今日も和賀心学 (2021-10-17)
- より良い暮らしと心の成長を求めて -
世間で諸行無常と言われると私には何か悲しい様な寂しい様な響きを感じていた。が、今朝頂くのは、一切を受け切る心が有れば問題無いと。禍福は糾える縄の如しとも言われるが、これも諸行無常の一つだろう。心次第で良くも悪くも頂ける。天地金乃神様の大愛を信じ貫き一切を受け切る心有れば問題無い。
ご覧頂き有り難うございます。
(和賀心教典 112頁)
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合掌
中原博信
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御神訓
わが心でわが身を生かすこともあり殺すこともあり
神人の歓喜は現在過去をも生かして居る時です
然も未来への光ともなるのです
その反対の心はお先真っ暗の時
お蔭をも殺しておる時と知らねばなりません
自分を殺し神をも殺すことになります
過去現在をも生かして居る時です
と師匠は仰って居られます
過去も生き 現在も生き
そしてまた未来も生きて来る
これは私どもの心次第
と言う所が有るのではないでしょうかね
仏教でしたねぇ
あれは諸行無常と言う事を言われますね
確かにその変わらざるものは無いと言うのでしょうか
一切が時々刻々に変わっている
先日も頂きましたそのメールで
この事をどう思うかと言った様な内容でしたが
未だその返事をどう書いて良いのか分からなくて
書かずに居りますけれども
今朝はそのお答えを
神様から頂いた様な感じが致します
確かに諸行無常だと
これは一つの仏教における悟りの一つだろうと思いますね
全ては時々刻々変わっているのだと
例えば私ども人間 時々刻々 それこそ今の私で言えば老いて行く
あの世へ旅立つ時に時々刻々近付いていると言う事でしょうね
またこれは若い人 子供にとっては時々刻々成長して
いわゆる大人に成り 華やかな未来が待っていると言うのか
華やかな輝かしい未来を想像出来る
しかしその盛りを過ぎた者にとっては もう後は老いて行く
老いの先が案じられる
と言う所ではないでしょうかねぇ
その諸行無常 これはその何と言いましょうかねぇ
その人の置かれている環境と言うのでしょうか
その有様によって
有難くも頂ければ
そのそうあって欲しくない
とも頂ける御教えと言うのか 現実と言うのか ですねぇ
それこそ今幸せだと 幸せの絶頂に居ると言う人達にとっては
これからこの 若しかしたら幸せが無くなるのかもしれない
と言った様な不安の思いがよぎるのかもしれません
諸行無常ですからね
また一方 今これがそれこそ難儀の真っ只中と言う人にとっては
もうこれ以上の不幸は有るまいと言う様なものであるならば
この先若しかしたら事態が好転するのかもしれない
とそこに光を見出すのかもしれません 諸行無常である訳ですから
この難儀な状態が未来永劫続くと言う訳ではないと
いつか必ず好転するに違いない
とそこに希望の光を見出す事にもなるかもしれません
諸行無常 一切は時々刻々変わっているのだと
その事がそのその人の心次第で
明るい未来を暗示するものであったり
或いは将来の不安に苛まれる元になったりもするものである
と言う事ですけれども
今朝はそれを
一切を受け切る心有らば問題は無いと頂きました
なる程諸行無常かもしれない それはその人の立場に
或いはその環境によって良くも悪くも頂けると言うのでしょうかねぇ
良い心も悪い心も起こって来るものだけれども
私どもの心の中と言うのか
その信心と言うのが それを一切を 今ある一切また
或いはこれから起こって来る一切 また或いは過去に起きて来た一切
それら過去 現在 未来 その一切を受け切る心が有れば
それこそ諸行無常であろうと 無常でなかろうと問題は無い
いわゆる助かりの心が頂けれる
と言う事ですね
その過去に起こった事 出来事
また今起こっている出来事
そしてまた将来起こって来るかもしれない
起こって来るであろう出来事
それを受け切る事が出来ないから
心に悩みが起こる訳ですね
それこそそこに一切神愛と言うもの
神様の大愛と言うものを信じ切る事が出来て
そしてそのそれら一切を神様の大愛の現れとして
受け切る事が出来たならば
諸行無常であろうがどうであろうが
問題は無い事に成りますね
要は私どもがその受け切る心 それを持ち得るかどうか
と言う事にかかっていると言う事になりますね
師匠が教えて下さるその土の心 一切合切を受け貫き そして
それを自らの心の滋養として行く 心を育てる事の為の滋養として行く
その信心姿勢があれば 諸行無常であろうと問題が無い
と言う事になりますね
確かに諸行無常なのかもしれません
しかしそう言う どういう中にあってでも
私どもが 心が助かって行けれる 真の助かりを頂く
その助かりを頂くと言う事が大切な事であり
その助かって行く その為には
先ず一切を受け切る心を作る事だと
為には その神様の大愛が信じられると言う事ですね
その神様の大愛が信じられないからやはり不安にもなるのでしょうね
先ずは神様の大愛を信じ貫く
と言うのでしょうかね
そしてそこに その神様の大愛から起こして下さるところの一切を
受け切る心を作って行く事だと
正に土の心を育てて行く
と言う事になりますね
そこには諸行無常であろうが 何であろうが
全く問題の無い世界が有ると言う事になりますね
どうぞよろしくお願いいたします
ありがとうございます
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