2021年10月21日木曜日

この道の信心とは天地金乃神様の琴線に触れる様な心を目指しての精進 (2021-10-21)

 今日も和賀心学 (2021-10-21)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


この道の信心とは天地金乃神様のお心に通う、神様の琴線に触れる様な心を持つ事を目指しての精進とも言えると思う。カバンを持ちましょうかではならず、カバンを持たせて下さいでなければならないと言われる。神様のお役に立ちたいの一念を燃やしつつ、どうぞ御用にお使い下さいとの謙虚な心が要る。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 100頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




信心する人は何事にも真心になれよ




勝って兜の緒をしめよ ということがあるが

信心も平穏だから 無事だからというて 心に隙をつくってはならん




心におこる感興と 外からなる響きとがひとつになり 交響楽ともなり

リズムともなって神と氏子との絶妙なるドラマが生まれる




むつかしいと思わず

信心が血肉になる精進である




信心が血肉になる その精進であると

信心が血肉になるとは一体どう言う事だろうかと思います




私どもと神様との

やはり心の通い合いと言うのでしょうかね




その私どもの心の持ち様 有り様

それが天地に通うと言うのでしょうか




神様の御心に通う

それが一つの信心になると言う事ではないでしょうかねぇ




神様の御心に適う 神様の御心に通う心持ちに成る事

そう言う心を作る事と言うのか 持つ事と言うのか




育てる事と言うのか 色々表現は有りましょうけれども

結局神様の御心に通う心を持つ事だと そう言う心に成る事だと




それは神様の琴線に触れる心 とでも言うのかもしれませんねぇ

大変微妙な所が有る様に思います




今朝心中祈念に思わせて頂きますのは

昨日の続きではありませんけれども 大変微妙な心の有り様ですね




ある方がそれこそカバンを持ちましょうかと

又はカバンをお持ち致しましょうか どちらでも良いですけれども




ある方に カバンを持ちましょうかと そう尋ねられたら

いやいいよと 持たなくていいよと そう言われたと




ところがもう一人の人は

どうぞカバンを持たせて下さい と言われたと




そしたら あぁそれならばお願いします

と カバンを預けられたと




その 持ちましょうか

では駄目だと言う訳ですね




どうぞ私に持たせて下さい

と言う心でなければ 持たせてもらえない




これは神様に 何かあったら御用に使うて下さい

では 神様は使うて下さらない




どうでも私を御用に使うて下さい

と言うその一念が要ると言う事でしょうね




神様のお役に立たせて下さいでは

少し謙虚さが足りない様な感じが致します




けれども そのお役に立たせて下さい

と言うのではいけないけれども




お役に立ちたい と言う一念は愈々持ち続けなければならない

燃やして行かなければならない




その神様のお役に立ちたい どうにかして神様のお役に立ちたい

と言うその一念 情念は持たねばならないと言う事ですね




そしてその神様のお役に立ちたい

と言うその情念を持って




神様 お役に立たせて下さいでは

一寸あまりよろしくない と言う感じが致しますね




なる程 心の中には

神様のお役に立ちたいと言うその一念 情熱を燃やしながら




そして神様の御用に使うて頂きたい

使うて下さいと言う祈りと言うのでしょうか




願いと言うのでしょうかね

それを持つと言う事ですねぇ




持ちましょうか では駄目だと言う事です

持たせて下さい でなければならないと




勿論その持たせて下さいと言って

私どもに力が有る訳ではありませんから




その結局の所 持して下さる

その持つ力を与えて下さるのは神様だと言う事になりますけれども




私どもの心の在り方として

そのやはり神様に使うて頂きたい




どうぞ神様 私を使うて下さい

と言う心根が要ると言う事ですね




だからと言って 私が役に立ちます と言うその思いでは

何と言うのでしょうかねぇ おこがましいと言うのでしょうかねぇ




お役に立たせて下さい

では少しおこがましい




しかしお役に立ちたいと言う一念を燃やすと言う事は

これはどうでも必要だと言う事ですね




そしてそのお役に立ちたいと言う情念を持って

どうぞ神様 使い走りにでも結構ですから




結構ですからと言うのも少しアレですねぇ




何でも良いですから どうぞ私を使うて下さい

と言うそう言う思いと言うのでしょうかね




そう言うものが要ると言う事ですね

大変頂き様によっては微妙な所かもしれません




しかしその微妙な所が神様の御心に通う

神様の琴線に触れるか 触れないかと言う所だと思いますね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます



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