども神様を便利屋の様に使うと言うのでしょうかね




そう言う事から信心は始まる様な感じが致しますね

いわゆるおかげ信心とか ご利益信心とか言われる それですね




神様を便利屋の様に使う

それが信心だと思うている人達が多いのではないでしょうかねぇ




それは真の信心ではないと言う事ですね

どうしても私ども 神様を便利屋としか見ていない所が有りますね




そして神様を便利屋として使おうとする

真の信心と言うのはそうではないよと




神様に恋をする事だと その神様に恋心を抱いての信心

そこから真実の信心が始まると言うのか 真実の信心になると言うのか




そこからそれこそ 神様に嫌われちゃならん

好きな人に嫌われてはならないと言った様な心にもなるものですねぇ




そして 好きな人に喜んでもらいたい

と言う様な心も起こって来るものですね




その様々な神様に対しての心と言うのが

私どもの中に湧き起こって来る




その大本になると言うのか

それは神様に対する恋する心だと




そこから初めて 様々な教えに取り組むであったり

和賀心になろうとする事であったり




様々な真の信心が 何と言いますかねぇ

始まると言うのでしょうかねぇ




先ずはその要になるのは それは神様に恋をする事だと

恋をしておれば 痘痕も靨と言われたりもしますね




そう思えたりも致します

またそう見えるものなのでしょう




ですから神様が少し何かをされても 悪い所が有ったり

悪く感じる所が有ったにしても それでも良いものとして頂けれる




と言う様な事かもしれませんね




そうでないならば もしも神様が嫌いなお方であるならば

それこそ一寸した事が愈々嫌になってしまいますね




とても有難くはなれません どうしてこんな事をするんだろうか

何でこんな仕打ちをされるのだろうかと言う事になります




あれは何ですかねぇ 歌の文句ですか

嫌いな方の親切よりか 好きな方の何でしたかねぇ




何が良いとか言うのが有りますねぇ




嫌いな人に親切にしてもらうよりか

好きな人につっけんどんにされても そっちの方が良いと言う




そんな感じだと思いましたね




とにかく神様を好きになる

神様に恋をすると言う事が




真の信心をさせて頂く上での一つの条件

になるのではないでしょうかねぇ




ではどうしたらその神様に対する恋心が湧き上がって来る

育って来るのか と言う事になりますね




それはやっぱり神様の御親切に触れる

と言う事ではないでしょうかねぇ




神様の御親切に触れて そしてそこから私どもの方が

今度は神様に惚れると言う様な事になるのでしょうね




では神様の御親切に触れる為にはどうしたら良いのか

それこそ師匠が教えて下さる 成行きを大切にする 尊ぶ




その成行きを尊び大切にする生き方の中に

愈々神様の御親切を感じる事が出来る様になりますね




そしてそこから愈々神様に惚れる心も

育って来るのではないでしょうかね




そして神様に恋をした時に初めて

痘痕も靨と言う様な 何と言いましょうかねぇ




そう言う事になって来る様に思いますね




真の信心をさせて頂く為には

ただおかげが頂きたいから信心をするとか




ああせろ こうせろと言われるかするとか言う

そう言う次元ではとても出来るものではありませんね




あぁ思い出しました




嫌いな方の親切よりか 好きな人の無理が良い

とか言う歌でしたね そう言う言葉でしたね




神様が好きであればこそ 神様から無理な事を言われても

それでもそちらの方が良いと言う訳ですね




そう言う心が起こって来る

それもそれは神様に恋をしておればこその話ですね




神様を便利屋に使おうとしている様な心から

そう言う神様の無理に対して




こちらの方が 無理の方が良いと

思う様な心はとても起こって参りませんね




真の信心をさせて頂く

為には先ずは神様に惚れる事だと 神様に恋をする事だと




そしてこれが 神様からも惚れられる様になる

いわゆる神様に恋をすると言う世界から




神様と恋をする 相思相愛の仲と言う事になれば

一番良い事になると思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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