2021年10月1日金曜日

人間は神の子として神の芽を発芽させる為にこの世に生まれたのかもしれない (2021-10-01)

 今日も和賀心学 (2021-10-01)

 - より良い暮らしと心の成長を求めて -


人間は神の子として神の芽を発芽させる為にこの世に生まれたのかもしれない。師匠大坪総一郎師は、柿の種も机の上に置いて置くだけでは発芽しない。お土の中に入れて初めて発芽する。人の心もそのままでは神の芽は発芽しない。土の心をもってしなければ神の芽は発芽しないと。


ご覧頂き有り難うございます。

(和賀心教典 173頁)


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合掌

中原博信

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御神訓




疑いを去りて信心してみよ

みかげはわが心にあり




拝む気になる おかげがあります

改まって信心すれば心が助かります




本心の玉を研く気になって信心すれば

お徳が受けられます




昨日師匠の研修を聴かせて頂いて居りましたら

昭和 53年の 11月何日でしたかね




その中でこれが 言わば師匠の信心の神髄でもあろうかと

思う様な事を仰って居られました




沢山の事を 色々な事をお話下さって居りましたが

その中で特にその時に私が感じさせて頂きました事が




そしてまた今朝の心中祈念の時に

それが心に残っていたからだと思いますが 思わせて頂きますのは




人間は神の子として神の芽を発芽させる為に

この世に生を受けたのではなかろうか と言う事ですね




人間は神の子だと言われます

その神の子としての神の芽が宿っている




その神の芽を発芽させる為に この世に生まれたのは

生まれたのかもしれないと思うのですね




師匠はその勿論

その日の朝の御理解を元にしての研修でしたけれども




その中で柿の種をそれこそ断ち切ってみる

真っ二つに断ち切る 断ち割ると言うのでしょうかねぇ




そうすればまたその中にも柿の種の芽が有ると




ただこれが柿の種を表面を少し擦った位とか

少し削った位では分からないと




真っ二つに断ち割ってみなければ

その芽が有る事が分からないとも仰って居られましたね




これは少々私どもが改まりますと言って少々改まったり

心を削ると言った位ではその芽が有る事には分からないと




言う事かもしれませんね




自らの心と言うのでしょうか それを断ち割ってみて初めて

その神の芽が有ると言う事が分かるのだと




これは誰の心の中にでもその神の芽と言うものが宿って居ると

宿って居るけれども ここからが大切な所だと思いますが




例えば柿の種が有る 柿の種を机の上に放置して置く

あるいは引き出しの中 どこかそこらに置いて置く




それだけでは決して芽が出る事はないと

土の中に戻すと言うのでしょうかねぇ




土の中に埋めて初めてその柿の種が発芽する 芽を出すのだと

その柿の種が柿の芽を出す為には土の心が要ると言う訳ですね




土の中に 土の中に埋めなければ発芽しない




もっとも水だけでも発芽すると言われれば

そうかもしれませんけれども




ここで大切なのは

そのそれは例えば水の心と言っても良いのかもしれません




師匠は土の心と仰って居られますね

そのお土に戻す お土をかける それで初めて芽が出て来るのだと




人間の心も 土の心をもってして初めて

神の芽が芽吹くと言うのでしょうかね 発芽するのだと




もし人間が土の心 いわゆる土の中に人の心を埋めないならば

何もしないならば それは決して芽吹く事はないと




人間は神の子であるけれども それが土の中に入れないならば

種子が種子で終わってしまうと言う事なのですね




なる程私ども 生神の性と言うのでしょうか

神の子としての芽を種子を持っている




しかしそれが何にもせずにと言うのか 普通に普通の一生を終われば

それは神の子としての芽が発芽する事もなく終わってしまうと




言う事なのですね




そこに土の心をもってして初めて神の子としての神の芽が芽吹く

発芽すると言う事なのですね




何故土の心が大切なのか

と言う事がハッキリしましたね




土の心をもってしなければ

神の子としてのその神の芽が発芽しないと言う事なのです




ですから世の中にはその神の芽が発芽しないで終わってしまう人達も

沢山居られると言う事ですね




その事が分かりませんからね

やっぱりこれは教えてもらわなければ分かる事ではありませんね




師匠に教えて頂いて なる程土に戻す

あるいは土の心をもってして初めて神の芽が芽吹くと言うのですからね




何故私どもが土の心を身に着けねばならないか

土の心を稽古しなければならないか




それは神の子としての 神の芽を持っておる

持って生まれて来た私どもが その神の芽を芽吹かせる為には




どうでも土の心をもってしか

その発芽しないと言う事になる訳ですね




先ずは私どもが 人間が神の子として

その神の芽を持って居るのだと言う事




その事が分かり そしてその神の芽を発芽させる為には

どうでも土の心をもってしか発芽しないのだと言う事ですね




ですから先程も申します様に 世の中には折角神の芽を持ちながら

それを発芽させずに 芽が芽吹く事なく




そのままで一生を終わってしまう様な人達が

実は沢山居られるのだと言う事ですね




師匠に縁を頂いたと言う事は

その神の芽を芽吹かせる手立てを教えて頂いたのですから




どうでも私どもが 神の芽を芽吹かせる

神の心を育てると言う事にもなりましょうかね




その為には土の心をもってしなければならない




土の心は 私どもの神の子としての神の芽を発芽させる為の

土の心であると言う事ですね




どうぞよろしくお願いいたします




ありがとうございます




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