今日も和賀心学 (2021-10-01)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
人間は神の子として神の芽を発芽させる為にこの世に生まれたのかもしれない。師匠大坪総一郎師は、柿の種も机の上に置いて置くだけでは発芽しない。お土の中に入れて初めて発芽する。人の心もそのままでは神の芽は発芽しない。土の心をもってしなければ神の芽は発芽しないと。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 173頁)
ビデオ: https://youtu.be/fD96gxlYLrc
音声のみ(データ節約): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/nakahara-gorikai/audio/2021-audio/10-audio/Wagakokology_Labo-jp-2021-10-01.mp3
合掌
中原博信
(ブログ): https://wagakokology.blogspot.com
(Blog-en): https://wagakokology-en.blogspot.com
(ホームページ): http://www.gorikai.wagakokoronet.org/
(ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokology-jp
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku
(初代/ポッドキャスト番組名): 大坪総一郎師御理解集 第2集
(初代/ポッドキャスト): https://anchor.fm/wagakokorogaku-2
(スカイプ会議リンク): https://join.skype.com/ZrgSr5pB6gvS
-------------------------------------------------------
御神訓
疑いを去りて信心してみよ
みかげはわが心にあり
拝む気になる おかげがあります
改まって信心すれば心が助かります
本心の玉を研く気になって信心すれば
お徳が受けられます
昨日師匠の研修を聴かせて頂いて居りましたら
昭和 53年の 11月何日でしたかね
その中でこれが 言わば師匠の信心の神髄でもあろうかと
思う様な事を仰って居られました
沢山の事を 色々な事をお話下さって居りましたが
その中で特にその時に私が感じさせて頂きました事が
そしてまた今朝の心中祈念の時に
それが心に残っていたからだと思いますが 思わせて頂きますのは
人間は神の子として神の芽を発芽させる為に
この世に生を受けたのではなかろうか と言う事ですね
人間は神の子だと言われます
その神の子としての神の芽が宿っている
その神の芽を発芽させる為に この世に生まれたのは
生まれたのかもしれないと思うのですね
師匠はその勿論
その日の朝の御理解を元にしての研修でしたけれども
その中で柿の種をそれこそ断ち切ってみる
真っ二つに断ち切る 断ち割ると言うのでしょうかねぇ
そうすればまたその中にも柿の種の芽が有ると
ただこれが柿の種を表面を少し擦った位とか
少し削った位では分からないと
真っ二つに断ち割ってみなければ
その芽が有る事が分からないとも仰って居られましたね
これは少々私どもが改まりますと言って少々改まったり
心を削ると言った位ではその芽が有る事には分からないと
言う事かもしれませんね
自らの心と言うのでしょうか それを断ち割ってみて初めて
その神の芽が有ると言う事が分かるのだと
これは誰の心の中にでもその神の芽と言うものが宿って居ると
宿って居るけれども ここからが大切な所だと思いますが
例えば柿の種が有る 柿の種を机の上に放置して置く
あるいは引き出しの中 どこかそこらに置いて置く
それだけでは決して芽が出る事はないと
土の中に戻すと言うのでしょうかねぇ
土の中に埋めて初めてその柿の種が発芽する 芽を出すのだと
その柿の種が柿の芽を出す為には土の心が要ると言う訳ですね
土の中に 土の中に埋めなければ発芽しない
もっとも水だけでも発芽すると言われれば
そうかもしれませんけれども
ここで大切なのは
そのそれは例えば水の心と言っても良いのかもしれません
師匠は土の心と仰って居られますね
そのお土に戻す お土をかける それで初めて芽が出て来るのだと
人間の心も 土の心をもってして初めて
神の芽が芽吹くと言うのでしょうかね 発芽するのだと
もし人間が土の心 いわゆる土の中に人の心を埋めないならば
何もしないならば それは決して芽吹く事はないと
人間は神の子であるけれども それが土の中に入れないならば
種子が種子で終わってしまうと言う事なのですね
なる程私ども 生神の性と言うのでしょうか
神の子としての芽を種子を持っている
しかしそれが何にもせずにと言うのか 普通に普通の一生を終われば
それは神の子としての芽が発芽する事もなく終わってしまうと
言う事なのですね
そこに土の心をもってして初めて神の子としての神の芽が芽吹く
発芽すると言う事なのですね
何故土の心が大切なのか
と言う事がハッキリしましたね
土の心をもってしなければ
神の子としてのその神の芽が発芽しないと言う事なのです
ですから世の中にはその神の芽が発芽しないで終わってしまう人達も
沢山居られると言う事ですね
その事が分かりませんからね
やっぱりこれは教えてもらわなければ分かる事ではありませんね
師匠に教えて頂いて なる程土に戻す
あるいは土の心をもってして初めて神の芽が芽吹くと言うのですからね
何故私どもが土の心を身に着けねばならないか
土の心を稽古しなければならないか
それは神の子としての 神の芽を持っておる
持って生まれて来た私どもが その神の芽を芽吹かせる為には
どうでも土の心をもってしか
その発芽しないと言う事になる訳ですね
先ずは私どもが 人間が神の子として
その神の芽を持って居るのだと言う事
その事が分かり そしてその神の芽を発芽させる為には
どうでも土の心をもってしか発芽しないのだと言う事ですね
ですから先程も申します様に 世の中には折角神の芽を持ちながら
それを発芽させずに 芽が芽吹く事なく
そのままで一生を終わってしまう様な人達が
実は沢山居られるのだと言う事ですね
師匠に縁を頂いたと言う事は
その神の芽を芽吹かせる手立てを教えて頂いたのですから
どうでも私どもが 神の芽を芽吹かせる
神の心を育てると言う事にもなりましょうかね
その為には土の心をもってしなければならない
土の心は 私どもの神の子としての神の芽を発芽させる為の
土の心であると言う事ですね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
0 件のコメント:
コメントを投稿